女傑 (ディゲア視点)
翌日、私の元へ思いがけない人物が訪れた。
「お前が私のところへ来るとは、珍しいこともあるものだな」
自室のソファに座ったまま出迎えた私をさして気にも止めず、フィンエルタの開けたドアから落ち着いた足取りでこちらへ来たニージークはしかし、あまり機嫌が良いようには見えない。
普段はここで嫌味の一つでも言いそうなところであるのに、彼女はそれをしなかった。
静かな口調で「かけてもよろしいですか?」と聞くと私が頷くのを見るや投げやりな態度で向かいに腰を下ろす。
ニージークは暫く私を睨み据えていたが、こちらが口を開かずにいると耐えかねたように大きく息を吐いた。
「サイキ様がわたくしのところへいらっしゃったのはあなたの指図ですの?」
「......いや、初耳だ」
『サイキリッカ』がニージークのところへ?
少し引っかかるものはあるが、初めて対面した折りに彼女の気を惹こうとしていたのはニージークの方だったはずだ。
訪問を喜びこそすれ、厄介事のように言う理由がわからない。
「わたくしも政務についてでしたら喜んでお答えしますけれど、2年も前の事故のことで秘書について探りにいらっしゃるなんてあんまりではなくて?この国にいらしたばかりのサイキ様がラオアラのことを知る筈がありませんし、ここはあなたが何が仰ったと考えるのが妥当ですわよね」
「確かに伯父の話はしたが......」
まさか本当に手を下した者を探し出すつもりか?
ニージークの秘書であるラオアラは当時もかなり厳しく取り調べられた筈だ。何と言っても直前まで伯父と居たもう一人の側近であったのだから。
だがあの男が無実であるのは私がよく知っている。
誰よりもこの私が。
「ラオアラの話はしていないが、彼が無実であることは私も知るところだ。彼女には私から言っておこう。私が謝るのもおかしいかも知れないが、迷惑をかけたな」
「分かって頂けたのならそれでよろしいんですのよ。それにしても......マリグェラ殿下のお亡くなりになった事故について納得がいかないのは理解できますけれど、サイキ様がお調べになることではないですわよね?特権があるからと言って、みだりに城の人間を刺激して混乱を招くような真似は如何なものかしら」
「彼女は悪く無い。伯父のことを気に病んで城を去ろうとする私に気を遣ったのだろう」
「継承権を放棄されたいというのは本当でしたのね。でも王太子が空位のこの状況で、あなたのご要望が通るとは思えませんわ。大人しく来るべくその日まで城にいらっしゃったほうが賢明でしてよ」
直系とは言っても末席の私など、居ようが居まいが大差ない。
だがニージークの言う通り、王太子が決まらない限り継承権の放棄は受理されないだろう。
伯父の手伝いをしていたことを引き合いに出して、次期王太子に薦める人間がわずかばかりにも残っていることも関係しているはずだ。
しかし私という人間の本質を見ればその考えも霧散するに違いない。私はこんなに無力なただの子どもで、未だ過去に捕われている不甲斐ない人間だということに、彼らも気付くべきなのだ。
ニージークが退室した後、知らずと溜め息を吐いていたらしい。
フィンエルタの苦笑する空気を感じた。
「言いたい事があるなら言ってもいいぞ。許可する」
「いやぁ、やはりサイキ様は行動力のある方なんだなと再認識してました。なんだか落ち込んでいる様子ですけど、ここは喜ぶところじゃないですか?あの方がディゲア様のために行動してくださったんですから」
「......しかしそのせいで彼女が悪し様に言われるのは本意ではない。既に噂のことで迷惑を掛けたのだから、彼女の申し出はきっぱりと断るべきだった」
「ラオアラ様のことは十中八九アイヴンが話したと見て間違いないでしょう。確かにサイキ様の影響力を考えれば下手に動くのは危険かもしれないですね。ラオアラ様のことはまだ広まっていないようですが、サイキ様が疑いを持たれたと誤解されれば、あの人の城での立場も危うくなるかもしれません」
『サイキリッカ』の行動は城の人間が目下のところ一番気にする行動と言ってもいい。
今ここで伯父の事故についてラオアラの元へ訪れたことが知られれば、深読みをする人間が出て来ることは容易に想像できる。
そのうちにラオアラこそが伯父を手にかけた弑逆者と実しやかに囁かれるのだろう。真実を知りもしないで。
「......彼女に事情を説明する。アイヴンに連絡は取れるか?」
「了解しました。少々お待ち下さいねー」
フィンエルタは通信機を取り出すと、手慣れた仕草で指を動かす。
しかしすぐに手を止め、難しい顔でその表面を睨み据えた。
「出ませんね。城に居るとは思うんですけど......オルティガ様に聞いてみましょうか」
「そうだな......」
彼女の予定を逐一把握している訳ではないが、連絡が着かないというのは何か胸騒ぎがする。
誰かと面会中ということもあるし、気にすることはないのかもしれない。
それでも言い様の無い不安に胸が苦しくなるのを止められなかった。
「オルティガ様、こちらフィンエルタです。実はディゲア様がサイキ様にお会いしたいんですけど連絡が着かなくて。今どちらにおられるかご存知ですか?......そうです。......はぁっ!?」
静かな部屋にフィンエルタの大きな声が響いた。
この男が取り乱す様は特別珍しくもないが、一体どうしたのだろうか。
『サイキリッカ』に何かあったのか......?
「す、すいません!いえ、ちょっとびっくりしただけで、ほんとすいません!......いや、いいですいいです!!では失礼します!!!」
「......どうした?随分驚いていたようだが」
「いえ......サイキ様、本日はレシュカ様と城下に行かれてるらしいです。なんでもレシュカ様のご友人のところへ行かれてるとか。お戻りがいつ頃になるかは伺ってないということです」
またレシュカか......。
あの男が彼女に興味を示している事は昨日十分に分かった。
レシュカが『サイキリッカ』に会いに行っても、何ら不思議はないはずだ。
だが......心のどこかで彼女が真っ先に頼るのは自分だろうと驕りがあった。
「ではアイヴンに伝言を残しておけ。城に戻り次第こちらに連絡するように」
「了解しました」
しかし帰城したアイヴンが寄越した返事は、『サイキリッカ』は今日はもう部屋で休むと言うもので、その日彼女に会う事は叶わなかった。