8日目 1
暴力表現がありますが、それを推奨するつもりはありません。
苦手な方はお気をつけ下さい。
今朝早く、私の部屋にオルティガさんが訪れた。
この人は一体何時から仕事をしているのか知らないけど、漸く身支度を整えた私とは違って、いつもと同じ様にマオカラーのスーツをピシっと着こなし、髪も丁寧に整えられている。
「本日はレシュカ様がお友達の件でサイキ様を城下にお連れしたいと仰っていますが、どうされますか?」
例のお家がショッピングモールを経営しているというお友達ね。
昨日はちょっとショックなことがあり、少し落ち込んでいたけれど、私も自分の『理由』をなんとかしなければいけない。
「えっと、是非お願いしますとお伝えしてください」
「かしこまりました。艇の手配をしておきますので、お好きな時に声をかけて下さい」
今回は城下まで艇を出してくれるらしい。
私だけならともかく、王孫であるレシュカくんを歩かせる訳には行かないのかな。
本当はもうちょっとラオアラさんのことを調べたかったけど、きっとニージークさんはもう彼に会わせてはくれないだろう。
日本で美容部員として働いていた25歳の平凡女子には、政治の世界で現役バリバリのニージークさんは強敵すぎたようだ。
私に腹芸なんてものは出来ないし、いくら特権があると言ってもとてもそれを使いこなせているとは言えない。
昨日の『突撃!お城のニージークさん』作戦はRPGで序盤にいきなり中ボスに挑むような、お粗末な結果だった。
ここで敢えてラスボスと言わないのは私の強がりと取ってもらって結構。
レシュカくんと城下に行くために乗ったのは、エルタさんが林に迎えに来た時とは違う型の艇だった。
王都のビル群の間を飛んでるのに似てて、主翼がない。
私がそれを指摘すると、向かいに座っていたレシュカくんが説明してくれた。
「これは近距離用だから、主翼は無いんですよ。ビルの間を飛ぶには邪魔になるからっていう理由もありますけどね」
確かに主翼が無い状態でもSUVかミニバンくらいの大きさだから、ビルの間を飛び回るのにはコンパクトな形状の方がいいんだろう。
タイヤの無い車のようなこういう乗り物が王都上空を飛ぶ様は、遠目には花の周りをクマバチが飛んでいるように見えた。
「今日行くのは僕の友達のお家が経営しているショッピングモールの一つなんですけど、城に通じる大通りに面してて王都では一番人気なんですよ!中に入ってる店舗数も国内最多で、きっと中で買えないものはないんじゃないかなぁ」
「大通りに面してるって、もしかしたら私が行ったとこもそこかもしれません。城から歩いて行ったんですけど、大通りにありましたから」
「きっとそうですね!サイキ様がお買い物されたなんて知ったら僕の友達も喜びます!!」
いやいや、王族が御用達にしてる事の方がよほど喜ばしいでしょ。
私はただの居候だし?
あなたのお母さん&お姉さんが嫌ってる平民だし?
艇はやはり私たちが先日行ったモールに向かっているようだった。
巨大な箱が連なったような外観は、所々がガラスで覆われていて、中の賑やかさが伺える。
階段のように高さに差のあるビルの屋上に艇を停め、隣接する建物の中に入る。
この部分はモールの中にあるけれど商業スペースではなく社用に使っているんだそうな。
パンツスーツを着たキレイなお姉さんが出迎えてくれて、運転していたレシュカくんの護衛も入れた私たち4人は応接室みたいな部屋に案内された。
応接セットの他には特にこれといった調度品はなく、壁に抽象画が掛かっているだけの部屋。
私たち以外には誰もいなくて、物が少ないこともあってかなり広く感じる。
レシュカくんは訳知り顔で中にあるソファに座り、隣をポンポンと軽く叩いて私に座るよう促した。
「今呼びに行かせてるんで、すぐ来ますよ~。こっちに座って待ってません?」
「あ、じゃあお言葉に甘えて」
向かい合わせになっているソファの反対側にはお友達が来るだろうから、言われた通りにレシュカくんの隣に腰を下ろす。
アイヴンさんはいつものように私の後ろに立って控えた。
そしてレシュカくんの護衛も同じ様にレシュカくんの後ろに立つ。
「ねね、サイキ様。僕あなたに聞きたい事があるんですけど、いいですか?」
隣に座っていたレシュカくんは徐に顔だけをくるっとこちらに向けて、私の目をっじっと見てきた。
「なんでしょう?」
特に心当たりも無いので、少し不思議そうな顔をしていたんだろう。
彼はその人懐っこい顔をかわいらしく綻ばせた。
「昨日ニージークのところで何の話をしていたんですか?」
「え......」
何故それを?
と思った瞬間。
後ろでドサリと言う重いものが落ちる音がした。
慌てて振り向くと、レシュカくんの護衛がアイヴンさんの腕を後ろ手に捻り上げ、床に膝を着かせている。
なんで......アイヴンさんを......?
アイヴンさんも状況が上手く把握できていないのか、双眸を大きく開いて背後にいる男を見上げていた。
「ほら、サイキ様が答えてくれないとアイヴンから無理矢理聞かないといけなくなりますよ~?」
「っく......!放せ!!」
レシュカくんがそう言った途端、護衛がさらにきつく腕を捻り上げたようだった。
アイヴンさんは眉を寄せ、その顔を苦痛に歪ませていいる。
「や、やめてください!!アイヴンさんの腕を放して!!」
「だから、サイキ様が答えてくれたら手荒なことはしなくて済むんですよ。ニージークとどんな話をしたんですか?ああ、何を探ってたんですか、って聞いた方がいいのかなぁ?」
ソファにゆったりと座り、少年は自問自答するように顎に手を当てている。
後ろでは大柄な彼の護衛が遥かに華奢な体の女性を押さえつけているって言うのに、それが当たり前と思っているのか、レシュカくんは一度も後ろを振り返らない。
私はソファから身を乗り出して護衛の腕を掴むが、片手で振り払われてソファに逆戻りしてしまった。
「ニ、ニージークさんには仕事のお話を聞きに行っただけです!それだけです!!」
私はなんとかアイヴンさんを解放してほしくて、一人空気の変わらない自分よりも10も年下の少年に言い寄った。
それでも本当のことを言わなかったのは、彼が聞きたがっているのは間違いなく私が昨日ニージークさんを訪ねた理由に違いないから。
「サイキ様、本当のことを言って下さいね?僕は別にアイヴンの腕がどうなろうと気にしないけど、あなたはそうじゃないでしょ?」
「本当です......サイキ様は大老の仕事の話を聞いてらしただけです......!」
「誰がお前に口を利いていいって言ったの?うるさいよ」
「っ......!!!」
あの子犬のような少年から出たとは思えないような冷え冷えとした声に怖気が立つ。
主人に忠実な彼の護衛は、レシュカくんが気分を害した事にすぐに気がついたようだった。
容赦なく彼女の頭を掴み、部屋の床を覆う毛足の長い絨毯に押さえつけた。
「い、言います!言いますからアイヴンさんを放してっ!!ニージークさんの秘書のことを聞きに行ったんです!!王太子の元側近の!!でもニージークさんは何も教えてくれなかったんです!!本当のことを言ったから早くアイヴンさんからこの人を退かせて下さいっ!!」
25年生きて来て、目の前で暴力が行われるのなんて初めてだった。あったとしてもせいぜい平手打ちとか、子どもの喧嘩くらいだ。
平凡な私にとって、今見てるような光景は映画やテレビの中だけの事だったのに......。
でも目の前で苦しそうに押さえつけられているのは、たった数日の付き合いだとしても私の護衛で。
そしてそれを指示している人も全く知らない人間じゃない。
私はレシュカくんの腕を掴み、必死で訴えた。
彼の顔に浮かんでるのはいつもの笑顔なのに、今は無表情よりも冷たく見える。
「さすがにあなたじゃニージークの口は割ることは無理かなぁ。ねぇサイキ様、あんまり余計な事はしないでくださいね?誰にだって探られて痛い腹はあるんですよ~」
レシュカくんはそう言いながら右手をすっと上げた。
それを合図に護衛がアイヴンさんを立たせる。
いくらやわらかい絨毯と言っても、力一杯押さえつけられたせいで彼女の頬は赤くなっていた。
そして両腕も背中で拘束されたままだ。
「も、もういいでしょ......?アイヴンさんを放して......友達の紹介もいらないから私たちを帰して下さい」
「あははは!本当に僕の友達を紹介すると思ってたんですか!?サイキ様って本当に面白い!!」
「な......!騙したんですか!!」
「僕だってこんなに簡単に着いて来るなんて予想外でしたよ〜?」
私の頬がかっと赤く染まったのが分かった。
こんな子どもに自分の行動が軽卒だったと馬鹿にされて......。
平和ボケしてると思われても仕方ない。私は今の今までこんな事が起こるなんて、微塵も予想していなかったんだから。
「それにね、まだ本題は終わってないんで帰してあげられないんです」
そうにっこりと笑う少年。
その笑顔を見てこの子が人懐っこい子犬みたいに思ってたのが遠い昔のことのようだ。
たった一日前のことなのに。
「......本題って何ですか?」
「まぁその話をする前にちょっと.....おい、入って来い」
レシュカくんの呼び声でさらに2人の男が部屋に入って来た。
みんなアイヴンさんを拘束している護衛の人くらいに体格が良く、その顔からは一切感情が伺えない。
そのうちの一人がレシュカくんに小さなナイフのようなものを差し出した。
果物ナイフよりもすこし長めで、柄の部分には象牙のような白い素材が使われている。
レシュカくんが鞘を取り去ると、切れ味の良さそうな曇りのない刃先が現れた。
それで一体何をするつもり......?
ナイフに意識を奪われてたせいで、私の傍にもう一人の男が近づいていたことに気がつかなかった。
「サイキ様っ!!!!」
アイヴンさんの悲鳴のような声で振り向くよりも先に、後ろから男が私の両腕を掴む。
素肌に感じる乾いた手の感触にゾワリと背が粟立った。
「いやっ!!放して!!」
必死で腕を引っ張ってもビクともしない。
それどころか男の私を掴む力が増すばかりだ。
「そこのお前っ、サイキ様を離しなさい!!レシュカ様も、こんなことをすればいくら王族のあなたでも相応の罰を受けることになりますよ!!」
「そうかもね〜。ま、それが露見したら、の話だけど。じゃあサイキ様、ちょっとじ〜っとしててくださいよ?」
レシュカくんを止めようと暴れるアイヴンさんに、彼女を拘束する護衛が捻り上げる力を強めたようだ。
容赦ない締め付けに彼女の顔が再び苦痛に歪む。それでも決してその両目をレシュカくんから反らさない。
アイヴンさんが大人しくなったところで、私の後ろにいる男は掴んでいた左腕を前に突き出した。
目の前の少年は笑顔のままナイフを逆手に持ち、ソファの上を私の方へ移動して来る。そして。
次の瞬間には躊躇うことなくそれを私に振り下ろした。
襲い来るであろう痛みに体が強張り、渇いた喉からは自分の声とは思えない音が吐き出される。
「いやああああああああっ!!!!!」
レシュカ・ザ・ハラグロー。