風聞 (ディゲア視点)
彼女に言われたことが尾を引いている訳では無いが、翌日は近衛隊の練兵場に顔を出した。
すこし体を動かしたかったからだが、フィンエルタはそうは思ってないらしくしたり顔でニヤけて居た。
気色の悪い。
林の家に居る間でもそれなりに鍛錬は怠らなかったつもりだ。
しかし相手が居るのと居ないのとでは大きく違う。
模造剣を手に構え、近衛兵の一人と間合いを取るがいまいち距離感が上手く掴めない。
相手は数多くいる近衛兵の中でも比較的体格の近いものを選んでもらった。
腕の長さから言っても、間合いはほぼ私と同じくらいだろう。
相手の間合いに入った途端、向こうは素早く剣を振りかぶり、数歩の距離を一気に詰めて来た。
左肩に切り掛かって来た相手の剣をいなし、右に半身を踏み込む。
そのままの流れで特に力を込めることなく相手の足を払った。
片足が浮いていた相手は軸足を払われ、片手を付いて倒れ込んだ。
すかさず起き上がろうとする相手の利き腕の方の肩を踏み、項に切っ先を当てる。
「倒れる時は手をつかずに受け身を取れ。倒れた反動で起き上がらないとそこで終わるぞ」
剣をおさめて相手を立たすと、向こうは何故か照れたように赤くなっていた。
近衛として城に仕えている者がたかが末席の王孫に一本取られたのが悔しかったのかもしれない。
ぱちぱちという気の抜けた拍手をしながら近づいて来たフィンエルタに剣を渡す。
「ディゲア様ってば容赦ないですね〜。あそこで肩まで踏みますか?」
「本当は剣を払いたかったんだが、模造剣とは言えそれなりの威力はあるだろう。王族を守るという本分のある人間の利き腕を痛めるほど、私は非道では無い。相手がお前だったら違っていたかもな」
「優しいんだか、そうでもないんだか.....。それで、もう少し続けますか?俺としてはセルキア様が来る前に退散したいんですけど」
「父上が練兵場に来ることはそう無いから心配するな。それにここに来たところでお前の相手をするかどうかも分からんだろう」
「ディゲア様がここに居ると知ったら飛んで来ますって!そんで喜々として俺をボコボコにするんだ......!」
悲壮な顔でこっちを見るな。
お前がそんな顔をしていても可哀想とも何とも思わない。
しかし泣きそうではありながらも、どこか冗談めいていたフィンエルタの顔がピシリと固まる。
何事かと背後を振り返ると、見知った人影が練兵場の入り口に立っていた。
「......父上......」
「ほら!!やっぱり来たじゃないですか!!だから言ったのに〜!!!!」
「何だいフィンエルタ、涙まで流して。そんなに僕がここに来るのが嬉しかったのか?」
「珍しいですね、父上が練兵場にいらっしゃるなんて。忙しそうに見えて、実は私の想像よりもお暇なのですか?」
にこにこと自分より少し背の高いフィンエルタの肩に腕を回す父。
心無しかフィンエルタの顔から血の気が失せているような気がする。
「僕だってたまには体を動かさないと!フィンエルタは打たれ強いから相手にちょうど良いんだよ」
「打たれ強いって......!俺だって痛いもんは痛いんですよ!!」
「君も近衛としてこの城に入ったんだから、多少の痛みは覚悟の上だろう?何、模造剣なんだから死にはしない。城には打ち身に良く効く薬があるし、万が一立てなくなったら一日くらいディゲアの護衛から外してやるから安心しろ」
「今のセリフでどう安心しろって言うんですか......俺のことを立てなくなるまで痛めつけるつもりなんですね......」
いよいよフィンエルタに死相が浮かんで来たので、ここは止めた方がいいだろう。
別にヤツが痛い目を見るのは構わないが、私の護衛がころころと変わるのは不便だ。
「父上、今日はここまでで上がるつもりだったんです。フィンエルタの相手はまた今度にして下さい」
「折角ここまで来たのにもう帰るのか?どうせ運ばれて来た方は陛下と面会中だし、君も特に用事は無いだろう。少しくらい付き合え」
「だれか相手になさりたいなら他にも近衛兵がいるじゃないですか。まだ父上と手合わせたことのない者の中から選べばどうです?」
私の言葉に、練兵場に居た近衛兵がさっと顔色を青くした。
気の毒だがいずれは通る道だし、ここは試練だと思って我慢してもらおう。
父は悪気は無いのだが、手加減というものを知らないから相手をするのは骨が折れるだろう。
比喩でもなんでもなく。
その時、フィンエルタの通信板に連絡が入ったようで、ヤツはここぞとばかりに父から離れると練兵場の隅に移動した。
「あんなに端まで行かなくていいじゃないか。女の子からの連絡だったら有無を言わさず相手をさせようかな」
「さすがに父上の前で女性からの連絡に応答するほど馬鹿ではないでしょう」
意外に通話は短かったようで、フィンエルタはすぐに戻って来た。
嬉しそうな顔を無理矢理申し訳なさそうに変えているので、不審に思ったがすぐに判明した。
「すいません、セルキア様。アイヴンから至急サイキ様のお部屋に来て欲しいと頼まれたのでここで失礼します。お相手出来ずに申し訳ないですねぇ」
申し訳ないと言いながらも、その顔が徐々に緩んで来てるぞ。
しかし連絡がアイヴンからだったことには驚かなかったが、至急『サイキリッカ』の部屋に来いとは何かあったのだろうか。
「それなら仕方ないな。ディゲアも行くのかい?」
もちろん、と言おうとしたところで、フィンエルタが先に口を開いた。
「いえ、ディゲア様は来ない方がいいと言ってたので、俺だけで行って来ます。後で報告するのでそれでいいですか?」
「彼女がそう言うなら従うしかないだろう。早く行け」
内心は複雑な気持ちだった。
なぜ私ではなく、フィンエルタを呼ぶのだろう......。
きっと彼女は何かあれば真っ先に自分を頼ってくれると思っていたのは、私の勘違いだったのか。
私は言い知れないもやもやとした気分で、練兵場を去るフィンエルタを眺めていた。
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「当分の間サイキ様とはお会いにならない方がいいですね」
しばらくして帰って来たフィンエルタの言葉がすぐには理解出来なかった。
『サイキリッカ』と会わない方がいい?
「......何があった?」
「サイキ様のところへまたガルーダ様が押し掛けたみたいですよ。今度は部屋の中で待ってたみたいで、サイキ様も無碍には出来なかったんでしょう」
「あの男には王族としての礼節は無いのか......。しかしガルーダが押し掛けたことと、私が彼女に会わない方がいいということは関係無いように思えるが」
「関係無いっちゃ関係無いんですけどね、ガルーダ様が耳にしたというとんでもない噂をわざわざ教えて下さったようですよ」
「噂......?」
「お耳汚しですけど、俺に怒らないで下さいね」
「さっさと言え」
「『運ばれて来た方は既にディゲアのお手付き』」
「は?」
「ガルーダ様が言ったことをそのまま伝えました。もう一回言いましょうか?」
「いや、ちゃんと聞こえていたが......」
『サイキリッカ』が私のお手付き......?
もしかしなくても意味はそのままだろう。
私が彼女と『そういう』行為に及んだと言いたいのか......。
「サイキ様はちゃんと否定なさったようで、ガルーダ様も深く追求はされなかったみたいですよ。ちなみに「2年も田舎に引っ込んでたところに若い女が来たんだからやることは一つ」とか「すぐに連絡しなかったのは怪しい」といったことも仰ってたようですけど、これはガルーダ様の主観でしょうね」
頭を抱えたくなって来た.....。
確かに私だって16の健康な男子であるからにはそういった行為も可能ではある。
だからと言って彼女に手を出したと思うのはあまりにも短絡的な考えだ。
明らかに私か彼女、もしくは両方を貶めようとして流した噂としか思えない。
「彼女はそれを聞いて怒ってはいなかったか?」
「それが全然。むしろディゲア様に申し訳ないと仰ってましたよ。年上好きのレッテル貼られてないか心配してましたね。アイヴンがサイキ様はディゲア様よりも10くらい年上って言ってましたから俺も驚いたんですよ」
「な......10も!?20そこそこくらいにしか見えないじゃないか......」
「それでも十分ディゲア様よりも年上ですよ。むしろ年の差が縮まったことで噂の信憑性が増しそうです」
化粧をしていない時の彼女はつるりとした乳白色の肌をしていて、濡れたような円な瞳と薄紅色の小さな口があどけない感じだった。
それが10も年上だったとは。
しかしそれならこの噂を聞いて怒るどころか、私を心配したというのも頷ける。
彼女にしてみれば私なんて子どももいいところだ。
「そう言えば未婚の王子様に興味のあるサイキ様ですけど、ガルーダ様は好みでは無いようですよ。良かったですね。でもサイキ様の国では成人した者は18歳以下の子どもに手を出すのは犯罪らしいので、ディゲア様と『どうこう』なるなんて考えられないと仰ってました。まぁ誰かさんのように好みでは無いと言われた訳ではないし、あと2年待てば振り向いてくれるかもしれませんよ?」
「......下らん話をするくらいなら今から父上の相手でもして来い」
「絶対イヤです!」と喚くフィンエルタを無視してヤツを自室から追い出した。
彼女は私にとっては突然の訪問者で、保護するべき対象で、手を差し伸べるべき存在だ。
そこには噂にあるような『そういう』行為に及びたいという不埒な思いは無い。
それでも『サイキリッカ』が私を女と思い込んでいたこと、子ども扱いしていることが何故か悔しかった。
この苛立ちをぶつけるのに最適な存在を部屋から追い出したことを後悔した。
本当に父のところへ引きずって行けば良かったかも知れない。
ディゲア父の名前登場。