来訪 (ディゲア視点)
ここからしばらくディゲア視点になります。
番外編にするつもりでしたが、本編とリンクする部分があるので本編に入れます。
彼は間違いなく私のせいで死んだのだ。
誰が何と言おうとも。
林の中に誰か入って来た事にはすぐに気がついた。
この家に住む事に決めた2年前、安全では無いという理由で反対する周囲を納得させるため、林の外に防護壁を張ったからだ。
本来なら私が防護壁を解除しない限り、例え虫の一匹ですらもこの林の中には入れないはず。
まるで見えない壁に阻まれているように、文字通り『入れない』のだ。
それがこの時、私の手にある受信機は侵入者が林に入ったことを告げていた。
あり得ないことだと分かっていながら、もしかして彼が自分のところへ来たのかと思った。
怒るだろうか。
罵るだろうか。
恨むだろうか。
それとも、悲しむだろうか。
しかし侵入者は林に入ってからしばらくしても中々やってこない。
まさか道に迷っているはずはないと、ドアを開けたところに女がいた。
彼女はどう見ても普通の人間だった。
それが林に入れた事が不思議でならなかったが、ふと足元に見た事無いものが落ちていたのでそれを拾う。
その物体は『かさ』と言うらしい。
彼女は『運ばれて』来た人間だった。
涅色の長い髪を一つに束ね、見開いたその瞳は夜の海のような静かな色。
始めて見る異世界の人間は、この世界では見た事もない色をその身に有していた。
ああ、とうとう私を王都へと連れ戻す『理由』が現れた。
どんなに逃げたくても、私の中に流れる血はまぎれも無いこの国の王家のものであり、私は城に居る必要がある。
来るべくその日まで。
彼女は自らを『サイキリッカ』と名乗った。
その名はこの世界では男の名前に他ならないのだが、やはり彼女は見た目の通り女性のようだ。
彼女がここに現れたからには私は王都へ彼女を送り届けねばならないだろう。
それはこの家を離れ、城へ戻ることを意味する。
2日後にフィンエルタがここへ来るはずだ。
彼は私がここへ移り住んでから2年、律儀にも10日置きに私を訪れている。
食料や生活用品などを届けるという名目だが、父や陛下に言われて様子を見に来ているのだろう。
簡単な話をしてその日のうちに帰って行く。
しかし今回は私と彼女も共に王都へ行かねばならない。
本来ならばすぐにでも迎えを呼ぶべきだ。
だが私にはここの生活に未練があった。
誰と会う訳でもなく2年、隠遁者のような生活だったが、城に居た頃よりも遥かに心が落ち着けた。
ここには誰も何も私を縛るものが無い。
防護壁に囲まれた、城よりもずっと小さな空間は檻の様に私を中に閉じ込めるが、その中は果てのないように広く感じる。
そこへ現れた異世界の女は、完全に異物であるはずだったのに、不思議とこの家に馴染んでいた。
誰かと食事を共にすることも以前なら苦痛に感じて仕方なかったはずだ。
それが彼女となら、空腹だけでなく心も満たされていくようだった。
私が自分を繕う必要なく他人と接していることが自分でも信じられないくらいだ。
彼女が話す異世界はとても興味深い。
あの『かさ』というものは雨から身を守る道具であるらしい。
この世界は、人間の居住区から雨が消えて久しく、およそここに生きる人間は誰一人としてそれを目にしたことはないだろう。
数少ない他の世界からの移住者を除いて。
100年、いや150年以上もの昔にやってきた異世界の人間は、この世界に膜を作った。
彼の世界は人間の手によって自然は破壊し尽くされ、人々は膜によって外界の汚染物質を遮断した空間の中で生活していたという。
この世界に辿り着いたその人は、まだこの世界に美しく守るべき自然のあるうちに、膜によって人間の世界を覆ったのだ。
多くの人間はこの膜が自分たちの生活を守るためと思っているようだが、実際は自然界に害なすものを一滴たりとも零さぬためである。
守られた環境で快適に暮らす事が出来る反面、私たちの生活に変化は乏しい。
雨が降る度に『かさ』をさして歩かねばならない『サイキリッカ』の世界は、空気ですらも毎日違っているのだろう。
私は考えた挙げ句、フィンエルタには翌朝連絡をした。
城に帰るから艇で来いと。
普段ヤツが使っている小型艇は一人乗りだ。
私と彼女が王都へ行くには、城所有の艇を使う必要がある。
敢えて彼女が居る事は伝えなかった。
もし伝えていたらすぐにでも迎えにくる事は目に見えていたからだ。
私はゆったりとしたここでの生活に『サイキリッカ』が加える小さな変化をもう少し楽しみたかった。
彼女は突然自分に訪れた災難とも呼べるこの出来事を、冷静に受け止めているようだった。
本心では混乱し、悲劇を嘆いていたのかもしれないが、私を罵倒したり泣き叫ぶということは全くなかった。
それを強いと感心もしたが、幾分寂しいと思った事もまた事実。
恐らく年上であろう彼女は、私に弱い部分を見せたく無かったのだろう。
私は彼女に自分が王族であるということを明かさなかった。
城へ行けばいずれ知れる事ではあるが、今ここでの穏やかな時間が失われるような気がしたのだ。
過去に王族が皆通ったという学院に居たころも、私の身分を知った人間は総じて私に気を遣い、上辺だけを取り繕っていた。
彼女にそんな風に見て欲しくなかった。
私とて一人の人間で、あまり表に出ないという自覚はあるが、感情だってある。
信じていた人間に手のひらを返された時のことは今も胸に残るくらいには傷ついていたのだ。
せめてここに居る間は私をただの『ディゲア』として接して欲しかった。
彼女は自分の居た世界では王族とは馴染みが無かったようで、以前この国に運ばれて来たという人間の話が王家の問題にまで及ぶと、明らかに動揺していた。
この時の『理由』は過去の他の運ばれて来た人間の話と比べても、些か異端ではある。
技術でも知識でもなく、彼女の感情がこの時の王家を左右したと言ってもいいからだ。
そして間違いなく今回も、彼女の『理由』は王家に関わる事だろう。
私を王家へと連れ戻し、糾弾するためか。
それとも彼の亡霊に取り憑かれたまま、王家の中で朽ちさせる為か。
いずれにしろ逃げる事は叶わない。
彼女は『理由』のためにこの国に現れてしまったのだ。
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