初恋を諦めてお見合いに行ったら、私を振ったはずの人に連れ去られました
好きになってはいけない人を、好きになった。
だから私は、彼から離れようとした。
◆
「リアナ、助けてぇ」
焦げたフライパンを前に情けない声をあげたのは、牧師のルカ。
「ぎゃーっ!ルカの馬鹿!まず油ひかなきゃ!」
「そうなの?」
「前にも言ったじゃんっ!油をひいたら焦げにくくなるんだって」
「油ってすごいんだねぇ」
「そこっ!?ああもうっ、もったいない!」
「リアナったら、こわぁい」とくすくす笑う声。
「だって卵が三つも無駄になったんだよっ!」
「僕は夕飯なしでいいからさぁ、そんなに怒んないでよ」
掃除も洗濯も炊事も壊滅的な、頼りない牧師で。
牧師なのに説教は下手だし、「貴族並みにかっこいい」とか言われて女にモテてチャラいし、お酒に目がないし。
だけどどんな子どもでも断らずに受け入れて、自分の食事は抜いても子どもを飢えさせることはなくて、病気の子どもには夜通し付き添って。
それになぜか、子どもを狙って教会を襲った人買い連中を皆殺しにできるくらい強くて。
――そういうところが、ずるい。
私みたいな孤児あがりの小娘は、優しくてかっこいいルカを好きにならざるを得ないんだから、ずるすぎる。
◆
「ねえ、ルカ」
十三歳になったとき、私は言ってしまった。
「私、ルカのことが好き」
空気が止まって、一瞬だけ彼の笑顔が消えた。
「…そうなんだ」
それでも、すぐにいつものふにゃっとした笑顔が戻ってきた。
「ありがとう、嬉しいよ」
「…それだけ?」
「それ以上は言えないな」
やわらかい声と表情だけど、目を逸らさずにはっきり線を引かれる。
「僕は牧師で、君は預かっている子どもだからさ」
わかってた。
「気持ちは嬉しいし僕も好きだけど、応えられない。ごめん」
ルカの好きは「家族みたいな存在として好き」ってことで、私の「好き」とは交わらない。
知ってたのに、言ってしまった私が悪い。
「あーあ、やっぱ初恋は叶わないよね」って、冗談めかしてできるだけ大きな声で言う。
「リアナ、きっと時間が解決してくれるから」
その言葉は、優しいのに残酷で。
「…だね」
ひとりになってから、少しだけ泣いた。
◆
そして三年前。
十五歳になった私は、ルカのおかげで強制的に鍛えられた家事スキルが認められて、街のちょっとした商家に雇ってもらえることになり、教会を出た。
けれど仕事が休みのときには、村に戻ってルカを手伝い続けている。
恩返ししたいし、弟や妹みたいなみんなの成長を見守りたい。
…というのは建前。
来週には十八歳になるというのに、私はまだルカのことを好きだった。
それで手伝いにかこつけて、彼の顔を見ようとしているのだ。
「大人になっていく私を見て、ちょっとは意識してくれたら」なんて、下心もあって。
だけど大人っぽいドレスを着てっても、顔や首にお粉をはたいてみても、ルカは少し眉を上げるだけで、相変わらず飄々と接してくる。
それでもまだ諦めきれないなんて、我ながら情けない。
ルカは「時間が解決してくれる」と言ったけど、私の恋心は時間とともに悪化していた。
そんなとき…
「リアナ、ちょっといいかな」
「少し早い誕生日プレゼントと言ってはなんだが」と旦那様が持ち掛けてきたのは、思いもよらない、私の縁談だった。
屋敷で開かれたパーティーに参加した人が、くるくる働く私を見初めてくださったのだ、と。
「軍を除隊されたあと商売を始めた男爵様なんだが、なかなか商才がおありでね。大きな商船をお持ちなので、正直私としても、彼との繋がりはつくっておきたいのが本音なんだ」
私が嫁ぐことで旦那様の利益になるのなら、孤児を雇って下さったことへの恩返しができる。
「初婚だし年齢もそう離れていない。実際、なかなかない良縁だとは思うよ」
「…そう、ですよね」
孤児が裕福な男爵家の奥様だなんて。
「光栄なお話だと思います」
旦那様が見せてくれた男爵様…セドリック様の姿絵は、どことなくルカに似ていた。
「この人と結婚すれば、ルカのことを忘れられるかもしれない」と思う。「もしかしたら、好きになれるかもしれない」と。
ルカだって、自分に執着し続けている私が消えたら、楽になるだろう。
「突然の話で驚いたろうが…一度二人で会ってみるだけでも、どうだい?」
「…ええ、ぜひ」
◆
数日後、休みをもらった私は教会に帰る。
「ルカ」
「ああ、リアナ!救いの女神様、ナイスタイミング!パンを焼いたんだけど膨らまなくてさぁ…」
「…イースト入れた?」
「何それ?」
一体いつ買ったものかわからないイーストを混ぜてパン生地をこねながら、私はタイミングを見計らう。
そして、できるだけ何でもないことのように言う。
「…もう手伝いに来られないかもしれない」
一瞬だけ間があって、「どうして?」とルカも何でもないようすで聞く。
「旦那様の伝手でお見合いすることになったの。そのまま結婚すると思う」
ガシャン。
お皿が割れた。
「ルカ、大丈夫っ!?」
「あ、ごめんごめん…うっかり手が滑っちゃって」
「もう、しっかりしてよ。危なっかしいんだから…」
お皿の破片を集めようとして、ルカと手が触れる。私はすっと手を引いた。
来週にはお見合いするんだもん。こんなことでときめいてちゃいけないし。
「ええと、それで…お見合いの話だったよね?ちなみにだけど…誰とお見合いするの?」
「プロント男爵セドリック様という方なの。来週の日曜日に、男爵邸にお邪魔してお会いするんだけど…」
「セドリック・プロント…?」
「そう。あは、すっごい貴族様っぽい名前だよね」
おもしろくもないのに、私は笑い声をあげる。
「ってか、なんか嘘みたいだよね。私が貴族様に見初められるだなんて。大出世っていうかシンデレラストーリーっていうか?こんな幸運どこに落ちてるのみたいなさ…」
中身のない話を早口でまくしたてて。
「まあ私も来週にはちょうど十八歳だし、ちょうどいいタイミングっていうか…」
「おもしろい」でもいい。「来られなくなるのは寂しい」でもいい。それか「話がうますぎる。騙されてるんだよ」でもいい。
聞き流されるのだけは、どうしてもいやだった。
けれどルカから返ってきたのは、低い低い「へぇ、よかったね」という言葉だけだった。
「…うん」
本当にルカは、私のことを何とも思ってない。
「ちょっとくらい、寂しそうにしてくれるかも」と期待した数秒前の自分を殴りたい。
わかってたのに、私はまた失恋した。
けれど…これでようやく、お見合いに向かう気持ちが整ったのかもしれない。
◆
「来てくれてありがとう」
お見合いの席で、セドリック様が上品に微笑む。
「こちらこそ…お招きいただきまして光栄です」
「ふふ、どうか硬くならないで」
「似てるけど、やっぱり違う」なんて思ってしまう。
セドリック様の笑みは、上品で、穏やかで、頼もしくて。
だけどルカの笑顔はもっとふにゃふにゃしてて、だらしなくて、温かくて。
話し方も、お茶の飲み方も、歩き方も、髪の色も目の色も。
「ルカを忘れられるかもしれない」と思ってここに来たのに、セドリック様とルカを比べてばかりいて、嫌になる。
「リアナは昨日が誕生日だったのだよね?一日遅くなったけど、ぜひうちの薔薇を贈りたいな」なんて、嬉しそうにバラ園を案内してくれるセドリック様。
その目には、隠しきれない好意が見える。
「こんな立派な薔薇を?すごく嬉しいです」
彼の言動の端々に、「本気で私を好いてくれている」という印を認めるほどに、後ろめたさが募る。
と、ざわりと門のほうが騒がしくなって目をやると。
「え…ル、ルカ!?」
◆
「ルカ…隊長!?」
セドリック様は驚きの表情で立ち尽くす。
「久しぶりだな、セドリック。邪魔するよ」
この感じ、どうやらルカとセドリック様は知り合いみたいだ。
ルカは、迷いなく私の前に歩み寄った。そして、無言のまま私の手をぎゅっと握って、自分のほうに引き寄せる。
「ん、え…?」
ぎゅうっと強く抱きしめられて、ルカの心臓の音が近い。
「悪いが、リアナは私の最愛の女性でね」
「えっ…?」という驚きが、私とセドリック様から同時に漏れる。
「そういうことだから、お前は身を引いてくれ」
「しかし隊長…」「え、ちょ…ルカ、どういうこと…」という私たちの戸惑いは、ルカにはまったく届いていない。
「いいか、セドリック。これ以上リアナに懸想するなら、迷いなく斬るからな」
セドリック様はごくりと唾を飲んで何か言おうとするけど、ルカに遮られる。
「お前が俺に勝てないことは、よくわかってるだろ?この屋敷の警備、俺なら五分で全員殺れる」
セドリック様の顔が青くなって、汗がついと顔を伝った。
「…はい、隊長」
「よし」
あっという間にルカとセドリック様の間で話がついてしまい、私は「行くぞ、リアナ」という声とともに抱き上げられて、セドリック様の屋敷から連れ出された。
◆
大好きなルカに姫抱っこされてお見合い会場から連れ出されるなんて、夢みたいなシチュエーション。だけど冷静にならなくては。
「ま…待ってよ、ルカ!どういうことなのか、まったくわかんないっ…!」
ルカとセドリック様が知り合いなことも。
「僕って実は元貴族なの。父上に反発して家出して軍隊に入ったんだけど、そのときの部下がセドリックってわけ。あいつが死にそうなとこ何回も助けてるから、あいつは僕に頭上がんないの」
お見合いの場から私を連れ出したことも。
「セドリックじゃ君を守れない。軍の厳しさについてけなくて除隊したような男だよ?僕のほうが断然強いんだから、リアナは僕といるべき」
何より、私のことを「最愛」だなんて。
「だって本当だから」
「どういうこと…?」
だってルカは私の告白をあっさり断って。
おしゃれしても何しても、知らん顔で。
「それならどうして今まで…言ってくれなかったの」
「ずっと、我慢してた。俺はリアナより十歳も年上で、保護者だからって言い聞かせて。もし僕たちが結ばれたら…あることないこと言われて君が嫌な思いをするって」
「…私のため?」
「そうだよ。それに僕のためでもある」
「…?」
「口に出してしまえば、その時点で止まれなくなりそうで…」
言葉が出そうで出ない。なんて言ったらいいのかわからない。
嬉しいのか、情けないのか、愛しいのか…
「リアナが教会を出て、どんどんきれいになって…焦った。それでも、君が新しい恋をして幸せになれるなら、それでいいと思おうとした。それが君を育てた僕の幸せでもあるんだって」
ルカは私の顔にそっと触れた。
「だけどお見合いの話を聞いて…だめだって思った」
こつんと額と額が当たる。
「セドリックは戦場では弱いけど、確かにいい奴だ。君にとってもいい縁談なのは間違いない。何度もそう思い込もうとしたんだ」
ルカの声が、震えてくる。
「だけど…君がセドリックの横で笑ってるのを想像したら、やっぱりだめで。そんなことになったら僕は狂うって…」
ルカが優しくて情けない笑顔の裏に、ずっと隠していた私への想いは、こんなに強くて重くて。
「もう狂ってるのかもしれないけど」
ぎゅっと抱きしめられたら、窒息しそうなくらいで。
「リアナ」
ルカの指が、逃がさないように私の顎をすくう。
「もし嫌なら…もう僕のこと好きじゃないなら…僕から離れたいなら…今ここで言って?」
唇と唇が触れそうになるくらい、近い。
「そしたら、手を離すから」
「でも、そんなの嘘だよ」ってルカの目が言ってる。
拒否したって、この人はきっと、私のことを手放せない。だってここまで追いかけてくるくらいなんだもん。「私のために狂う」って言うくらいなんだもん。
私だって――
「…ルカ」
気づけば、私は彼の服を掴んでいた。
「好きだって言ったとき突き放したくせに」
「…うん」
「忘れようとして、頑張って…忘れられなくて苦しんでたの、本当は知ってたんでしょ?」
「…うん、ごめん」
ずるい。
「なのに今さら、そんなこと言われて…」
昔からルカはずっとずるい。
なのに自分でも驚くくらい、答えははっきりしていた。
「逃げたいと思えるはずないじゃん…っ」
ルカの目が驚きに満ちて、それから狂ったような喜びが浮かぶ。
「もう二度と離さないから…ずっとそばにいてね?」
ぞくりとするほどの熱と湿度を帯びた声。
永遠の愛を誓うような。
それとも私に永遠の愛を乞い、すべてを奪いつくそうとするような。
怖いはずなのに、どうしようもなく安心して、喜んでしまう自分がいる。
「…やっぱりルカはずるい」
小さく呟くと、「知ってる」とルカは笑った。
昔と同じ、ふにゃっとした笑顔で。
「本当は、最初から逃がす気なんてなかったのかもね」




