16.社畜のプレゼンは最強
十日間は、あっという間だった。
朝から晩まで──もちろん定時内で──資料を作り続けた。帳簿の整理、改善データの集計、グラフの作成、報告書の清書。
グラフ、というものがこの世界にはなかった。
だから作った。
前世の経理部で叩き込まれた「数字は視覚化しろ」の鉄則。棒グラフ、折れ線グラフ、円グラフ。全て手書きだから腕が死にそうだったが、前世でパワポのデータが飛んで手書きで乗り切った経験が活きた。
(Excelがない世界でグラフを手書きする日が来るとは思わなかった。前世でも佐藤部長は「手書きの方が気持ちが伝わる」とか言ってたし。結果的にあのパワハラ指導が役に立ってるの、複雑な気持ちだ)
「お嬢様、この棒が並んだ絵は何ですか……?」
「棒グラフよ。数字を絵にしたもの。偉い人は数字の羅列を読んでくれないから、絵にして見せるの」
「お嬢様のおっしゃることがわかりません……でも、この絵がすごいことはわかります……!」
ルルは本当に結論を掴む天才だと思う。
*
調査団が到着した日の朝は、よく晴れていた。
城門の前に馬車が三台。降りてきたのは三名の財務官と、護衛の騎士十名。先頭の白髪の男が団長らしい。目つきが鋭い。
(あの目、前世の会計監査法人の主任と同じだ。数字に厳しいタイプ。逆にやりやすい)
その後ろに──もう一人。若い男がさりげなく降りた。愛想のいい笑顔だが、目だけが笑っていない。
(聖女の手先だな。前世のお局派閥の人間と同じ目をしてる)
フリッツと目が合い、小さく頷き合った。マークする人物について共有済みだ。
大広間での形式的な手続きの後、団長が言った。
「カタリーナ・フォン・ヴァイスフェルト殿。財務状況について確認させていただきたい」
「はい」
一歩前に出た。
(さあ、プレゼンの時間だ)
*
作業部屋に案内し、四ヶ月分の資料を広げた。帳簿、取引台帳、改善データ、手書きのグラフ群。
「こちらが四ヶ月間の収支推移です。着任時、年間赤字率が収入の三割に達していました。原因は不正商人による仕入れ価格の水増し、非効率な流通経路、帳簿管理の不備の三点です」
折れ線グラフを示す。赤字から黒字へ、きれいな右肩上がりの曲線。
「まず帳簿管理を複式簿記に移行しました。収入と支出を二重に記録することで、不正を構造的に防ぐ仕組みです」
二冊の帳簿を並べて見せた。従来のものは走り書きの数字が並ぶだけ。改善後は整然とした二列の記録が、一頁の狂いもなく続いている。
「次に仕入れルートを最適化し、コストを四割削減。削減分は領民の生活基盤に再投資しました」
棒グラフで改善前後のコスト比較を示す。団長の隣の財務官が「四割……」と声を漏らした。
続いて栄養改善データ。衛生改革と食料供給の安定化により、冬季の病人数は前年比五十六パーセント減少。市場の活性化データ。出店数、取引量、近隣領地からの来訪商人数。
全てにグラフが添えられ、数字で裏付けられ、改善の根拠が明示されている。
団長が資料を手に取り、頁をめくった。目つきが変わっていた。鋭さは消えていないが、そこに驚きが混じっている。
「……こんな完成度の報告書は初めてだ」
(前世の佐藤部長、あなたの「やり直し」地獄のおかげで報告書の品質だけは天下一品になりました。感謝はしませんが)
──その間、聖女の手先と思しき男が、さりげなく部屋の隅に移動していた。
私の目は、ずっとその男を追っていた。
*
男が動いたのは、団長たちの注意が帳簿に集中している隙だった。
棚に近づき、取引台帳の束に手を伸ばす。小さな紙片を滑り込ませようとした瞬間──
「あら。何をされていますか?」
穏やかに声をかけた。社会人の微笑みを添えて。
「い、いえ……資料を確認しようと──」
「その紙片は、元の資料にはないものですね。──フリッツさん」
フリッツが壁際からすっと進み出た。
「この方の動きを記録しておりました。部屋に入った時刻、棚に近づいた時刻、手を伸ばした時刻。全て控えてあります」
男の顔が青ざめた。
私は一歩前に出て、男の手から紙片をそっと抜き取った。広げて見せる。
「偽造された取引記録ですね。日付と金額が記されていますが、この日付の取引は存在しません。なぜなら」
帳簿を開いた。該当の頁を示す。
「この日は休市日でした。取引そのものが行われていない日です」
男が何か言おうと口を開いたが、私は続けた。
「不正は帳簿に残りますよ。──そして、帳簿にないものを帳簿に足そうとした痕跡も、残ります」
部屋が静まり返った。
団長がゆっくりと男に向き直った。
「……君は、何者だ。──騎士を呼べ」
護衛の騎士二名が男を連れ出した。男は最後まで何も言えなかった。
*
男が退室した後、団長が静かに口を開いた。
「率直に申し上げる。この領地の運営状況は、我々の想定を大きく超えていた。帳簿の精度、改善の実績──いずれも王都の模範となる水準だ」
「……ありがとうございます」
目の奥が熱くなった。我慢する。プレゼン中に泣くのはまずい。
「国王陛下には、ありのままを報告する。反乱の兆候は一切なく、追放された令嬢が領地の発展に多大な貢献をしている、と」
団長が深く頭を下げた。
(勝った……。前世の会計監査を全部Aランクで通過した実績は伊達じゃない)
フリッツが後ろでにやにやしているのが見えた。
「お見事です、カタリーナ殿」
「フリッツさんのサポートあってのことです」
「ご謙遜を。あの資料は一人で作ったのでしょう」
(前世の癖で、報告書は自分で作らないと気が済まないんです。佐藤部長の「全部一人でやれ」が骨の髄まで染みてるんです)
調査団は翌日、辺境を発った。団長は去り際に私の手を握り、もう一度「見事だ」と言った。聖女の手先は偽造文書と共に護送された。
*
夕方、城壁の上で風に当たっていると、フリッツがやってきた。
「お疲れ様です。完勝でしたね」
「帳簿に嘘がなければ、監査は怖くないんです。前世で学びました」
「ところで、カタリーナ殿。閣下が少し……いえ、かなりお怒りのようです」
「え?」
「調査団に不審人物が紛れていた件です。あなたを陥れようとした件」
「でも解決しましたよ──」
「閣下は、そうは思っていないようですよ」
フリッツの奥に、真剣な何かが見えた。
「閣下の怒り方を、カタリーナ殿はまだご存じないでしょう。あの方は声を荒げません。代わりに──まあ、明日になればわかるかと」
(オスヴァルトさんが怒ってる? 問題は解決したのに──)
夕日が沈んでいく。フリッツの意味深な笑みが、妙に頭に残った。




