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番外編:境界線の上に腰掛けて(Side:セイラン)

本編「復讐は合法的に。」のサイドストーリーです。

第五話の後、セイランがアルドをどう見ていたのかを描きました。

第六話と合わせてお読みいただくと、より深くお楽しみいただけます。

「恩を返す時が来た」


アルドから届いた手紙は、かつての彼らしい、理知的で情熱的な言葉で綴られていた。

彼の招きに応じ、私がベルティスの土を踏んだその日。

再会したアルドは、以前よりもずっと、理想的な「領主」の顔をしていた。


10年前と同様に、ベルティス領は魔導資源の輸出制限をされていた。

しかしアルドは、経済という暴力に屈せず、知性と技術で立ち向かおうとしている。

「反乱地域」と呼ばれ、ガリウム領から圧力を掛けられている身として、ともに立ち向かう同志として、とても頼もしく感じた。


しかし、交流を深めるうちに、その印象は変わっていった。

側近たちとの距離感。

自身を顧みず資料を探す姿。

さすがにひとりで抱え込みすぎだと、つい料理を差し入れてしまった。


彼は微笑んでいることが多い。

非の打ち所がない微笑と、迅速かつ適切な指示。

あまりも完璧な「領主」の姿に、周囲の人々は「理想の領主だ」と心酔している。

私は、その時に一抹の不安を覚えた。


決定打は、マリナから、果物を差し入れた話を聞いたときだった。

彼は「甘いな、マリナ。……今の私には、少し贅沢すぎるほどだ」と言ったらしい。

周囲は彼が浮かべた穏やかな微笑に、ただの賛辞と受け取ったようだったが、おそらく違う。

彼は、「喜び」や「幸せ」を享受することを、良しとしていない。

私は、彼が浮かべる微笑みが、こちら側の世界と、彼が住む深い闇を仕切るための『境界線』であることを感じ取ってしまった。


その原因については、すぐに思い至った。

父を殺した「理不尽なシステム」を食い破るために、彼は自分の心の一部を、装置に置き換えてしまっている。

彼は気づいているのだろう――自身が憎む「理不尽なシステム」に、自分自身がなろうとしていることに。

だからアルドは、果実の甘みを「贅沢」と呼び、彼自身に、普通の人間が享受する幸せを許さない。


「アルド。君は――正しいことをしたんだ」


彼の罪悪感を少しでも減らしたい。

そう思って私が放ったその言葉に、彼の瞳が一瞬だけ迷子の子供のように揺れた。

その時、私は悟った。

彼は肯定を必要としているのではない。

むしろ、彼から見た「普通で、善良な」人間が、自分の内側の闇を知らずに笑っていることに、安堵と、そして埋めようのない隔絶を感じているのだ。


「…君は、独りでその境界線を守り続けるつもりなんだね、アルド」


彼は『向こう側』で笑い合う私たちを守るために、彼一人を「こちら側」にとどめ、泥を啜り、死の秒読みを数えることを選んだ。

私をその泥に招き入れないことが、彼にとっての唯一の「人」でいられる部分なのだろう。


だが、アルド。君は知らない。

君がどれほど冷徹に、完璧に演じようとしても、その指先が指輪に触れるたび、微かに震えていることを。


君がその境界線を越えてこちらに来ることを拒むなら、せめて私は、その境界線の上に腰掛けよう。

君が呑み下している毒が苦いならば、せめて隣で、私は苦い茶を飲もう。

君が守り抜こうとするこの「清廉な世界」が、どれほどの犠牲の上に成り立っているのか。

私は、知らないふりをしながら、君の隣に居座り続けよう。


「では、仕事に戻るよ、セイラン。まだ、やることがたくさんある」


歩き出す彼の背中は、誰の理解も拒絶している。

私は、彼が踏みしめる土の汚れも、彼が背負う沈黙の重さも、すべて知った上でその後を追う。


私は、君の隣で変わらず笑い続ける「ただの人間」でいよう。

いつか君が、ふと自分の手が冷たすぎると気づいたとき。

私が差し出した手の温かさを、ただの「友人の体温」として受け取れる日が来るまで。


私は、君が引いたその線を、消すのではなく、共に跨いで歩いていく。

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