エピローグ「雨の告白」
※このシーンは、アルドの内面を描いた真のエンディングです。
Scene5の爽快な結末で満足された方は、そこで終わっても物語は完結しています。
しかし、この物語の本当のテーマを知りたい方は――どうぞ、最後までお付き合いください。
視察の馬車から見える景色は、歓喜に満ちていた。
露店では人々がベルティスの『清廉な資源』を笑顔で購入していく。
それを、アルドは馬車の窓から、茫洋とした眼差しで見つめていた。
「――彼らは知らない。この『クリーン』という美しい言葉が、『刃』であることを」
呟きは、誰に届くこともなく革張りの座席に吸い込まれる。
アルドは、疲れたように目を閉じた。
† † †
それは、父が死ぬ1年ほど前のことだった。
13歳のアルドは、父――ベルティス領主と一緒に領内を視察していた。
魔導具の工房が立ち並ぶ商店街。
人々は笑顔で働き、活気に満ちている。
「父上、すごいです! みんな、とても楽しそうです!」
アルドは目を輝かせ、街を見回す。
そんなアルドを見ながら父は、優しく微笑む。
「ああ。これが――領主の仕事だ、アルド」
父は、工房の一つを指さす。
「人々が安心して働ける場所を作る。笑顔で暮らせる環境を整える。それが、領主の使命だ」
アルドは、父の横顔を見つめ、小さく呟く。
「俺も――俺も、父上のような領主になりたいです」
父は、アルドの頭に手を置いた。
手の温かさに、アルドは照れ臭そうに笑う。
「お前なら、必ずなれるよ、アルド――ただし」
父の表情が、わずかに曇る。
「領主は、時に重い決断を迫られる」
「重い、決断……?」
「ああ」
そういって、父は遠くを見つめた。
「誰かを守るために、誰かを犠牲にしなければならないこともある」
アルドは、父の言葉の意味が分からなかった。
「でも――」
父は、再びアルドを見て、微笑んだ。
「お前は、俺よりも賢く、優しくなるだろう。だから、きっと――」
父は言葉を切り、ゆっくりとアルドの頭を撫でた。
「きっと、もっと良い道を見つけられるだろう」
アルドは、頷いた。
「はい! 必ず、父上のような立派な領主になります!」
「ああ。期待しているよ、アルド」
二人は、夕日に染まる領を見つめた。
工房から聞こえる金槌の音。
商人たちの笑い声。
子供たちの遊ぶ声。
「この景色を――」
父が、静かに言う。
「ずっと、守り続けたい」
アルドは、そんな父を眩しく見つめた。
――しかし、それから1年も経たずに。
あの景色は、失われた。
† † †
その日、アルドはいつものように執務室の扉を叩いた。
「父上、朝食の時間です」
いつもはすぐに返事があるのに、今日はなかった。
「……父上?」
もう一度、アルドは扉をノックする。
やはり、返事がない。
「父上、失礼します――」
雨が打ち付ける窓を背にした執務机に、父はうつぶせになっている。
「こんなところで寝たら、体調を崩しますよ――」
父に近づいたアルドは、机の上に封書と領主の指輪が外しておいてあることに気づいた。
その近くに、空になった小瓶が転がっている。
不眠に対し処方されていたそれは、数日前に見たときはたくさん入っていたはずだ。
「……父、上……?」
腕の間から覗く父の顔は、紙のように真っ白だ。
アルドの足が、震えた。
一歩、また一歩と、父に近づく。
「父上…父上……っ!」
父の肩にかけた手に、体温が感じられなかった。
「父上ッ!」
アルドの叫びが、朝の屋敷に響き渡った。
† † †
父の死を悼むように、雨は数日降り続けている。
雨の音に包まれ、アルドは一人、父のベッドに腰かけていた。
遺言の封書を、何度も何度も読み返す。
「…経済で、負けるな……」
何度も握りしめた紙には、多くの皺が入っている。
「どうして、父上は死ななければならなかったんだ」
ガリウム領主の言葉が、アルドの脳裏をよぎる。
『輸出制限は、合法的な主権の行使である。文句があるなら、王立法廷に訴えればいい』
「あいつの輸出制限が、この領を追い詰めた。でも、あれは合法で――悪くないということだ」
アルドは遺言を握りしめたまま、ふらりと立ち上がる。
おぼつかない足取りで部屋を出るアルドを、老執事が距離を取りながら見守っていた。
灰色の空から、ポツポツと雨が降っている。
アルドは傘もささず、敷地内の父の墓を目指して歩く。
新しい墓石。
まだ花も枯れていない。
「父上……」
墓石に触れながら、アルドは目を閉じた。
「父上は、領民のために頑張っていました。俺は、父上が命を捨てなければならないほど間違っていたと、どうしても思えません…」
雨がアルドの全身を濡らしている。
低く沈んだ声で、アルドはつぶやく。
「輸出制限は、わが領にとっては間違いなく暴力でした。父上を殺したのは――」
アルドは顔を上げた。
「『経済』という理不尽なシステムですね――」
アルドは立ち上がり、遠くガリウム領の方角を見据える。
「ならば、俺は――合法的に、復讐する」
アルドの口元に、歪な笑みが浮かんだ。
「たとえ何年かかっても…。そのシステムを、終わらせます」
† † †
屋敷に到着し、馬車を降りたアルドは、出迎えの者たちを制して一人庭へと向かった。
空からは、あの日――父が逝った日と同じ、灰色の雨が落ち始めていた。
傘も差さず、アルドは冷たい雨に身を晒す。
掌を上に向けると、無数の雫が跳ねた。
それは『クリーン』という基準に適合できず、排除された者の涙のようにも感じられた。
「――合法的、か。……父上」
誰にともなく零した声は、形を保てないほどに震えていた。
「俺は復讐を終えるまで、心から笑えませんでした。あなたを裏切るようで。終えた時には、この苦しみから解放されると、思っていましたが…」
顔を伝い、大きな雫が顎の先から落ちる。
「――俺は、本当にまだ『人』なのでしょうか……」
アルドの唇が、自嘲気味に、歪な弧を描いた。
雨に煙る庭園は、かつてないほどに静かで、そして救いようがないほどに美しい。
やがて雨が止み、雲の切れ間から月光が差し込んだ。
アルドは濡れた顔を上げる。
「――それでも」
アルドは、自分の両手を見つめる。
この手が『刃』であったとしても――
「俺は、前に進むしかない」
庭園に、静かな決意が満ちていった。
TrueEnd.




