第四話「崩落」
「領主様――!」
側近が、血相を変えて執務室に飛び込んでくる。
「ガリウムが――価格を、半額に!」
書類作業を行っていたアルドの手が、止まる。
「…来たか」
側近から俯いたままのアルドの表情は見えない。
ペンを握る指先が、白くなっていた。
† † †
ガリウム領主の宣言が、大陸中を駆け巡った。
『魔導資源を、半額で提供する』
市場は激震し、ベルティス領では緊急会議が招集された。
同盟に参加している領主たちの顔は、一様に青ざめている。
「我が領の商人たちが、ガリウム産に戻り始めています…」
「コストが6倍まで開いては、商売が成り立たず…」
「…申し訳ないが、脱退させていただきたい」
一人、また一人と、同盟からの離脱を表明する。
通信機越しに、セイランが淡々と状況を報告する。
「同盟参加国――15まで減少したね」
財務官のエリカが、震える声で告げる。
「市場シェアは――2割を切り……1割8分です……」
アルドは領主の指輪へ視線を落とし、そうか、とだけ告げた。
† † †
その夜、エリカは執務室で一人、資料と向き合っていた。
計算式を書きなぐった紙が、机の上に散らばっている。
「……無理、だ」
エリカの手から、ペンが落ちる。
「現状のまま推移すれば、6ヶ月で財政破綻は避けられない…」
エリカは両手で顔を覆った。
「領主様……私は、数字で支えると言ったのに……」
数年前、罪を押し付けられ放浪していた日の記憶が、エリカの胸をよぎる。
アルドは「ペンを握る手に銃を突きつけるとは、ひどいことをするね。君のペンは君の意志で動かしていいんだ」と言って、エリカに職を斡旋した。
「…アルド様の役に立ちたくて、私はあなたの財務官を目指したのです」
エリカは顔を上げた。
潤んだ目は力強くランプの光を反射している。
新しい紙へ走るペンの音は、力強い音に変わった。
† † †
翌朝の会議。
側近たちの表情は、一様に暗い。
「領主様……もう、限界です」
「ガリウムとの和解をするしか――」
「大丈夫だよ」
アルドが、静かに微笑んだ。
「……領主様?」
全員が、困惑する中、アルドはゆっくりと立ち上がる。
「――ここからだ」
「……え?」
全員が、アルドを見つめる。
アルドは、カイルの報告書を取り出す。
「ガリウムの鉱山は、崩落する――おそらく、2週間以内に」
側近たちが、息を呑む。
「領主様――それは、いつから……?」
「とある筋からの報告だ。数週間前には、すでに聞いていた」
エリカが、震える声で問う。
「では、あの時……私たちに黙って――」
「すまない。だが、情報が漏れれば、ガリウムが補強に動いた可能性がある」
エリカが息を呑んだ後、新しい計算用紙を取り出した。
彼女のペンが高速で計算を綴り始める。
「ガリウムは今、価格を半額に下げた。つまり――限界まで、コストを削っている」
アルドは報告書を机の上に置いた。
「そのとき、彼らは対応できない」
会議室が、静まり返る。
アルドは、窓の外――ガリウム領の方角を見る。
「――俺たちは、待っているだけでいい。ガリウムが、自分で自分の首を絞めるのを、な」
エリカが手を止めた。
「ガリウム崩落後の市場予測では、資源価格は5倍に高騰。結果、クリーン資源への需要が爆発的に増加します。その場合、我が領の市場シェアは――」
エリカの瞳が、輝いている。
「7割以上となります……!」
「領主様――これは――」
活気を取り戻した側近達に囲まれながら、アルドは報告書に視線を落とし、ただ一人静かに考え込む。
「エリカ。ガリウム領付近で"大規模な救護演習"をするならば、予算はいくら出せる」
エリカが、信じられないものを見る目でアルドを見つめる。
「……アルド様、まさか崩落した場合にガリウム領へ支援をするつもりですか?」
「崩落に巻き込まれるのは、市民だ。罪のないものが犠牲になることを、俺はよしとしない」
言葉の強さとは裏腹に、泣きそうな表情のアルドを見て、エリカは溜息をついた。
「…お人よしですね、アルド様は。今後、増収の見込みがありますから、計算してみます」
「……ありがとう、エリカ」
即座に、エリカは救助活動の総費用を試算する。
「救助隊の派遣、機材の輸送、医療班の編成――合計で、金貨3,000枚程度の見込みです」
アルドはわずかに目線を落とし、口を開く。
「…『遺族支援費』の項目の追加を」
「領主様、それは――」
「救助活動の一環だ」
アルドは、窓の外を見る。
「…承知しました。では、一人当たり――」
「通常の慶弔金の3倍で」
エリカが息を呑む。
アルドは、窓の外を見たまま静かに告げる。
「彼らは、ガリウムのシステムの犠牲者だ――父と同じ。そして、俺は復讐のために彼らを助ける選択肢を取らない」
エリカはしばらく沈黙した後、深くうなずいた。
† † †
同じ頃――
ガリウム領の第三鉱山で、若い作業員――リオが天井を見上げた。
「……また、ひび割れが増えてる」
手には、カイルが残した資料。
『補強なしでは、崩落は時間の問題』
「技師長……」
彼は、周囲の作業員たちを見渡す。
カイルの失踪後、彼の残した資料を全員で回し読んだ。
『ベルティス領では、誰も死なない』
この一文が、彼らの心に火を灯した。
もともと、過酷な労働に耐えかねて失踪する者が時々出ていた。
「俺たちも――」
今は、計画的に失踪者が出ていた。
† † †
ガリウム領主府では、ガリウム領主が報告書を見つめていた。
「価格を半額にしたのに――まだ、同盟が残っているのか」
ガリウム領主が、報告書を机に置く。
「さらに下げろ」
側近が、青ざめる。
「領主様、これ以上は、我が領の収支が完全に赤字に――」
「短期的な赤字は構わん」
ガリウムは冷静に、しかし有無を言わせぬ口調で告げる。
「重要なのは、市場の支配だ。ベルティスを潰せば、価格は我々が決められる」
ガリウムは、窓の外へ視線を向ける。
「採掘量を増やせ。補強は――後回しでいい」
側近が、震える声で進言する。
「しかし、技師たちの報告では、崩落の危険が――」
「分かっている」
ガリウムは、側近を見る。
「しかし、今補強に投資すれば、価格競争に負ける」
「この国を支えているのは、この資源だ」
ガリウムの声が、低くなる。
「止めれば、何百万人が職を失う。多少のリスクは許容するしかない」
側近は、言葉を失った。
ガリウムは、再び報告書を手に取る。
「結果を出せ。それだけだ」
その3日後――
ガリウム領、第三鉱山。
リオが、いつものように坑道に入った。
手には、カイルが残した資料。
『崩落予測:今週中の可能性が高い』
『緊急避難場所:第5坑道補強区画(収容500名)』
『避難手順:警告音から30秒以内に避難開始』
「……もう、いつ起こってもおかしくない」
彼は、仲間たちに声をかけていた。
「もし、何かあったら、すぐに第5坑道へ」
仲間たちが、頷く。
† † †
午後2時。
ゴゴゴゴゴ……
「……!」
リオが、音に気づく。
「全員、避難!」
彼の叫びに、周囲の作業員が反応する。
「第5坑道へ!」
しかし、一部の作業員は、状況を理解できていない。
「何だ?」
「訓練か?」
ベテラン監督が、怒鳴る。
「勝手に持ち場を離れるな!」
リオが、叫び返す。
「崩落します! はやく、第5坑道へ!」
その言葉に、何人かが走り出す。
しかし、まだ、半数以上が残っている。
「早く!」
リオが、必死に呼びかける。
10秒――20秒――
ようやく、全体の8割が動き始める。
30秒――
ドガァァァァン!
坑道が、一気に崩れ落ちた。
† † †
第5坑道。
補強区画に、256名が避難していた。
リオが、人数を確認する。
「……64名が、間に合わなかった」
全員が、沈黙する。
「俺が――」
リオの声が、震える。
「俺が、もっと早く動いていれば……」
年配の作業員が、彼の肩に手を置く。
「お前のおかげで、俺たちは生きてる。カイル技師長も、喜んでくれるはずだ」
† † †
そのころ、地上では――
「坑道が崩落した!」
作業員達の家族たちが駆けつけ、現場は絶望に包まれていた。
作業員の名前を呼ぶもの、泣き叫ぶもの、呆然と座り込むもの。
ガリウム領主府は、混乱していた。
「救助隊を派遣してやれ」
「準備に時間が足りません!」
その時、部下の一人が執務室へ走りこんできた。
「ベルティス領から、救助隊が到着しました!」
† † †
ベルティス領の救助隊が、二方向から作業を開始する。
第一班:埋まった作業員の救出
第二班:第5坑道への通路確保
24時間――
第一班が、最初の生存者を発見する。
「こっちだ! 生きてる!」
しかし、多くはすでに息をしていなかった。
36時間――
第二班が、第5坑道に到達した。
瓦礫を除去し、扉が開かれる。
そこには――256名の、生存者がいた。
「助かった……」
リオが、泣き崩れる。
「でも――助けられなかった……」
救助隊長が、彼の肩に手を置く。
「ここにいる作業員達は、君が救ったんだ。カイル技師長の意思を、君は遂げて見せた」
† † †
最終的な被害は、崩落当初の予測より小さく収まった。
死者:37名(避難が間に合わなかった作業員)
行方不明:8名
重傷者:12名
軽傷者:67名
生存者:256名(第5坑道)+19名(瓦礫から救出)=275名
総作業員数:320名
† † †
報道が、大陸中を駆け巡る。
『ガリウム領第三鉱山、大規模崩落』
『死者37名、行方不明8名』
『カイル元技師長の「遺産」が275名を救う』
『ベルティス領の救助隊、36時間で救出完了』
そして――
『ガリウム領主「事故は不可避。コストをかけても防げない」と発言』
この一文が、市民の怒りを爆発させた。
とある魔道具屋で買い物をしていた市民が、店主に声をかけた。
「ガリウム産の魔導資源は使いたくないんだが。ほかの産地のものはないか?」
同様の出来事が、王国内の各地で起こり始めた。
大陸最大の商業ギルドでは受付に、ガリウムからの使者が訪れていた。
「資源供給契約の更新を――」
受付嬢が、淡々と契約書の束から一枚の紙を抜き取る。
ガリウムの名前が印刷された、古い様式。
そして――何も言わず、別の契約書を差し出す。
「申し訳ございませんが、こちらの様式は、もう使用しておりません」
彼女の声は、無感情だった。
「新しい様式には、『クリーン資源認証』の項目が必須となっておりますので、こちらに記入をお願いいたします」
使者が、青ざめる。
「し、しかし――」
「次の方、どうぞ」
受付嬢は、もう使者を見ない。
ギルドを訪れていた商人同士でも、魔導資源の購入について議論が交わされていた。
「今度の契約はベルティス産にするしかないな。高いけど」
「クリーンマークがないと、もう売れないからな」
市場が、静かにガリウム産の魔導資源に背を向けている。
† † †
ベルティス領。
アルドの執務室に、崩落の情報が届いたその時。
アルドは目を一度伏せ、報告した側近へ指示を出した。
「至急、国境付近で演習中の救助隊を派遣せよ」
側近が、目を見開く。
「領主様……」
「ガリウムの作業員を、全員助けるんだ」
アルドは、真っ直ぐに答える。
「誰一人、取り残してはならない」
側近は、背筋を正し拝命した。
その後、側近たちが入れ替わり立ち替わり、報告する。
アルドは、時折窓の外を見る。
エリカが、資料を抱えて入室してきた。
「領主様――!」
彼女の瞳が、輝いている。
「市場シェアが――2割から、3割に!4割に到達しそうです!」
「領主さまの慧眼には感服いたします!」
アルドは微笑んだ後、印がついたカレンダーを見つめた。
予測:3ヶ月以内
実際:2ヶ月と3週間
「……予測通り、か」
アルドは、視線を窓の外へ向けた。
遠く、ガリウム領の方角。
「カイル……君の予測が、世界を変えた」
アルドは魔導資源を手に取り、握りしめる。
「次は――再生だ」
アルドは魔導資源を窓の光にかざした。
蒼く輝く結晶が、光を放つ。
「この光は、誰かの犠牲の上に成り立つものであってはならない」
† † †
崩落から1週間後。
アルドは、犠牲者37名の遺族全員と、個別に面会していた。
執務室には、遺族が一人ずつ通される。
「……息子さんを、救えませんでした」
アルドは、深く頭を下げる。
「力及ばず、申し訳ありません」
老婆が、震える手でアルドの手を握る。
「いいえ。あなたは、できる限りのことをしてくださった」
老婆の目には、涙が溢れている。
「息子の同僚たちが――256人も助かったと聞きました。それだけでも――」
アルドは、何も言えず、ただ頭を下げ続ける。
† † †
さらに――
アルドは、犠牲者37名全員の名前を、石碑に刻ませた。
『ガリウム領第三鉱山崩落事故 犠牲者慰霊碑』
そこには、37の名前と、こう刻まれている。
『この悲劇を、二度と繰り返さぬために』
花を手向け、一人ひとりの名前を読み上げる。
側近が、遠くからその姿を見守っている。
「……領主様は、全てを背負われるおつもりか」
側近の呟きは、誰にも聞こえない。
その後アルドは何度も、この慰霊碑の前に立つこととなる。
† † †
数週間後――
ガリウム領内で、変革の風が吹き始めていた。




