第二話「深海の蒼光」
翌日は、雨だった。
アルドは執務室に信頼できる側近たちを集め、昨夜の経緯を共有する。
そして、宣言した。
「3ヶ月で、ガリウムへの依存を断つ」
側近たちは一瞬言葉に詰まる。
「領主様、それは無茶です!」
「代替の資源供給など――」
アルドが、手を上げて制する。
「昨夜、すでに豊璃自治島に、密使を送った」
「豊璃ですか? しかし、あの島には資源など――」
「資源がないからこそ、技術がある」
アルドは、窓の外を見る。
窓にあたる雨は、外の世界を歪に見せている。
「恩を返す時が来た――そう、伝えた」
側近たちは困惑した顔を見合わせた後、唇を引き結んで頷き合った。
† † †
数日後、豊璃自治島から届いた返答は、予想以上に心強いものだった。
「我々にできる限りの協力をするよ」
返答を伝えに自ら来訪した、島の代表――セイランと、アルドは握手を交わす。
黒縁の眼鏡の奥に、鋭い知性を宿す瞳。
豊璃自治島は「領」として認められていないため、彼は「代表」という肩書きを持つ。
認められない理由は、ガリウムが自領の「反乱地域」と主張し続けているからだ。
「きっと、豊璃自治島の技術を認めさせてみせましょう。ベルティス領への支援の恩を、返させてください」
「僕たちは、君の父上から受けた恩に報いただけだったんだけどなぁ」
照れくさそうに頬をかいたセイランは、左手を胸に当てた。
「ベルティス領主。我々は、貴方の勇気に応えたい」
セイランが広げたのは「魔導資源精製炉」の設計図。
「僕たちの島は、資源を持たない。だからこそ、少ない資源で最大の成果を出す技術を磨いてきた」
粗悪な原料でも、高純度に精製する革新技術。
「ガリウムが魔導資源を安く提供できるのは、人の命と大地を犠牲にしているからだ」
設計図を広げるセイランの指先に、力が入る。
「鉱毒は垂れ流しで、植物が一切育たない不毛の大地が広がっている。作業員達は防護服が支給されず、50代まで生きられれば長生きと言われている――でも」
セイランが瞳を伏せる。
「ガリウムの魔導資源がなければ、王国の魔導具産業は発展しなかった」
アルドが頷く。
「そうですね。…確かに、彼らの技術は一級品です。10年前も、そう思っていました」
セイランがはっと、アルドを見る。
「ガリウムに依存しない体制を作る。それが、父への供養です」
セイランは、しばらく瞑目した後――口を開く。
「……我々は協力するよ。同じ痛みを知る者として」
セイランが顔を上げ、アルドの執務室の壁に貼られた領の地図を見据えた。
「しかし――いくら技術があっても、原料がなければ意味がない。ベルティス領に、何か資源は眠っていないかい?」
† † †
それから数日、アルドは資料室で領内の古文書を漁った。
執務の合間を縫い、あたりをつけた棚の端からすべて読み込んでいく。
寝る間を惜しみ机にかじりつくアルドを、側近が交代で支える。
あるものは飲み物を差し出し、あるものは毛布を肩にかける。
誰も「休め」とは言えず、ただ見守るしかなかった。
棚の上段から中段へと進み、最下段の終わりが近くなった、ある日。
せわしなく文字を追っていたアルドの瞳が、止まった。
アルドの長い指が、文字をゆっくりとなぞる。
『領の東方沖、深き海底に"蒼き光"を見たと、漁師が――』
アルドのかさついた唇が、弧を描いた。
「……ここだ」
アルドは、すぐに伝令を走らせた。
† † †
数時間後。
資料室の重い空気の中に、突如として食欲をそそるスパイスの香りが混じった。
「ベルティス領主。……いや、アルド。根を詰めるのもいいが、魂が体から抜け落ちそうだよ」
振り返ると、セイランが紙包みを差し出していた。
中には、豊璃島特産の香草で煮込んだ熱々の料理が入っている。
「忙しいんだ、セイラン。今は一分一秒が――」
「その一分で一口食べなさい。僕たちの島ではね、『空腹の男に良い知恵は宿らない』と言うんだ」
セイランはアルドの机の上の資料を、少しだけ強引に脇に寄せた。
「君は父上の無念を背負いすぎだ。でも、倒れてしまったらその重荷を誰が運ぶんだい? ……ほら、毒は入っていないよ。僕が毒味をしておいたからね」
セイランは眼鏡を押し上げ、優しく、しかし有無を言わせぬ微笑みを浮かべる。
アルドが一口食べ、その温かさに肩の力が抜けるのを見届けた。
差し入れを全て食べ終えたアルドは、古文書を広げる。
「セイラン――見てくれ。これを」
アルドが指し示したのは、漁師の記録。
「『領の東方沖、深き海底に"蒼き光"を見た』――これは、もしかして」
セイランの瞳が、輝く。
「魔導資源の鉱床か……!」
「専門家を、派遣してもらえるだろうか?」
「もちろんだ。すぐに連絡を取ろう」
セイランは立ち上がり、アルドの肩を叩く。
「君は休め。ここからは、僕たちに任せてくれ」
「……ありがとう、セイラン」
アルドの声が、わずかに震える。
「君がいてくれて、本当に――」
「礼には及ばないよ。僕たちは、同じ痛みを知る者同士だからね」
セイランが優しく微笑み、資料室を後にする。
アルドは、空になった紙包みをそっとつついた。
† † †
深海探査の専門家チームはすぐに派遣された。
チームを率いるのは、30代前半の女性――マリナ・オーシャンウェルだった。
短く切り揃えた栗色の髪。日焼けした肌。
作業服の上から、様々な計測機器を身につけている。
「マリナ・オーシャンウェルです。深海探査を担当します」
彼女は海図を広げる。
「調査ポイントについて、分かっていることを教えてください」
アルドの持つ情報を確認し、現地近くの住民たちへの聞き取りが行われた。
さらに、海流や地形、過去の探査記録など、調査に必要な条件を一つずつ洗い出していく。
すべての準備が整うまで、数週間を要した。
そして――ベルティス領で初の深海調査が始まる。
当日。
専門家チームとともに、アルドは調査ポイントまで船で移動した。
映像を記録する機材を海へ投げ込むと、海底へと沈んでいく。
100m…200m……500m……1000m……
アルド達は、映像確認用のモニターを見つめる。
画面はただ黒く、降下距離だけが更新されていく。
船内には、波の音だけが響いている。
5000m.....5500m......
マリナが、息を呑む。
「……来ます」
徐々に画面が青く明るく変化しはじめた。
海底6000m。
モニターに、一面に広がる淡い蒼光を放つ鉱床が映し出された。
「………っ」
アルドは口を開きかけ、閉じた。
誰もが言葉もなく、画面を見ている。
「信じられない……これほどの鉱床は、見たことがありません」
マリナが、震える声で呟いた。
それが呼び水のように、船内が歓声で沸き立つ。
マリナは、計測データを確認しながら続ける。
「埋蔵量は――」
彼女の声が、わずかに震える。
「王国の全領地で使用しても、百年以上……いえ、二百年は持つかもしれません」
船内が、再び静まり返る。
アルドは瞳を閉じ、長く息を吐いた。
体勢を崩したアルドを、側近が慌てて支える。
豊璃自治島へ通信していた調査員が、アルドに通信機を手渡す。
震える手で掴んだ通信機の向こうから、セイランが声をかけた。
「おめでとう、ベルティス領主。君の領は、資源輸入国から輸出国になるよ」
アルドは隈の浮いた顔で、口角を上げた。
その夜。
アルドは一人、父の墓前に立っていた。
「父上――」
アルドは、蒼く輝く結晶を、墓石に置く。
「これが、ガリウムを超える、資源です」
アルドの声が、震える。
「10年――」
アルドは、墓石に額をつける。
「毎日、毎日、この日を夢見て……」
アルドの拳が、震える。
「復讐の、準備が整いました」
風が、アルドの黒髪を撫でる。
「父上が望んでいたこと――俺は、理解しています」
アルドは顔を上げ、遠くガリウム領の方角を見る。
「必ず、やり遂げます」
月が雲に隠れ、あたりは闇に包まれた。
† † †
翌朝。
側近が、アルドの執務室を訪れると、アルドは机で眠っていた。
「……アルド様」
側近が肩を揺すると、アルドが目を覚ます。
「……ああ、すまない」
「また、徹夜ですか」
側近が、心配そうに問う。
「大丈夫だ」
アルドは立ち上がったが、少しふらついた。
「アルド様!」
「……大丈夫だ。これくらい――」
アルドは指にはまった領主の指輪を見つめた。
「父上に比べれば、何でもない」
側近は、しばらくの沈黙の後、小さく呟く。
「……領主様。ご自分を、大切になさってください」
アルドは、答えず、窓の外、ガリウム領の方角を見つめていた。
深夜まで及ぶ外交交渉を終え、アルドは冷えた空気の中、実験場へと足を運んだ。
そこで目にしたのは、意外な光景だった。
煌々と照らされた作業場から、軽快な音楽と、マリナの快活な笑い声が聞こえてくる。
「あ、領主様! ちょうど良かった、これ見てください!」
作業服の袖を捲り上げ、冷えた果実を手に持ったマリナが駆け寄ってくる。
彼女の肌は日焼けして健康的で、瞳には疲労ではなく、純粋な好奇心が溢れていた。
「精製炉の冷却水、排熱を利用して熱帯の果物を育てる温室を作っちゃいました。ほら、マンゴーです。ここの潮風に当てたら、故郷の味にそっくりになりましたよ」
マリナが差し出した果実は、甘く爽やかな香りを放っている。
「……こんな時に、こんなことを?」
少し呆れたようなアルドの問いに、マリナはいたずらっぽく片目を瞑った。
「遊びじゃないですよ、『心の安全点検』です。余裕がない現場じゃ、小さな異変に気づけませんから。……領主様も一口どうぞ。そんなに眉間にシワを寄せてたら、せっかくのクリーンな資源が濁っちゃいますよ」
促されるまま口をつけたアルドは、わずかに目を見開く。
それから、その目元を少し和らげた。
「……悪くない」
「でしょ? さあ、糖分を補給したら、明日も『正しく』働きましょう!」
楽しそうなマリナと作業員達を、アルドはどこか眩しそうに見ていた。
† † †
同じ頃――ガリウム領内。
鉱山技師長カイル・ハーゲンは、崩れかけた坑道を見上げていた。
「いつになったら補強されるんだ……」
40代半ばの男。ガリウム領の国営鉱山で、20年働いてきた。
かつて、彼もまた変革を夢見た時期があった。
だが、声を上げた同僚たちは、次々と左遷され、消えていった。
カイルは生き残るために、沈黙を選んだ。
「……もう、限界だ」
呟いたカイルの手には、補強申請の却下通知が握りしめられている。
若い部下――リオが、カイルの手に握りしめられた報告書を見て青ざめた。
「技師長、このままでは崩落します…!」
「分かっている…!」
カイルは、領主府に何度も報告書を出した。
しかし――返ってくるのは、いつも同じ答え。
『無駄なコストはかけられない』
いつ崩落するか分からない坑道。
カイルは無表情で作業する部下たちを見渡し、奥歯を噛みしめる。
「俺は……何をしているんだ」
リオは、手に持ったツルハシを握りしめ呟いた。
「最近、ベルティス領で……人が死なない採掘をしてるって噂があるんです」
「…どういうことだ…?」
「自分も詳しくは分からないんですが……」
リオから噂を聞いたカイルは、その夜、検問を避けるため、街道を外れた山道を選び、隣領へ向かった。
『クリーン資源プロジェクト』と名付けられたそれは、見学は希望者に開かれており、カイルはそこに参加する。
そこで見たものは――
作業員が、穏やかな表情で働いている。
防護服、マスク、手袋を着用しており、鉱毒を浴びる心配がない。
「ここでは……誰も死なないんですか?」
カイルの声が震える。
鉱山監督が、穏やかに答える。
「ええ。当たり前です」
カイルは、言葉を失った。
そして、その場で泣き崩れた。
† † †
ベルティス領の詳細を持ち帰ったカイルは、噂を教えてくれたリオへ報告する。
「…俺は、近いうちにベルティス領に亡命する。お前も一緒に行くか」
リオは泣きそうな顔で笑った。
「ありがたい申し出ですけど…。…母が体調を崩しています。隣領まで耐えられないかもしれない」
「……そうか。母君の体調がよくなったら、来い。ベルティス領で、待ってる」
「…はい」
それから数日、カイルは何度も書きかけては、紙を丸めて捨てた。
「俺は……逃げるのか」
カイルは、窓の外を見る。
崩れかけた坑道で、今日も仲間たちが働いている。
「一緒に戦えば――いや」
カイルは首を振る。
「声を上げたら潰される、それだけだ。だから、せめて――」
誰が見ても、問題のない内容になるように。
責任を取らされる人が出ないように。
最終的に残ったのは、現場を生かすための記録だった。
カイルは、部下たちの名前を一人ずつ思い浮かべながら、資料を書きあげる。
ベルティス領の採掘工程、安全装備、作業時間――ガリウムでは「不要」と切り捨てられる内容ばかりだ。
最後に、現時点で第5坑道だけは補強されていることを追記した。
「事故対策用の参考資料だ」
そう言って、完成した資料をリオに託す。
「上には見せるな。現場で回し読むだけでいい」
リオは、察したように唇を噛みしめ、深く頷いた。
その夜、ガリウム領からひとりの技師長が失踪した。
ベルティス領で『クリーン資源プロジェクト』への参加を希望したカイルを、アルドは呼び出した。
「ガリウム領の鉱山で働いていたと聞いた。詳しく聞きたい」
カイルは、アルドへガリウム鉱山の実態を詳細に報告した。
途中、何度か言葉を選ぶように口を閉じながら。
アルドは、一度も口を挟まずに聞いていた。
「いつか、崩落が起きます」
カイルは、震える手で持ち出した報告書を広げる。
度重なる補強の申請への、不受理。
「領主は、作業員を『消耗品』としか見ていません。でも――」
カイルは、アルドの瞳を見ながら言葉を続ける。
「現場の監督たちは、違います。みんな、何とかして部下を守ろうとしているけど…、声を上げられなかったんです。自分が消されるのは怖かった…俺は、資料を残して逃げるしかできなかった…」
アルドは、瞳を潤ませるカイルの肩に手を置いた。
「大丈夫です。…あなたのような人がいる限り、ガリウムにも希望はあります」
その夜。
月の光が差し込む執務室で、アルドはカイルの資料を読み返していた。
ガリウム鉱山の詳細な危険箇所。
そして――「崩落発生確率」の予測。
『現状のまま採掘を続ければ、6ヶ月以内に大規模崩落の可能性:80%以上』
アルドは数字をなぞり、目を伏せた。
「……カイルに適切な指示を届けさせれば、死者は激減するだろう。だが、カイルを危険に晒し、計画にも支障が出る」
アルドは窓辺へと移動し、満ちかけている月を見上げる。
「俺は、復讐者だ。聖人じゃない――だが、支障がない範囲でなら」
アルドはベルを鳴らし側近を呼び、低い声で告げた。
「鉱山の崩落を想定した救助隊の編成を。有事の際に迅速に出動できるよう常から準備し、誰一人取り残さぬよう――頼む」




