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8話『天狗と金勘定』


 九子は店の二階、自分の部屋にてお房と対面し座っていた。目の前には紙と筆が置かれている。


 江戸に来て二日目。とりあえず朝と昼の営業も程々にこなして、改めて様々なことを確認しようと考えたのだ。

 具体的には生活費や事業費などを知っておく必要がある。

 九子は今、無一文である。食費や風呂代は六科が出していて、九子が江戸を観光して回るにも、店の売上を伸ばすにも先立つものが必要だ。


「金を稼ぐためにはどれだけ物を売れば儲けが出るのか。そういったことをまず確認せねばのう」

「ねえねえ、九子。確認って言ったら天狗の道具、どんなのを持っているの? 見せて欲しいの」


 お房が目を輝かせてそう聞いてきた。彼女は天狗に興味津々であった。

 普通子供ならばもっと恐ろしがってもいいものだが、と九子は苦笑する。出会ってから二日だというのにお房の中で九子はすっかり「善い天狗」ということになっているらしい。


「そうだのう。どれ、己れもあんまり使わんのがあるから見てみよう」


 九子はそう言いながら、術符フォルダから短冊のような札を取り出して並べてみる。

 それぞれ札は別の色で染められていて、幾何学的な文字が描かれていた。何らかの法則性に基づく文字であるようでお房にも作者にも簡単には解読できない。


「わあ、御札! 火が出たりするやつよね!」

「うむ。一応、危ないからあまり触るでないぞ。使うにはコツがいるが、不意に術が出るかもしれんからのう」


 異世界の技術で作られた魔法の術符。このマジックアイテムの便利なところは、本来ならば魔法など使えない九子でも念じれば扱えるというところなので、コツを掴めばお房でも使えるだろう。

 だが下手にやって火事など起これば危険なため、取り扱いには慎重さが必要だ。


「この札はそれぞれ効果が違ってのう。



 『炎熱符(えんねつふ)』……見せた通り、火を出して操ることができる。

 『精水符(せいすいふ)』……水を生み出してこれもある程度動かせ、洗濯物を洗える。

 『氷結符(ひょうけつふ)』……周囲の温度を下げる。寒くなって氷も作れるということだのう。

 『電撃符(でんげきふ)』……これは雷を出すから危ないぞ。

 『起風符(きふうふ)』……風を吹かすので夏に便利かのう。

 『砂朽符(さきゅうふ)』……地面を掘ったり砂にしたりできるのでなにか埋めるときに使う。

 『快癒符(かいゆふ)』……小さい傷が治り疲れも取れる。

 『隠形符(おんぎょうふ)』……透明になる。天狗の隠れ蓑といったところか」





 九子が次々に説明すると、お房は目を丸くして恐る恐るといった風に九子の腕を突いた。


「……九子、あんたってひょっとして偉い大天狗とかなの?」

「いや……違うが? どうしてだ?」

「だって天狗って確かに、大風を吹かせたり火を浮かせたりするみたいだけど、こんなに沢山術が一人で使えるなんてきっと凄い天狗なの」

「はっはっは。今はただのはぐれ天狗で居候だから気にするでない」


 偉い天狗だなどと名乗って実在(するかは知らないが)の天狗に違うと指摘されても困るので九子は曖昧に笑って誤魔化した。


「その首に巻いているのも御札?」

「うむ。『相力呪符(そうりきじゅふ)』は腕力がもりもり上がるやつだのう。相撲取りにも負けぬぞ」


 首に巻いているものを撫でながら教えた。この札だけは一枚しかないので、常に身につけているのである。

 なお異世界で作られた道具だというのに何故漢字の名前が付いているかというと、これらの道具は作られる際に九子が命名したからだ。

 実際に制作した魔女は九子から教えられた地球の文字を元にした特殊な魔術文字を作り出し、札に描いたことで術を使えるようにした。

 また、札以外にも九子の体──はだけている胸肌に魔術文字が直接刻まれている。これは常時体を治癒する効果がある。


「後は空を飛ぶ衣に、刀ぐらいだのう」


 着物の下に身につけている青白い衣を摘みながらそう言う。『疫病風装(えきびょうふうそう)』などという物騒な名前がついているので、名前まで教えなくてもいいだろうと九子は思った。空を飛ぶだけでなく、病気や毒も防ぐ効果がある。

 お房は衣の方は天狗の衣ということで納得しているのか、あまり見ない九子の大太刀に注目した。


「大きい刀なの。その刀はなにか特別なの?」

「うむ。この刀は凄いぞ。抜いて見せると、見せた相手が『凄い……』と見入ってしまう妖術が掛けられておるのだ」

「……なんか地味なの」


 微妙そうな顔をしたお房に、九子は刀を少しだけ鞘から抜いて見せた。

 ぎらぎらと白むような銀色をした刀身は室内だというのに輝いて見え、刀など実際に見たことがないお房であっても、背筋が冷えるほどに切れそうであり、美しくも恐ろしい刀であった。

 異世界で有名だった刀匠妖精ムラサメが鍛え上げ、それを素材に魔王が作り上げた特別な刀と鞘である。特性として破壊不可能なぐらいに頑丈であり、心構え無く見入った者にこう呟かせる。


「凄い……」

「ほれ、言った」

「あ! ……ま、まあ天狗の特別な刀だもの。名前はあるの?」

「アカシック村雨(ムラサメ)キャリバーン(スリー)

「あか……なんて?」

「アカシック村雨キャリバーンⅢ」

「……長いし意味がわからないの。なんでそんな名前なの? 『村雨』で良いんじゃないの?」

「己れも知らん。が、別にいいわな。村雨で」


 魔王が自信満々に名付けていた長い名前の武器は適当に縮められて呼ばれることになった。どうせあまり使う予定もないのだ。

 異世界ならともかくこの太平の世、江戸の市中で大太刀を振り回していれば恐らく捕まる。空を飛んだり消えたりして逃げることはできるのだが、平穏な生活を送れなくなるだろう。


「ま、いざとなったら刀は質に入れるとして……現実的に問題なのは己れの道具よりも金だ」

「天狗なのに俗っぽいの」

「天狗と雖も霞を食っておるわけではないからのう。生活費というものがある」


 九子は改めて紙と筆を手に、生活に必要な金額を計算し始める。


「折角なので己れと六科、それにお房三人で生活したときに掛かる金額を計算してみようかの。どうせ六科は無頓着だろうから。えーとまず食費だ。米代として……六科、結構な量をもりもり食っておったよな。どれぐらいと計算するか……」

「勉強を教えてくれるお姉ちゃんが、『一人扶持』というのは男が五合、女が三合を一日に食べる基準だって言っていたの」

「ふむ……そうすると六科が五合、己れとお房で六合……まあ計算しやすいように五合にしておくか。三人で一日一升使うとしよう」


 実際は六科がもう少し食べて、お房が子供だから少ないのだが合計するとその程度といったところだろう。


「米の価格は分かるかえ? お房」

「一升で百文ぐらいじゃなかったかしら」

「とするとこうだな」


 九子は紙に、

 

 米代:百文×三十日 三千文


 と、記した。現代価格に換算して、一日二〇〇〇円、一ヶ月で六万円ほど掛かる計算だ。なお江戸時代の一ヶ月は月齢で測り、二十九日の月と三十日の月があったが、大の月で計算している。

 米代だけで結構掛かるものである。しかしおかずがあまり無いことを考えると食費としてそう高いものではない。


「この『メ』って感じの印はなに?」

「掛ける、という意味で深く気にするな。ふむ、しかし幾らなんでも米だけで生活は厭だのう。おかずと味噌汁と……まあ四十文もあれば大丈夫だろう」


 九子はそう判断した。世間のおかずの値段はわからないのだが、店に出しているハゼが二十匹で僅か八文だった。そんなもの運んで売って儲けが出るのかと不安になる値段だ。

 昨日出したイワシも二匹で四文。下魚代表で肥料として使っていたとはいえ、もちろん塩焼きにした味は(鮮度はともあれ)現代日本で食べる天然物のイワシと変わらないのだから美味い。十分おかずになる。

 他にも納豆もたっぷり三人は食える量で四文だった。贅沢をしなければ三人で四十文もあればおかず代は賄える。


 おかず代:四十文×三十日 千二百文


「表店、家賃は払っておるのかえ?」

「月に二分だったと思うけど……滞納してなかったかしら」

「おいおい」

「長屋の家主がお祖父ちゃんだから待ってくれるの」


 六科は大家──というか差配人、管理人として長屋に住んでいるのだが、実際の土地建物は別の家主が持っている。

 それは六科の亡妻、お六の父親である呉服屋の主であった。なにせ金持ちであり、娘を亡くしたとはいえ婿と孫が住んでいるのだからあまり家賃に煩く言わない。

 むしろ親族なのだから払わなくてもいい、とさえ言ったこともあるという。しかし六科の妻が「家族でもちゃんとすべき」と言って生前から払っていたので習慣として払っていた。最近は店が貧しすぎて滞納していたが。


「それはそうと二分……幾らであったかのう?」

「なあに九子、お金の計算できないの?」

「天狗だから人間の金はちょっとのう」

「もう、仕方ないわね」


 仕方ないと言いつつお房は嬉しそうに、紙に簡単な絵と金の種類を書く。


 一両小判

 二分金 二枚で一両

 一分金 四枚で一両

 二朱金 八枚で一両

 一朱金 十六枚で一両

 銀   六十匁で一両

 銭   五千枚で一両


「こんな感じなの」

「ほう……房子は賢いのう。絵もうまい」

「えへへ」


 それぞれ小判や、小さい長方形を並べて中に『分』や『朱』と書いているのでわかりやすい。

 それにしてもまだ十にならないぐらいの年齢なのに、しっかりと計算もできているし漢字も書けていることを九子は感心した。

 読み書きを教える寺子屋のような筆学所に通っている様子もないというのに、かなりその従姉妹のところで勉強をしているらしい。

 九子も時代劇で小判や銭などを見た覚えはあるのだが、しっかりとしたレートまでは知らなかった。

 むしろ小判はとても高価だと漠然と思っていた、程度の理解度だっただろう。

 貨幣一枚ずつを銭と現代価格に直すと、


 一両小判 五千文 十万円

 二分金  二千五百文 五万円

 一分金  千二百五十文 二万五千円

 二朱金  六百二十五文 一万二千五百円

 一朱金  三百十二文 六千二百五十円

 銀 一匁  八十三文 千六百六十六円

 銭    二十円 

 

 ということになる。こんな貨幣のレートがややこしい小説をもし『小説家になろう』に投稿したら即座にブラウザバックされるであろう。現代価格に直しているからややこしいだけ、と思うかもしれないが一両が銭五千枚は作中の話であって、これも時代によって七千枚とか一万枚とかに変動する。

 銀はともあれ、金貨は小さくなるに連れて価値が半分ずつになっていくと覚えればわかりやすいかもしれない。

 それはさておき、店の家賃は月に二分。


「……割りと家賃安いのう?」

「大家の仕事もしているからなの」

「なるほど」


 それにしても飲食店の賃貸で月に二分(五万円)は安い。裏長屋で暮らす一般庶民の家賃が月五百文(一万円)とはいえ。

 まったく物価や土地代が異なるので参考にするのも間違っているのであるが、現代日本なら東京の飲食店向け賃貸物件が安くて月二十万円、高くて百五十万円はする。九子は若い頃不動産のアルバイトもしていたので、それを知っていて安さに感心した。


「ま、とにかく家賃が二分……と。次に風呂代だ。大人八文、子供五文。己れも大人扱いだから、一日一回で二十一文」


 家賃:二分 二千五百文

 風呂代:二十一文×三十日 六百三十文


「薪代水代は気にせんでよくなったから、それはいいとして……生活に必要最低限はこんなものかのう」

「他にも草鞋とか時々買い替えるけど……」

「衣類は必要な額にばらつきがあるから、とりあえず雑費としておくか」


 草鞋は一足五文ほど。江戸時代はかなり頻繁に草鞋を履き潰していて、辻ごとに草鞋を売っている……どころか普通の農家などでも草鞋をぶら下げて売っている。

 よく歩く仕事の者ならば三日で履き潰すと言われている。店仕事の六科やお房がそこまですぐに壊すとは思えないが、倍だとしても月に五足。三人で七十五文は掛かる。

 それ以外にも、服が破れて古着を買うだとか、桶の修理、箒の買い替えなど色々と出費はある。ひとまず、


 雑費:千文


 と、した。

 これまでを纏めるとこうなる。


 米代:百文×三十日 三千文

 おかず代:四十文×三十日 千二百文

 家賃:二分 二千五百文

 風呂代:二十一文×三十日 六百三十文

 雑費:千文


 合計で八千三百三十文。現代価格にして一家三人で必要な月の生活費は十六万六千六百円となる。ただし、町入用と呼ばれる税金などの出費は除く。

 九子はやや考えて、書き足した。


 酒代:六千文

 合計:一万四千三百三十文


 訂正。現代価格にして二十八万六千六百円必要だ。


「ちょっと!」

「これだけ稼がねば生活できんということ……か!」

「『いうこと……か!』じゃないの駄天狗! 最後に書き足したのが一番大きいの! っていうかお酒だけで一両以上飲む気なのこの人外!」


 九子の無法な増やし方にお房は文句を言う。

 なにせ九子が店で飲んだ高い酒が一升三百文ぐらいするのだ。月に二十升飲むのならばやむを得ない価格になるだろう。


「お酒を止めるの九子! お姉ちゃんみたいになるの!」

「お主の従姉妹がどうしたのだ?」

「毎朝起きる度に頭が痛いとか背中が痛いとか、酔って厠に行く途中に転んで足が痛いとかぼやいて、痛みをなくすために飲むとか朝から言い出して、日がな一日中半笑いみたいな表情を貼り付けて、暗がりを見ては『妖怪がいた!』とか騒ぎ立てて周りから顰蹙を買って、周囲からヒソヒソ陰口が聞こえるとか思い込みだして怯えて、またお酒を浴びるほど飲んで眠るの」

「関わり合いたくないのう」

「身内なの」

「厭だのう」


 この時代の久里浜にもアルコール依存症医療施設が無いものかと九子は真剣に悩んだ。


「これだけの生活費を稼ぐには蕎麦を何杯売ればいいか計算してみようかの」

「うっ……いっぱいだってことはわかるの」

「うむ。一応原価率を先に計算しておくか……」


 原価率は店で出す料理を作る際の原材料費、人件費、燃料費などに掛かる率である。現代日本の飲食店ならば三割程度、多くて四割ぐらいが普通だと言われている。そうでなくては儲けが出ず、経営は厳しくなる。

 六科の店のような家族経営の場合は人件費を低く見積もれるので、材料費のみで考えてみることにした。

 お房から材料の大まかな値段を聞く。


 蕎麦粉:一升   五十文

 うどん粉:一升  七十五文

 味噌たまり:一升 五十文

 酒:一升     八十文


「さり気なくお蕎麦に使うお酒を安い下酒にしたの」

「料理酒に高いものなど使えん」


 ここから一人分の蕎麦代を割り出すとなると、まず麺である。

 麺一人前を作るのに蕎麦粉とうどん粉を半合ずつ混ぜるとして、

 

 蕎麦粉:半合 三文(端数切り上げ)

うどん粉:半合 四文(端数切り上げ)

 蕎麦麺:一人前 七文


 続けてつゆ。一人前あたり、味噌たまりと酒が三十ミリリットル程度必要として計算する。一合の十分の一が一勺で、二勺ずつほどか。


 味噌たまり:二勺 一文

 酒:二勺     二文(端数切り上げ)

 蕎麦つゆ:一人前 三文


 端数で切り上げた分を出汁代で埋めるとすれば合計で、


 蕎麦麺  七文

 蕎麦つゆ 三文

 かけそば 十文


 ということがわかった。販売価格十文で出していた屋台の蕎麦屋は量が半分ほどだったからその値段設定でも大丈夫なのだろう。


「……原価率六割越えか……色々厳しいが、材料を問屋から大量に仕入れれば多少は解消されるとして……原価率五割を目指しつつ、それで今後の利益を計算するか」


 粉屋も味噌問屋も、大量に買うとなれば値引きするのは江戸も変わらないようだ。

 例えば米は一石(百升)が一両で取引されているので、一石単位で購入すると一升あたりの値段は五十文と半額近くなる。九子の術を使えば冷蔵保存も可能なので、保管も問題は少ない。

 ひとまず九子は指針の原価率を五割と見積もった。人件費も燃料、水道代も無料で家賃も安いのなら、五割でも店はやっていける。

 十六文の蕎麦一杯売る度に、店に八文の利益が出る計算で生活費に必要な量を算出してみた。


 一万四千三百三十 割る 八

 必要な蕎麦売上 月に約一七九二杯

 一日あたり 約六十杯


「……といったところか」

「……む、無理じゃないの?」


 六十人も客がこの店に来る姿がまったく想像できないお房はそう呻いた。


「そうかえ? 朝二十杯、昼二十杯、夕方二十杯売ればいいのだ。ほれ、小分けにすると現実的な数字になってきた」

「うーん……お父さんの蕎麦って売れる印象が無いの」

「これからまともに売れるといいのう……それはともかく、蕎麦だけで達成する必要もなかろう。原価率がよくて、つい頼んでしまう……酒と肴を第二の柱にすればいいのだ」


 九子のいた現代日本では、立ち食いでない蕎麦屋は往々にして居酒屋とまでは言わないが酒飲みの場になっていた。板わさ、焼海苔、油揚げ、鴨など様々な蕎麦の具を転用して酒のつまみにする。

 そうすると酒飲み客は、長っ尻になって回転率は下がるのだが客単価は大きく上がる。六科の蕎麦屋でも、客単価を上げることでより儲けを出せる。


「やっぱりお酒なのね……」

「酒は売り物にいいのだぞ。酒屋から買ったものを右から左に売るだけで利益が出るからのう」


 江戸ならば酒の販売許可などは必要ない上に、昼間から飲む客がそれなりに多い。

 飲食店をやるならば酒を主力にしない手はない。


「酒を売るとして、まあ高級でもない下級でもない、一升百文の酒として……一合二十文ぐらいで売れるだろう」


 そうなると酒一合あたりの儲けは十文。本当はもう少し高くで売ってもいいが、安いと庶民でもお代わりしやすいため利点がある。

 なお本当の安酒は一合四文で出している居酒屋もあるのだが、そういったところの場合は安酒を更に水で薄めて増やしていたのである。ただ、飯屋の場合そんな値段なら幾ら売っても儲けが少なすぎる。


「ともあれ一合二十文の酒が一日一升売れるとして二百文売り上げ、利益は百文となる。そうすると一日稼ぐ予定額約四百八十文の五分の一以上は稼げる。しかも蕎麦と違って調理工程がいらず、適当に徳利に入れて出すだけでいい。極論、酒が五升売れれば蕎麦は一杯も売れずともいいわけだ」

「お酒売るの!」

「そして酒以外のつまみを用意したとして、一日あたり酒百文につまみ百文の利益が出れば、蕎麦は三十五杯で黒字になるわけだ」


 とはいえ、この売上目標はあくまで最低限の生活ラインなので、更に積み上げていくことが必要になる。


「どうにか酒、つまみ、蕎麦の三種でなんとかなりそうな気がしてきたであろう」

「そうなの。あ、うちの今までの主力の盛り切りご飯は?」


 以前まで出していた六科の蕎麦が不味かったため、この店に仕方無く通う客は白飯と沢庵で腹を膨らませるのが定番であった。

 だが九子は苦々しい顔をする。


「あれは……無くせとはいわぬが、正直まったく儲ける気がせん……出したくないのう」

「そ、そうなの?」

「うむ。そもそも、あのたっぷり一合近く山盛りになった飯を十二文で売っておるのだぞ。米ですら一升百文、一合で十文だというのに、それを釜で炊く手間まで取って儲けが二文の原価率八割越え……薪代で足が出るぞ」


 売れば売るほど貧しく、とまではいかないかもしれないが(そもそも六科の店の売上自体が悲惨であったから)これを提供していたのは六科が金勘定に無頓着だったからだ。

 今は九子の術符で薪代は掛からないが、飯ばっかり売れるのであれば米の仕入れの手間、保管場所の確保、炊飯の時間、使用した容器の洗浄、そして飯で腹を膨らませた客が利益率の高いメニューを選ばないなどと悪条件が多い。

 お房はきっぱりと頷いて言った。


「止めるの。ご飯」


 彼女は儲けに敏感だった。


「いやまあいきなり止めたら客も離れるかもしれん。というわけで定食売りだ」

「定食?」


 九子が提案したのはご飯とおかずをセットにして客単価を上げることだった。

 客の中には、白飯だけ掻き込んで終わりというまったく儲けにならない者も少なくなかった。とはいえ、サイドメニューがほぼ無かったから、という理由もあるが。


「飯単品は無しにして、漬物と味噌汁と安い焼き魚でも付けて値段を増やす。そうだのう……三十五文ぐらいで売るとするか」


 材料費はそれぞれ、


 漬物:一文

 味噌汁:二文

 魚:五文

 飯:十文


 と、すると十八文。おおよそ原価率五割で出せて、儲けが出るラインになる。


「いくらなんでもかけそば一杯で済ますよりは上等な食事なのだから、倍ぐらい値段取ってもいいだろう」

「そうなの」


 そうしてお房も納得したところで、改めて紙に会議の結論を書いておく。


 蕎麦 十六文

 酒  二十文

 肴  十文

 定食 三十五文

 

 と、して次に目標金額も記した。


 目標平均客単価 三十文

 目標一日客数 三十三人

 目標一日売上 千文(利益五百文)


「これを目指すことにしよう」

「なの!」


 まあ実際は他にも商品の廃棄なども関わってくるのだが、大まかにそう決めた。これならば安定して、九子が飲む酒を買いつつ生活していける。

 ちなみに利益五百文というと江戸の庶民で高級取りの職業、大工の日当と同じぐらいなので法外に稼ぐという目標ではない。大工は雨の日など仕事がなかったりすることも多いので、安定して稼げれば月の収入ではかなり高くなる。

 一旦、この条件で経営を安定軌道に乗るかやってみて、そして上手く行きそうならば追加メニュー、サービスなどを考えて更に利益追求すればいい。


「それにしても、房子は随分と賢いのうー、こんなに小さいのに。よしよし、末は博士か大臣か……」

「くすぐったいの」


 一応、市場価格のアドバイスを貰うためにお房を会議に付き合わせたのだが、彼女はしっかりと店で出している商品の原価も把握しているし、九子の計算結果(計算途中はわからずとも)をそれなりに理解して、話についてきた。

 小学生ぐらいの年齢を思えば驚異的な頭の良さだ。


「でも九子、こういうお店の話、お父さんとしなくて良かったの?」

「会って二日目で言うのもなんだが、六科相手に相談しても理解させるために説明する時間が倍以上伸びるか、『うむ』とか適当に返事してまったく理解せぬまま終わるぞあやつ」

「会って二日目なのに理解力が高いの……」


 六科の頭が酷く悪いというわけではない。しかしそもそも彼は店の経営に関して素人同然なのだ。言われた通りにやることも怪しい上に、自己流でやろうとすると客は離れ店も貧しくなる。

 いきなりやってきた居候女天狗が経営を仕切りだしても、口出しをあまりしなそうなのは救いであったが。

 最近までどうにか店が回っていたのは、長屋の大家としての報酬でどうにか生活ができていたからだ。

 そんなわけだから店の方針を決める会議には呼ばずに、とりあえず下で接客とお雪が打った麺を切っている。決まったことを事後承諾で話しても「うむ」と特に深く考えずにとりあえず納得するに違いない。


「従姉妹のお姉ちゃんとかにはお父さんが商売下手だから、『店を出てうちに養子に来たほうがいい』って何度か誘われていたけど……」

「ううむ、まあ幼い娘を一人で育てるにはあまり適していないかもしれん」

「でもあたしが居なくなったらお父さん悲しむだろうし、そのまま野垂れ死ぬかもしれないの」

「ううむ、優しい娘だのう。おおよしよし」

「くすぐったいの!」


 九子はなんとも言い難い、優しい笑みを浮かべてお房の頭から顔を撫で回した。

 賢いだけではなく家族思いで良い子だった。九子は会ったばかりであったが、お房のことをとても好きになっていた。こんな子供が欲しいとさえ思う。

 実際に異世界に居た頃の、九子の娘か孫的な存在はそれこそ目を離したら災害を起こしているかもしれないし、野垂れ死んでいるかもしれないどうしようもない魔女であったから、お房のような良い子を見るだけで心が癒されるようであった。

 同時に、あまり彼女に苦労を掛けないように店を繁盛させねば、とも思う。店が安定して儲かれば、お房が勉強に行ったり、遊んだりする時間はもっと増える。


(まあそもそも、そこまで店の広さも無いのだから客数も一定以上増えんだろうし、六科が配膳係をしてもいいわけだ)


 飯、味噌汁、肴などは作り置きができるので、注文ごとに蕎麦を茹でてつゆを掛ける程度の調理工程しかないのだ。客数が十人程度ならキッチンとホール、両方こなすのは難しくない。

 ここで自分が頑張って働こう、という意識があまり無いのが、九子の居候根性丸出しで怠惰なところであった。


「よし、それではひとまずの方針が定まったわけだが問題がある」

「どうしたの?」

「店の備蓄と金がほぼ無い」

「……昨日今日で儲けた分は?」

「すずめの涙だのう」


 テコ入れもしていない利益率の低い状態で、前に比べてちょっとは客が入っている程度の集客ではまったく儲かっていなかった。


「このままでは仕入れすらマズイ。ただでさえ、仕入れ量を増やして値段を下げるよう交渉せねばならんのに」


 いつも使っている問屋などは月末などに纏めて払うこともできるのだが、さすがに金も無いのにいきなり大量に仕入れるのは難しいだろう。売れるという信用が無い。

 九子が来た時点で六科の店は経営破綻中であったのだ。小手先の蕎麦打ちを教えている場合ではない。彼女がその状態を知ったのは今朝だったので仕方ないが。


「予算が要るのう……早急に」


 九子は危ぶむ。店の材料はギリギリ後払いでどうにかなるかもしれないが、このままでは彼女が飲む酒に回す金はまったく存在しない。

 仕入れ量を増やせず、利益が上がらなかったら来月も酒代が出ないことが考えられる。


「……妖怪愛好家のお姉ちゃんに借りられないか頼んでみるの。天狗の道具とか見せたら貸してくれるかも」

「いや、まだ金を作る方法はある」


 他人への借金はなるべく使いたくない手段だ。それが親戚であっても、打てる手を打ってからの方が良い。

 九子は、村雨の太刀を取り出して覚悟を決めたように頷いた。


「この刀を質屋に入れよう。使わんし」


 異世界から持ち帰ってきた、魔法の込められた天狗の名刀は質草になった。


読み返すと凄く真面目に九子が店の生活費とか計算してる

おい九郎お前やってなかっただろ

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>お房にも作者にも簡単には解読できない 作者ってえのが魔女なのかカレー先生なのか、ちぃとわかりづらいですね。まー、ここでカレー先生を出す必要がないから魔女のことなんだろうけど、時々「現代の価値にして」…
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