23話『天狗と天ぷら御献上』
九子が江戸の世に現れて、およそ一ヶ月。
彼女はこの世界で生きていくため、飯屋の手伝いを初めた。
店主である六科は朴訥とした商売下手な男であり、問題だらけの飯屋を並ぐらいに戻すことは簡単だと思った。
江戸に名だたる名店にするだとか、チェーン店展開して飲食業界を制するとかそういうことは考えていなかった。
ただ自分が働かずとも居候するに困らない程度に稼げるようになるぐらいは繁盛をさせよう。そう考えていたのだ。
しかし、天神様の噂が流れて、ふと儲け話を彼女は思いつき、それを実行した。一過性の流行で稼いで実績を作り、お房などに一目置かれようとしたのだ。
その天ぷらは彼女の想像以上に江戸のニーズにマッチして、突然の鉄砲水が如く押し寄せる客たちに九子は想定外の労働を強いられてしまった。
それもどうにか、増員と習熟によってこなされてきて、彼女は安心していた。これで少しは楽になるし、もう少しすれば江戸を観光にも回れるだろうと。
せっかく過去の、昔見た時代劇みたいな世界に来たというのに仕事ばっかりなのだ。多少やりがいを感じる部分はあるものの、そろそろ休みたいと思っていた。
そう考えていたのだが──
その日の早朝、まだ店を開く前に一騒動があった。
「天ぷら屋の九子!」
天ぷら屋ではないが。九子は内心ツッコミを入れたが、立派な裃を身に着けた侍数人とその従者たちが十人以上も店の前にやってきて九子を呼び出してのことだ、なにも言えなかった。
全員が真剣な面持ちで、正式な仕事として来ていることはわかる。近所の者も皆、顔を出したりして様子を窺っていた。
「上様からの御下達である! 雷除けとしてその方の天ぷらを買い上げることとした。これを菖蒲の節句の進物とする。江戸城勤めの武士、奥方合わせて六千名分、用意するように!」
「ははあ」
若干間の抜けた返事だったが、九子は断ることなどできないためそう返した。
頭の中で状況を把握するために考えを巡らせている。どうやら先日、御庭番の川村新六に天ぷらを持たせたことが原因のようだと思い至った。
彼が天ぷらを持ち帰り、秘密裏に将軍吉宗とその奥方らが味わったところ成る程美味であった。おまけに、実際罰当たりが雷で打たれて死んでいるという霊験あらたかなものである。
吉宗は倹約質素な食事を心がけているが、美食を嫌っているわけではない。紀州に比べて魚の鮮度が悪い、と苦言を吐いたこともあった。故に縁起物にして、徳川将軍家でも祀っている天神ゆかりの食べ物である桑の葉天ぷらは吉宗としても問題のない食べ物で、味も気に入ったのだ。
更に九子がダメ元で、新六に将軍のサインを貰おうと持たせた紙を見て吉宗は悪そうに笑った。
『内書が欲しいのならば、進物を正式に貰わねばな』
そう考えて側近に指示を出したのだ。進物は、節句やら歳暮やらの時期に寺社仏閣や大名から送られるもので、将軍はその返礼として御内書と呼ばれる文章を発行していた。
九子が進物を送るのならば、その内書をお墨付きとして渡しても良い、ということになったのだ。
本来、将軍の生活はきっちりと管理されていて自由は少ない。しかし少ないながらも、将軍が自ら「こうする」と決めて下達をしたのならば、その命令が奇妙であっても非合理的であっても家来たちは努力し実行しなければならない。
無論、吉宗に苦言を進言する者もいた。天ぷらは縁起が悪いだとか、将軍が食べるべきものではないだとか。だが、
『では余や家族が、天神様の祟りに効果があるとされる桑の葉天ぷらを食べずにいて、それで雷に打たれた場合は誰が責任を取るのだ? 貴様か?』
そう神仏のことを持ち出されるとぐうの音も出ない。実際に旗本家の嫡男が一人、雷で死んでいるのだ。
毒見の問題もある、という者もいたが、数千枚の天ぷらを用意させてそのうち一枚を吉宗が、それ以外を『宅下げ』という形で家来、奥方たちが食べるようにすれば全員に回るし、数千分の一で毒を盛るなど現実的ではない。
この吉宗は特に、独断で前例の無い(あるいは前例を翻す)政策を実行することで有名である。例えば大奥の女たちを大量に解雇したり、西洋書物の輸入を解禁したり、珍しい作物の生産を奨励したりといったことだ。
当然ながらそれらの時も伝統に反すると言う声もあったのだが、吉宗はそういった反対意見を押しのけてでも実行する力があった。今回もそうだ。
そうして九子に大量の天ぷら発注が掛かってしまったのであった。
(六千枚か……! しかも納品先が江戸城……これは色々不味いかもしれんのう……)
九子は準備やリスクの算段をしながら、命令を伝えに来た役人に問う。
「それでお役人様。多少、材料や道具の準備に時間が掛かりますが、納品の期限は……」
「納品は五月一日とする。準備に関しては特別に御公儀から支度金が渡されることになった故、必ず用意するように」
役人の部下が一人出てくると、九子に和紙に包まれた小判の束を渡してきた。五十両の包みである。その重さに、九子はへつらった笑みが引き攣る。
「随分と町人の飯屋に渡すには気前のいいですのう」
思わず聞き返す。将軍に献上するのだから、全部こちらの手出しで作らせることもあり得る話だと九子は考えた。
初老の役人は顔を近づけて、脅し半分懇願半分のような声音で言う。
「よいか、必ず、必ず用意するのだ。この天ぷら進物を上手く行かせるため、何十人も関わっているのだ。失敗は許されん。良いな!」
普通は支度金を渡してまでやらない、と言えるほど普通こういった事例は無いので役人でも金を渡すかどうか議論があったのだが、結局のところ資金が無いから失敗したとなれば非常に面倒なことになりかねないので、予算を組んだ。
それにしても予算を出す方は武士だけあって正確にどれだけ金が掛かるかわからなかったので、おおよそ十分だろうという丼勘定で渡してきたのが五十両という大金である。日本円に換算して五百万円。工事でも始めるのかといった額だ。
ちなみに大奥の経費は年に二十万両(二百億円)という額なので、そこから考えれば僅かな出費であり、お上の金銭感覚が緩くなるのもわからないではないが。
「ははあ」
九子はもう笑って誤魔化そうかとも思いつつ、とりあえずそう応えた。
「所用、連絡あればここに残していく者に伝えるように」
役人たちは帰っていき、近所でも話を聞いていた町人たちの騒ぎが始まった。軽い気持ちで将軍のサインを貰うよう頼んだのに、江戸城、将軍御用達の話が来てしまったのだ。
噂は一気に広がるであろう。九子はひとまず店内に戻って木戸を閉めた。
「どどど、どうするの九子!」
慌てた様子でお房がそう聞いてきた。彼女は九子の顔と、手に持つ小判の包へと視線が行き来している。
徳川将軍と江戸城に食べ物を納品する。これは大変に名誉なことであるが、同時にあまりに住む世界の違う相手と関わることで、想像の範疇を越えているためどうすればいいのかわからないのだ。
こういう場合、まったく父親の六科は当てにならないことを彼女は知っている。今も真顔で喜んでいるのか驚いているのか、まったくその両方でもないように佇んでいた。
お雪は不安そうに、店に入っていた女房衆や覆面は「将軍様相手に出す品を作るなんて無理だ」「粗相があったら打首になるかも」などと震えていた。
九子が手を二度叩いて、皆に伝える。
「まず言っておくことがあるが、これは色々と面倒な仕事だ。下手に城で食中毒でも出したなら、責任を取らされかねん」
責任、という言葉に皆が小さく震えた。
「だが向こうの要求としては、この店ではなく、己れに作るように言ってきたので、己れが天ぷら作りをどこか江戸城の近くの路上でやって、それを納品することにしようと思う。その準備やら仕事の間、この店はお主たちで切り盛りをしておくれ」
九子はそう決めていた。店で作るにしても、竈も鍋も小さいし、店内は限られた人数しか入れない。作っている間は休業になってしまうし、見物客などが集まったら差し障りがあるかもしれない。最悪、火事でも起こったら目も当てられない。
九子が新たに天ぷら調理場を簡易的に設置して作ることで店とは切り離して作業を行うことができるし、万が一問題が起きても無関係となる可能性は高い。
幸いなことに、罪人の親類縁者が同じく罰を受ける縁座制は吉宗によって改定され町人ではあまり適用されなくなった。まあ、調べれば九子がこの店の誰とも縁者ではないこともわかるのだが。
「九子……大丈夫なの?」
「任せておけ。己れは天狗だぞ? 危なくなったら飛んで逃げればいいのだ」
お房を安心させるように九子は笑みを作ってその頭を撫でてやった。
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さて九子は渡された支度金を使って、材料と道具を揃えねばならない。場所も必要だ。九子は店の外で待っていた数人の連絡要員に指示を出した。
「当日の天ぷらは作る量が多いことから、屋外で作りたい。江戸城近くの町で大鍋を使って天ぷらを揚げても良いというところが無いか、上役に聞いてきておくれ」
「わかった」
「あと御庭番の川村新六という、薄らデカいお侍様に己れの手伝いをやらせられんか聞いてきておくれ」
「了解した」
天ぷらを揚げるだけとはいえ九子一人では大変すぎる。かといって、下手な相手を雇うわけにもいかない。そこで御庭番である。彼が現場に居て手伝ったとなると、妙な物を天ぷらに仕込んだという難癖も付けづらい。
準備であちこち出かけるために、連絡の際は店で待つことを伝えて九子はサッサと移動する。
五月一日というとあと三日しかない。節句というと五月五日なのだが、その当日は江戸城でも行事が多くて忙しいために前倒しの日になったのだろう。それに元々は五月一日に祝っていた行事でもある。
ともかく準備を整えねばならない。
(こんなに忙しい思いをするつもりはなかったのう)
と九子はため息をついた。
しかしながら思い出すのは若い頃。九子は様々な仕事を生活のためにやっていた。料理、イベントの設営、道具の調達、植物の栽培、産業廃棄物処理、港湾作業。異世界に行ってからも、生きるために職歴を増やしていった。
(あの頃が懐かしくなるから、忙しい忙しいと思いつつも少しばかり楽しくなるのかもしれないな)
と九子は思った。大変だが、終わってみると楽しい思い出になるものだ。だから少々頑張ろうと決めたのだ。
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九子は揚げ物用の釜を購入するため、鋳物屋へと向かう。
揚げ物を大量に揚げる際に枷となるのは、具材を投入した際の油温低下である。
油の温度が下がれば美味しく揚がらないし時間が掛かる。そこで風呂釜のような大きさの釜を買うことにした。
「姐さん、風呂でも自宅に付けるんですかい? 大工紹介しましょうか?」
鋳物屋の店主にそう言われた九子が、苦笑をしながら応える。
「こいつで天ぷらを揚げるのだ」
「天ぷら⁉ こんなもん、石川五右衛門でも揚げられそうな大きさですぜ!」
「仕方あるまい。江戸城のお殿様からの注文で、六千人分も作るのだ。使い終わったら二度と使わんかもしれんから、そのときは下取りを頼むぞ」
九子がそう告げると主人は再び「江戸城のお殿様⁉」と驚き、詳しく話を聞いてきた。
「ままま、それならこっちにもええ、頼みがありやして」
鋳物屋は九子に預ける大釜の目立つところに、店の証を彫らせて欲しいと頼んだ。
「その代わりタダでお貸ししますから、使い終わったら返してくだせえ」
なにせそうすれば、将軍進物というハレの場で使われた由緒ある釜、として大きな価値が生まれるのだ。九子に売るよりも何倍も高値で売れるだろう。
次にその大釜に入れるゴマ油を、出入りの問屋に注文する。
そこでも、
「それなら是非! この店の印が入った油樽を料理の場に置かせていただければ!」
そう言って、進物分は無料で提供するという形にしてくれた。ちゃっかりと宣伝も兼ねて、だったが。
常時江戸城に仕入れを行う業者ならば対価を得るのが当然であるのだが、降って湧いたように将軍への献上品に使われるのならば、一度限りの代金を得るよりは名を取ろう。そう考えたのだ。
さすがに扱いが地味すぎる粉屋では大きく割引はされなかったが、九子は予算もあるので普段店で使っているうどん粉ではなく、菓子などに使う浮き粉を大量に購入した。
浮き粉の作り方はうどん粉に水を加えて練ったものを布巾に包み、水の中で絞るように揉む。そうすると水が白く濁り、それを暫く置いて下に沈殿した部分だけを乾燥させて作るものである。
面倒な手間の分、当然ながら値段も高い。しかし将軍に献上するのであれば高級品を作らねばならない。更に言えば、浮き粉で作った天ぷらは時間を置いても衣がもちゃっとし難いのだ。店はほぼ揚げたてを提供できているのだが、城ではそうもいくまい。
また、ある程度天ぷらを纏めて城に運ばせるために新品の大きな弁当箱も用意させた。一つに二十程天ぷらを並べるとして、それを三百。これも城からなるべく返却させた後で売り戻さねばならない。
頼りにしなければならないのは甚八丸である。彼には材料を頑張って集めて貰わねばならない。
千駄ヶ谷にある彼の農家に出向いて要件を伝えた。
「斯々然々で、大変だから準備を手伝っておくれ」
「将軍にィィ⁉ 六千人分ンン⁉ しかも店の通常営業分も合わせてだとォ⁉ 鶏が足りねえしお蚕様が餓死するわ!」
しかしながら九子は、期限も迫っているのに今から顔見知りでもない農家を回って材料を集める時間も無いため、甚八丸に頼むしかない。
たっぷり渡された支度金からドサッと甚八丸に渡す。
「そこは農家同士の繋がりとかそういうので頼む。ほれ十両」
「いひィー! 十両も⁉ こいつは俺様のもんだァー!」
「あとおっぱい揉ませてやるから」
「おめェのおっぱい揉むと嫁に殺されるんだよ! 俺様が! …………だからこそっと隠れて揉ませてくれない?」
大盤振る舞い、十両もの大金を渡して準備を手伝わせることにした。
これだけあれば甚八丸は手下を動員して周辺の農家から必要な卵を買い占め、家族総出で桑の葉を採取させられる。
「とりあえず材料は集めて置いてくれ。屋外でやるから、場所が決まったら前日あたりに運び込んで、当日の朝から揚げては武士どもに江戸城へ運ばせる」
「そんなんで大丈夫か?」
「そもそも城に天ぷらを献上するというのが前代未聞なのだから、向こうにも多少は融通を利かせて貰わねば困る」
天ぷら死亡説で有名な家康も(ただの巷説だが)江戸城以外、田中城で食べたとされている。今、江戸城では天ぷらをどうするものか、幕臣らが頭を悩ませているだろう。
たかが天ぷらで。そう思うと、なんとも九子はおかしい気分になった。
「しかし手伝いがもう少し要るのう。お主はどうだ。手伝わんか」
九子が甚八丸に誘いを掛ける。まだ江戸に来て日も浅い彼女は、知り合いというと長屋の連中と近所の問屋、それに同心たちと甚八丸一味ぐらいしか居ないのだ。
庶民は将軍に献上するとなると怯えてしまうし、同心を働かせるわけにはいかない。新六は天ぷらに関わっているので参加させるが、二人では心もとない。
大きな揚鍋も用意したが、作る量が非常に多い。六千枚である。作業を分担して、材料を衣液に浸す、揚げて取り出す、取り出した天ぷらを重箱に詰める作業。全体の補助も合わせて最低でも四人は欲しい。自分と新六と後二人。
甚八丸は腕組をしたまま唸り声を上げる。
「うーん、しかしおめえを手伝うってなると、うちの嫁が変な勘ぐりして嫌がるかも……」
「無理にとは言わんが、聞いてきてみよ」
甚八丸が家に戻り、ややあってすぐに出てきた。
「十両も貰ったんならちゃんと手伝えとさ。仕方ねえ! 俺様が手を貸してやるぜ!」
「それは良かった」
「あと服は着ろって言われた」
「当たり前だ」
「金太郎の前掛けとか……神主の服とか……ウケを狙うべきか……」
「普通の服を着ろ」
こうして、当日は甚八丸も手伝ってくれることになった。




