22話『天狗と大狗』
──その瞬間であった。
「あのお……」
──場違いに呑気な声が聞こえた。
九子と影兵衛が顔を向けると、そこには町方の同心が二人。そして異様な巨漢が一人立っていて、こちらを窺っていた。
町方二人は近所でよく見る、利悟と端右衛門で──一緒にいる巨漢の男は異様としか言えない風体だ。
まず非常な大きさである。身の丈八尺(二百四十センチメートル)はあるだろう。胸板も厚く、腹が出ていて、手足もずんぐりとしている。相撲取りをその体型のまま引き伸ばしたような巨漢だった。
他に江戸で見た巨漢だと、甚八丸がいるが彼でも身の丈六尺ほどだ。それよりも遥かにデカい。
更に服装は黒っぽい僧服を着ていて、頭には虚無僧が被るようなすっぽりと首まで隠している編笠を被っていた。足は裸足。まあ、見るからに不審者であった。
実際、さっきまで彼は不審者として同心たちに追いかけられていたのだが……
影兵衛は内心で舌打ちをした。九子を始末するだけの話だったのに、同心二人も駆けつけてしまった。
彼も旗本を殺す前、九子と一旦別れたときに巨漢を追いかけている同心らを見つけて辻斬りとは関係無さそうだと放置していたが、こちらに来られてしまったようだ。
全員を始末するのはもはや現実的ではない。
(あの利悟は馬鹿で有名だが、剣の腕だけは筋が良いんだよな……こんなときによ)
町奉行所と火付盗賊改方の同心は季節ごとに一度、合同で稽古を行っている。影兵衛は火付盗賊改方で一番強い上に荒っぽいので、町方からは痛めつけられても気にならない要員として利悟がよく相手をさせられていた。それで互いの実力はわかっている。
やれば影兵衛が勝てるが、瞬殺というわけにはいかない。
「えーと、なんだ? お主ら」
場が膠着したので九子が尋ねて見ると、同心らが応える。
「叫び声が聞こえたりとか雷が落ちたりとかで慌てて駆けつけてきたんだけど……」
「どういう状況か……」
「なんか影兵衛さんいるし……死体とか転がってない? そこらに」
訝しんで同心二人がキョロキョロしている。利悟などはよく現場で出くわす影兵衛の姿を見て露骨に嫌そうにしていた。彼にとって影兵衛は別部署に勤めている喧嘩っ早くて怖い相手なのだ。
九子はそれよりも同心たちに付いてきた巨漢が気になったので聞いてみた。
「そっちのデカいのは?」
「あ、僕、川村新六って言います……その、上様から噂の辻斬りを見つけるように命じられて夜間捜査に……御庭番っていうのやっているんですけど……」
ブッ。影兵衛が吹き出した。御庭番は言わずと知れた、将軍直轄の隠密部隊である。徳川の直臣どころか、吉宗の直臣だ。彼が見聞きしたことがすべて吉宗に報告される。
九子が感心したように言う。
「御庭番衆! なんか聞いたことあるのう。それにしてもデカい。そんな目立って隠密とかできるのかえ?」
「えーと、たぶん僕は囮みたいなもので、もっと有能な隠密の人がどこからか見張っていると思うんですけど、はい」
「自信無さそうだのう。相撲とか強そうなのに」
「いや本当にデカいだけですから僕……」
巨漢の虚無僧はおどおどしたような仕草をしながらそう説明した。
本人もデカくて怪しいと自覚している。これだけ目立つ上に顔まで隠しているのだから、今日初めて任務で街に出たところ思いっ切りあちこちで不審者扱いをされ、驚いて彼も逃げ回ってしまったのだ。
見た目は鈍重そうであっても、案外にこれで運動能力は高いので暫く追いかけっこが続いた。
そしてこの近くで利悟と端右衛門に捕まったところ、彼が身の証を立てて同心二人も凍りついた。まさか上様の直臣を逮捕してしまうとは。
そんな時に近くで騒動を聞きつけ、有耶無耶にせんばかりに駆けつけ、ついでに新六もすわ辻斬りかとついてきたところであるが……
(やべ。さすがに旗本殺害と町娘殺人未遂を上様に報告されたら拙者も無事じゃすまねェぞ)
影兵衛は冷や汗をダラダラと掻いていた。九子と切り合っているところは見られていないようだが……
同心が近くで倒れている政長の死体に気づいて近寄る。
「こいつは……? 武士か? どうして死んでいる?」
「あちこち擦り傷はあるけど……死ぬような傷は無いな……影兵衛さんがやったなら輪切りとかになってるはずだけど……」
こうなってくると九子も、下手に調べられては面倒なことになりそうだと歯噛みした。死体を埋めに行く暇もない。
少なくとも旗本の家来をボコボコにして旗本を投げ飛ばしたのは確かなのだから、火付けをしようとしていたとしても一般人が行っていいレベルの制裁とは限らない。
九子はちょいちょいと影兵衛を招き寄せた。さすがに衆人環視の中で斬りかかりはしないだろうと思いながら。
「適当に誤魔化すから話を合わせてくれ」
「わかった」
「あと二度と斬りかかるなよ」
「……次は正々堂々果たし合い申し込むから……駄目ェ?」
「駄ァ目」
影兵衛はしゅんとした顔になった。面倒な殺人鬼のオッサンだと思いながら九子は同心二人と御庭番に説明をする。
「実はこの者、以前に天ぷら屋で行列を乱して雷に打たれた旗本家の水野何某なのだ」
「なんと」
「町方でも噂になっていたな」
「ところがこやつ、逆恨みをして手下を連れ店に火付けに来ようとした。手下はあそこで倒れておるからのう。己れは必死に抵抗して、手下はすっ転んで倒れたのだが……怖かったのう。あっ思い出したら涙が」
「この倒れている人たち、全身の骨が馬鹿みたいにへし折れてるんですけど!」
新六が倒れている手下たちの様態を確かめて戦慄しながらそう報告するが、九子はウソ泣きで無視。
「逆上して水野何某は刀を持って己れに襲いかかってきた! その時、再び天神様の祟りによって雷が落ちたのだ! お主らが見た雷とはそれだろう。その衝撃でこやつは心の臓が止まったというわけだ……これが外傷のない死体の正体だのう」
「えーと、じゃあつまりこの旗本は誰かに殺されたんじゃなくて」
「祟りによって落ちてきた雷で死んだ、と」
「左様」
「左様て……」
九子は堂々とそう証言した。あまりに堂々と言われると、この旗本は実際に一回雷に打たれた男なわけで、二回目も祟りかと納得がいく同心たちである。なにせ利悟も打たれた経験があるのだ。祟りの信憑性もあった。
手下たちも早々と気絶していてなにも見ていないので、後から祟りにあって雷に打たれた話を聞かされれば否定もできないだろう。
影兵衛も調子良くそれに同意した。
「拙者も一部始終を見ていたが、まったく姐ちゃんの言う通りだぜ。拙者もその水野……小便垂蔵だっけか? そいつを止めようと刀を抜いていたんだが、拙者には雷は落ちずに、小便垂蔵に落ちた! 間違いねェ、天罰だな」
こんなことを言っているが、自分がうっかり殺人した現場に九子が居合わせたというだけで口封じに殺害しかけた男なのだ。
面の皮が厚いと言わざるをえない。
ただ九子がそれを追及して他の同心たちに説明しても納得されるかは確信がなかったので彼女もとりあえず影兵衛のことは見逃すことにしていた。
自分が殺されかけたというのに、無かったかのように振る舞うのはまともではないよう思えるのだが九子は異世界だともっと大規模に碌でもない連中とつるんでいたこともあるので、それぐらいのおいたは日常茶飯事だったため感覚が麻痺している。
「ははあ……、ま、逆恨みして放火、殺人なんて碌でもない男だから仕方ないか」
「とりあえず手下共から話を聞く必要があるな。連れて行こう」
「辻斬りじゃなかったんだ……」
と、一同は一旦、怪我人と死体を持って近くの番小屋へと向かった。
小屋の中は六畳ほどの広さで、詰め所と留置所があるのだがそこに下手人たちを詰め込んで、移送や連絡の手続きを行う。
「夜中なのに大変だのう……お、そうだ。夜食に天ぷらを作ってやろうか」
九子がそう提案すると、端右衛門の腹が大きく鳴って、思わず彼女は笑った。
「はっはっは。待っておれ」
逃げる心配もないし被害者なわけだから九子は一旦店に帰ることができて、店に置いてある屋台の道具と余った材料を担いで番小屋に戻った。
もちろん彼女も善意だけでそうやっているわけではなく、こうして気前よく振る舞えば役人の心象も良くなって、手下共を一方的にボコボコにしたわけだがまさかこんな気の利く美少女が、全身の骨を砕いてやったなんて信じられないと思ってくれるかもしれない。
番小屋の前で七輪に火を入れて揚げ油に熱を加える。夜の涼しい空気に、熱を含んだゴマ油の香りがぷーんと広がる。
じゅわっと桑の葉の天ぷらが揚がり、皿に並べられた。腹を空かせた皆が次々に食べていく。
「夜中に食う天ぷらはまた美味いであろう。ほれ、焼きおにぎりもあるぞ」
七輪の隅で焼いた握り飯には、軽く蕎麦のかえしが塗ってある。焦げた味噌たまりの匂いと、朝に炊いて既に固くなった飯に火が加わってカリッとした食感になり、これがまた、
「美味い……」
のである。誰となく染み染みと呟いた。
話題の天ぷらを食べたかったのだが、店が混みすぎていて入れなかった端右衛門などは感動に目頭を押さえるほどの美味さであった。
美味しい物をくれる可愛い娘に悪い者はいないはず。男たちの心象はやたら良くなった。ただ影兵衛だけが、
(なに考えてんだこの女……まあ、おもしれーからいいか)
と、訝しそうにしていたが。
手持ち無沙汰に待機していた新六も、編笠の下から天ぷらを入れて食べる。
「あ! 美味しい。でもこれで雷に打たれなくなるってどういう効果なんだろ。魔法の薬草なのかな」
などと首を傾げながらも舌鼓を打っている。九子が屋台を持って来るまでに、世間で流行している天ぷらについて説明を受けたらしい。普段は江戸城に住んでいるので天ぷらのことも知らなかったのだ。
影兵衛が新六に近づいて見上げた。
「それにしても手前……じゃなかった川村殿。飯のときまで顔隠してんのか? 御庭番の規則かなにか?」
「いやあ、僕ちょっと、顔がアレだから……もうほぼブタだから……」
「そんなに卑下すんなよ。ちょっと見せてみろって」
「女の子に見せたら怖がられるから……」
と、嫌がっていたのだが、影兵衛がしつこいので九子に見えないように後ろを向いて、僅かにずらして影兵衛にだけ見せた。
彼は珍しく「うわっ」と驚いた声を出す。
「こりゃひでえ。夜道で出会ったらイノシシの化け物だと思って間違いなく斬るわ」
「ううう……僕だってなりたくてなったわけじゃ……」
「ま、まあ気にすんな。ほら、『人間は顔じゃない』って言うだろ。いやあんたの場合は人間の顔じゃねェが」
「酷い⁉」
影兵衛が慰めるぐらいの豚面だったようだ。気落ちしたように肩を落とすが、再び天ぷらを口にした。
「それにしても本当に美味しいなあこの天ぷら。上様も食べないかな」
「上様って天ぷら食うのか?」
「なんか家康は天ぷらで当たって死んだとか聞いた覚えがあるがのう」
九子が昔に聞いた話を思い出しながらそう言うと、微妙に周りから白い目で見られた。さすがにこの時代、家康などと呼び捨てにする者は居ない。
新六は頷いて説明をする。
「江戸城だと揚げ物は作られないみたいですよ。火事になったら大変だとかで。でも外で作ったやつなら食べるんじゃないかな」
「毒見とかあんだろ」
「上様、大奥でなら好き勝手に食べているんですよね。お菓子とか」
「意外に自由だな……」
徳川将軍の食事というと仰々しい話が幾らでも残っている。毒を盛られても外れるよう、十人分用意して一人分だけ食べるとか、歴代将軍やその奥の命日には精進料理しか食べられないとか、毒見に一刻は掛かるなどだ。
だがそれはそれとして、大奥には大奥で女料理人がいて女性たちの食事を作っていて、ここには規則に煩い男の役人は入ってこられない。将軍が泊まることもあるので、ここで飲食をする場合は見咎められることがないのだ。
「だから天ぷら喜ぶかも……」
「それでは持って帰るか?」
「え! いいんですか⁉」
「うむ。箱に包んでいくといい」
九子は番小屋で売っている小さな木箱を買って、中に紙を敷いて天ぷらを詰めてやった。
番小屋の番人は薄給であったが、こうしてちょっとした雑貨や炭、草鞋などを売ることで生活費を稼いでいたのだ。
ついでに紙と筆を借りて、サラサラっと書いた物を新六に渡す。
「実は己れは徳川吉宗公のファンでのう。せっかくなので天ぷらの対価にサインを貰ってきておくれ」
「は、はあ……上様の名前を……」
ちらりと新六が渡された紙を見遣る。
そこには予め文字が書かれていた。
『徳川将軍御推奨店』
横に徳川吉宗とでも書けば、まさに吉宗が推奨した証のようだ。
「図々しいなこれ!」
新六が率直に叫んだ。九子が彼に寄りかかりながら腕を指で突きながら甘えるようにねだる。
「いいではないか、いいではないか」
「こんなもの渡して怒られるの僕なんですけど!」
「ほら、おっぱい揉ませてやるから」
「ははははははしたない! 駄目ですよそういうことしちゃ! 女の子なんだから!」
ブンブンと顔を振って九子から離れる新六。
しかし天ぷらは受け取ってしまったので、仕方無く九子から渡されたサイン色紙も見せるだけ見せようと諦めた。
「……じゃあ僕はとりあえず城に戻りますので」
「サイン貰ったら店に持って来いよー」
「期待しないでください……」
ぐったりとした声で返事をして、肩を落として帰っていく。
九子とて都合よく将軍の名前が貰えるとは思えない。現代で飲食店に有名人がサインするのとは、重さが違うだろう。現代でも政治家などは滅多なことで飲食店にサインを残さないが。
まあそれでも頼むだけはタダである。もし本当に貰えたら、面倒な武士などが店で暴れるのを牽制することができるかもしれない。
「いや……無理だろ。無理無理。上様の署名をなんだと思ってんだ姐ちゃん」
影兵衛が九子のあまりに図々しい要求に呆れながらそう言う。
武家でも将軍直筆の書を貰えば家伝にするぐらいの貴重品である。寺や神社に奉納されることもある。それを市井の天ぷら屋が欲しがるなど、不敬だと処罰されるかもしれない。
「そうかえ? 案外ほれ、あの新六が実は上様の世を忍ぶ仮の姿として街に出ていたとすれば……」
「上様があんな巨人だったらもっと噂になってるわ」
「まあいい。そうだ、お主らにも貰っておくかのう。……人様を殺しかけたのだから、署名ぐらいよこせ」
九子はジト目でそう影兵衛に告げて、
『火付盗賊改方同心 立ち寄り所
同心 中山影兵衛』
と、紙を影兵衛に渡して名前を書かせた。
これを店に飾っておけば、悪党もぎょっとするかもしれない。
「ちぇっ。なーんか利用されてる感あるぜ」
「はっはっは。まさか自分で署名した店の看板娘を斬り殺したりしてくれるなよ」
微妙そうな顔で影兵衛が渋々書いていると、戻ってきた利悟がその紙を目ざとく見つけた。
「ああああ! 影兵衛さんズッル……あの店、拙者が先に通っていたんですからね! ねえお九ちゃん! 拙者も書こうか⁉」
「別にお主は立ち寄らんでいい。水谷の旦那にでも書いて貰おう」
「寝取られやんけぇー!」
「寝てから言え」
どうしても店と関係があると言い張った利悟が同じく、
『町奉行所同心 立ち寄り所
同心 菅山利悟』
と、書いた紙を九子に渡してきた。彼女は「うーむ」と唸って、
「枯れ木も山の賑わいというが……」
仕方無くこれも並べて飾っておくことにした。
「そうだ。お九ちゃん。ついでに」
「あん?」
利悟がまるで熟練工が無意識下で作業を行うような、さり気ない手付きで九子の胸を下から持ち上げて揉んだ。たゆんたゆんと。
「なっ」
影兵衛がその凶行を見て絶句する。利悟は憐憫と無力感に満ちた菩薩めいた表情になり、
「この邪魔な肉を消すために……拙者は君と共に戦う。信じて!」
謎の使命感である。九子はいつもどおり『電撃符』を取り出そうとした。今晩、感電死した罰当たりは二人になりそうだ。
しかし九子が制裁を行う前に、不機嫌な影兵衛が利悟の鳩尾あたりに拳を勢いよく突き刺した。
「おべっ⁉」
崩れ落ちそうになった利悟に肩を貸して、低い声を出しながら路地裏へと引っ張っていく。
「オイ手前ふざけんなよ……ちょっと話があるからこっち来い……」
「うっうぐううう……こ、殺されちゃう……身に覚えはないのに影兵衛さんになんか理不尽な理由で殺されちゃう……助けてお九ちゃん……」
「じゃあ、己れ帰るから!」
九子は普通に見捨てて家に戻ることにした。自ら手を下す手間が省けたというものだ。
──余談だが、同心殺人事件はどうにか回避されたようで、回復力の高い利悟はボコボコに腫らした顔も数日で元に戻ったという。(腫らした理由は『転んだ』らしい)
ただ彼が店に来るときは──影兵衛が近くにいないときを見計らって来るようになった。
それでもまだ時折、九子の胸を揉んでは半殺しにされる利悟の姿が見受けられたという。凝りない男であった。




