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21話『天狗とイカれた侍』


 ──そして九子が自分の店に戻ったとき、路地裏に何者かの気配があって彼女は立ち止まった。


「おや?」


 九子の店がある長屋が連なる路地だ。遠目から見ても暗がりの中で五、六人は人がいる。もはや長屋全体は灯りも消えて、住民も寝静まっている時合いだというのに。

 つんと鼻につく、生臭いような臭いがした。九子はその臭いを油問屋で嗅いだことがある。

 鰯油だ。灯油に使われるものである。


「貴様ら! なにをしておる!」


 九子が怒鳴りつけると、男たちは身を震わせたが彼女の方を振り向き、提灯に照らされた姿を見て怒鳴りつけたのは女だとわかると睨みつけた。

 そして一人が言う。


「水野様! あいつですよ! この店の、生意気な女!」

「水野?」


 九子が目を凝らして見てみると、集団の一人がやけに立派な袴姿であった。酒に酔ったように顔を赤らめているが、そいつが柄杓で店の壁に油を撒いていた。

 あまり顔を覚えようともしなかったが、偉そうな身分で取り巻きを連れているというので九子は思い出した。


「あの雷に打たれて小便を漏らした侍か。こやつら、火付けに来たな。馬鹿者どもが!」

「こ、こやつ(・・・)だと⁉ 町娘ごときが旗本に! 始末しろ! 騒がれるな!」


 水野何某(なにがし)という旗本が、取り巻きのごろつきに近い連中にそう指示を出した。

 ここ数日、彼の周囲からの評価は奈落に落ちたようだった。町人たちの前で威張り腐ったと思ったら雷に打たれて失禁し、小便漏らしの旗本だという噂は江戸中に流れた。

 恥ずかしい振る舞いだけでなく、天神様の罰が当たったというのだから旗本家の当主である父親からは厳しい叱責を受けた。母親が宥めなければ、縁を切って追放するとまで言われ、殴られる始末だった。


 彼の父は江戸城で働いている。息子が市中で問題を起こしたのみならず、罰当たりなことをして江戸中の笑いものになっているなどと噂されれば、父である彼の名誉も地に落ちるのだ。

 酒癖、女癖が悪いとは一線を画すのが罰当たりという風聞だ。そのようなけしからぬ不吉な家に仕事は与えられないと上から言われれば、家ごと落ちぶれてしまう。

 カンカンに怒った父親から殴られ、蟄居(ちっきょ)を命じられ一人で引きこもり酒を飲んでいた彼が、鬱々としながら怒りを溜め込み、思いついたのが放火であった。


 天ぷら油から火が出て市中を焼いたとなれば天ぷら屋の名声など吹き飛び、天神様の名を騙っていかさま商売をしていた罰当たりな連中だったと世間の悪評が向かうかもしれない。

 そうなれば、その店の妨害をして雷に打たれた自分などあっという間に忘れられるだろう。

 それに近づいた際に口答えしていたあの生意気な女が思い出すだけでムカつく胸をしていた。捕まえてむちゃくちゃにしてやろうとも思った。


 諸々の考えが煮詰まり、酒で乱れた思考を持って、自分の手下を連れて夜中にやってきたのだ。手下の者どもも、その場に居て醜聞に加わったのだから家中での扱いは冷たかったので、男の提案にやけっぱちな気分で乗ったのだ。

 火付けは未遂でも良くて遠島、普通は死罪になる。だがこのままではろくな人生を送れないと思った者たちは一か八かの行動に出た。

 そして彼らは油を撒いている最中に九子から見つかったのだ。

 騒がれては面倒だ、それに九子には一方的な恨みがある。


「その女の口を塞げ! 殺して犯して焼いてしまえ!」

「猟奇的な順番だのう」


 呑気に九子が言うが、路地から男たちがわらわらと九子に向かってやってきた。

 一人目は捕まえようと、両手を広げて近づいてくる。ずんぐりとした体型で、凶暴な表情に顔を歪めて歯並びの悪い汚い歯が目についた。

 九子は提灯を表通りに投げ捨てると、小枝でも持つように軽々と村雨を片手で頭上に構えた。


 男が間合いに入る。九子は村雨を、抜きもしないで鞘ごと打ち下ろした。

 幾ら九子が小柄とはいえ、刀は五尺も長い。まるで物干し竿でも叩きつけようとしているかのようで、相手が近づくよりも先に刀の振り下ろしは当たる。

 男は所詮、女の細腕で振るったものだと殴られても我慢しようとしたが──次の瞬間、目の前が暗くなって骨がへし折れる音が聞こえ、意識を無くした。

 単に振り下ろしただけである。非常な硬度を持つ重量物の棒で頭を殴られれば人は無事では済まないのだ。

 とはいえ暗がりで見えにくく、興奮している男たちはまさか一撃で先頭の者が行動不能になったとは考えずに、次の男が掴みかかってきた。

 九子は冷静に、持っていた刀を鞘ごと次の男の顔面に突いた。


「がああああ⁉」


 頑丈な鉄パイプで顔面を突くような攻撃だ。男の鼻は骨ごとへしゃげ、視界はぐしゃぐしゃに乱れ、脳が揺れた。天狗の名刀と嘯いたものだというのに、完全に鈍器扱いであった。

それでも立っていたので、九子は前蹴り(ヤクザキック)で転がしてやる。軽く吹き飛ぶ威力の蹴りに反吐を漏らしながら男は地面に崩れ落ちた。


「てめえ!」

「騒ぐといかんのじゃないのかえ」


 多少音や声が響いているはずだが通りに誰も出て来ないのは、辻斬りが危険だから外に出ないようにと役人たちが言い含めていたからだろう。

 九子は怒鳴り声を上げる次の手下を挑発すると、相手は脇差しを手にして牽制するように前に構える。もう一人も横に並んで、同じく脇差しを取り出した。

 更に一人、遠巻きに回り込んで九子の背後へとジリジリ移動していく。囲みこむ作戦か。有利な状態になったことで落ち着きを取り戻し、男たちの下卑た笑みが浮かぶ。

 九子は三人の様子を見て──最後にもう一人、旗本がまだ路地に残っているが──とりあえず順番に排除しようと思った。

 自然な動きで迷うことなく背後に回った男へと振り向いて、告げる。


「お主だけ刀持っておらんな。ほれ、くれてやる」

「え? は? え?」


 九子は持っていた自分の村雨を軽く、背後にいた無手の男に投げ渡した。

 突然武器を渡された男は慌ててそれを受け止める──が、同時に九子が近づいていた。男の両手は受け取った村雨で塞がっている。

 不意に物を渡されて反射的に受け取ってしまった隙を突いたのである。しかもそれが役立たずのゴミなどではなく、いかにも立派な刀だったので払い落とすのを躊躇った。

 九子は男の胸ぐらを掴み逃げられないようにしながら、固めた拳で顔面を間髪入れずぶん殴った。


「ごふ……」


 歯や顎の骨の砕けた男が呻いた。少女の持つ拳の威力ではない。

 相撲取りから全力で突っ張りを受けたような威力に、男は血と涎を吐きながら気絶した。


「うわ汚っ……ほれ、お仲間の方に戻れ」


 九子は掴んだ男を、脇差しを構えた二人の方へ強引に投げ飛ばした。

 その投げには柔の術も、合気の理も無い。

 強引に、凄まじい腕力で水平方向へ砲弾のように飛ばされたのだ。九子の足元の地面が反作用で沈み込んだぐらいの力が込められていた。


「ぎゃっ⁉」


 めきょり。受け止めた男たちは凄まじい衝撃で、全員揃ってどこかしら骨がへし折れた音と共に吹き飛んで壁にぶつかった。

 九子は地面に落ちた村雨を拾って、残った旗本にのそのそと気怠い動きで近づいていく。

 油を撒いているときは一大事と思ったが、相手はただのチンピラ崩れだ。むしろ放火の現場に間に合ってよかったと胸を撫で下ろしている。

 九子の八十年以上生きてきた人生で、この程度のごろつきを相手にしたことなど数えきれないぐらいある、他愛の無い相手だった。


「う……動くな! 火を付けるぞ!」


 旗本の男はいつの間にか蝋燭を手にして、油の染み込んだ壁へと向けて叫んだ。近づけば諸共、火を付けてやると意気込んでいる。

 九子は嗤い声で言ってやる。


「おうやってみろ。三下の小便漏らしが。火遊びしてチビるでないぞ」


 かぁっと怒りに頭を染めた旗本は、油に向けて蝋燭を投げつけた。


「全員死ね! ……あれ?」


 油だまりに蝋燭は落ちて、じゅっと音を立て火は消えてしまう。


「ガソリンじゃあるまいし、蝋燭投げたぐらいで油が簡単に燃えるか。まあ、万が一も燃えぬが……『氷結符』もあるしのう」


 九子の手にはいつの間にか札が摘まれていた。術符によってその路地は局所的に凍えるような寒さになっている。冷え切った油はなお燃えにくい。

 なんなら九子が店で寝ていて放火にあっても、燃え広がる前に消火することは容易かっただろう。故に、九子が出かけている最中にやってきたことだけが危なかったのだ。

 そのまま近づき旗本の襟首を掴んで、路地から通りに投げ飛ばす。地面に毬のように転げた旗本は全身を強く打って、悶え苦しんだ。


「貴様……! この将軍より新番を承る徳川直臣旗本家の嫡男、水野政長にこのような狼藉……! 無礼討ちしてくれる‼」

「いや……そんなお偉い水野さんも、火付けなんてやらかしたらもう終わりじゃないかのう……」

「煩い! ええい、そうだ! 放火しようとしたのは貴様だ!」

「なんで己れが自分の店に……」

「黙れ! 旗本である俺と、貴様のような町娘の証言どちらが信じられるかだ! それにここで斬れば弁明もできまい!」


 男は叫びながら気力が湧いてきたのか、立ち上がってやおら刀を抜く。九子は呆れた様子で半眼になった。


「どちらにせよ、俺の家来に暴行を働いた貴様は重罪だ! 店の者ごと縁座で死刑を……」

「こうなっては仕方ないのう……」


 九子が相手の話を止めて、残念そうな声で尋ねた。


「今からお主を山に埋めるか海に沈めるつもりだが……どっちがいい?」

「は? な、なにを……俺は旗本で!」

「多少のやんちゃなら生かして帰してもよかったのだが、逆恨みで放火までしてくるような相手だとのう。消した方が楽かと思って。お主、山と海どっちが好きかえ?」

「な、な、な……」


 淡々と、旗本という特権階級に怯えるでもなく死体遺棄する算段をしている九子を、政長は理解できない生物を見たとばかりに口を開いて震えた。

 武士は特権階級だ。町人が武士を恐れず、殺して捨てることを当然とするならば今の社会は崩れてしまう。常識外れの行動だ。

 だが九子からすれば、目の前の男は自分とその親しい者たちを焼き殺そうと画策し、反省もしそうにないので殺す以外に安全を守る方法がなさそうだと判断したのだ。この時代の司法がどれほど町人を守るものか、あまり彼女は信頼していなかった。

 幸いなことに九子は、穴を掘るのに便利な術符を持っているし、沈めたら岸に流れ着かない東京湾のポイントも知っている。


「さて、攫って捨てるとなれば誰か駆けつけてくるのは不都合だのう。さっさとやるか」

「ひっ!」


 九子が村雨を担いで近づいてくるのを、政長は後ずさりした。

 相手の顔が暗さと恐怖からよく見えない。ただ、目だけが赤く光っているように思えた。風もないのに青白い衣がゆらゆらと揺れて、月明かりが白い肌を照らしている。


「ばっ化け物……」


 恐怖から彼は腰を抜かしてへたり込み、しめやかに失禁してしまった。相手の目つきが脅しではないと理解したのだ。今から自分は殺される。

 ゆるりとした動きで九子が男を捕まえようと手を伸ばした。その瞬間である。


「ちょーっと待った!」


 声が掛かった。九子が顔を向ける。そこには影兵衛がいつの間にか現れていた。

 彼はにっと笑みを浮かべると芝居がかったような声音で緊張感なく近づいてきた。


「まま、そこのヤクザな姐ちゃんは落ち着きなよ。埋めるとか沈めるとか物騒なこと言ってねえでよ。ここはお兄さんが解決してやっからよ」

「オッサン」

「オッサンじゃねえ。それはともかく旗本はぶっ殺すと面倒だしな。そこらでのびてる手下全員埋めて口封じするのも大変だろ。おい手前!」


 影兵衛はへたり込んでいる政長を覗き込んで告げる。


「火付けしようとしてたんだって? ちょっと番小屋まで来てもらおうか」

「ちっ違っ! 俺じゃなくてあの女が……触れるな! 俺は旗本だぞ、この薄汚い素浪人めが!」


 影兵衛の手を振り払う政長に、影兵衛は皮肉そうに顔を歪めて告げる。


「なァんで姐ちゃんが自分の店に放火すんだよ、ボケが! ところでお旗本様? 拙者ァ……火付盗賊改方の同心やっておりまする、中山影兵衛ってもんですどうぞヨロシク」

「ひ……火付盗賊改方……中山……⁉」

「お主、ちゃんとした武士だったのか。己れも薄汚い素浪人かと思っていた」

「酷くねェ?」


 政長は一番見つかってはならない組織の相手に見つかったと悟った。

 火付盗賊改方。言わずと知れた、江戸の放火犯と強盗犯を取り締まる警察役である。彼らの持つ捜査権は町奉行所の同心よりも強く、町方では手が出せない僧侶だろうが武士だろうが捕まえることができた。

 捕まえるだけならまだしも、現行犯で抵抗された場合は切り捨て、取り調べに拷問なども認められ、腕利きが多い一方で世間からは恐れられて、評判は悪かった。

 その中でも特に凶暴だと知られていたのが、中山影兵衛だった。組織でも問題になるほど悪党を斬り殺しており、独断、単独の行動は日常茶飯事。間違いなく成果自体は上げているのと、実家が三千石の大身旗本であることから許されている──幕府公認の人斬りとまで言われるような危険人物だった。


「ちなみにちゃーんと、拙者ァお旗本様がお油をお撒きになって、お手下にそこのお姐ちゃんを襲わせるところも見てたからよ。現行犯ってやつ。安心して火炙りにあってくれ」

「見ていたのかよ。助けろよ」


 わざと雑な丁寧さを強調するように言う影兵衛に九子が半眼で告げると、彼は面白そうに言う。


「姐ちゃんが殺され──ごほん! 危なくなったら颯爽と駆けつけて格好良く敵を殺してやろうかと思ったんだがよう、姐ちゃん強ェんだな! 拙者と趣味で殺し合わねェか?」

「合わねェよ。ところでお主が向かった騒ぎはどうなったのだ」

「ああ、駆けつけたら全く別件だった。逃げてる不審者は居たけど辻斬りとは関係ねェんで戻ってきたんだ」


 などと九子と影兵衛が呑気に会話をしている最中で、政長は再び刀を持つ手に力を込めていた。

 隙を見て、二人を殺すしか自分が生き延びる道はない。仮に火付盗賊改方に捕まり、どうにか実家の伝手で釈放されたとしても、恐らく良くて廃嫡、追放される。悪ければ父親にこれ以上恥を晒さないよう腹を斬れと迫られ殺されるだろう。


 殺す。強い意志は、彼の未熟な剣の腕から震えを抜き去った。


「うあああああ‼」


 裂帛の気合を入れて、まず目の前の影兵衛に近づいて突きを食らわせる!


 ──政長は最期に、影兵衛が凶悪に嘲笑(わら)ったのが見えた。


「馬鹿がッ!」


 キン、と澄んだ響きが九子に聞こえた。風を切る音と共に地面に折れた刀身が突き刺さる。

 政長の刀は根本から綺麗に断ち切られ──九子はその若侍の体が──いや、背後の景色すら同時に、ずるりと斜めに切れて崩れ落ちたように見えた。

 瞬きをして改めて見ると、当然ながら景色は切れておらず、政長の体も両断されていない。

 夢でも見たかのように、九子は自分の頬を軽く叩いてみた。それに影兵衛は既に刀を腰に納めているが、抜いた瞬間をまったく目視できない速度であった。


「……殺したのか?」

「いや、抜き打ちで刀をぶった切ってやりつつ、剣の切っ先を掠らせただけだ。これが意外と効いてよ、自分が斬られたと思って気絶しちまうんだ」

「ふむ……離れて見ていた己れすら、真っ二つにしたように幻視したのう」


 剣の気迫というか、殺気というべきものでもあるのだろう。それを強く感じてしまった相手は、自分が死んだと錯覚してしまう。それほどの恐ろしさが込められた剣だった。


「お主だったらそのまま殺してしまうかと思ったが……」

「カハハ、さすがに旗本をぶっ殺すのは火付盗賊改方でも面倒なことになっちまうからよ。拙者これでも自己保身はちゃんとできてんだ。それに、姐ちゃんの前で惨殺するより格好良く捕まえた方がモテそうじゃん? どうよ、惚れた?」

「軽いのう……」


 軽口を叩く影兵衛に苦笑いを返す。


「ま、ともかく後の処理はお主に任せるとして……おや?」

「どうしたィ? 姐ちゃん」

「……」


 九子は倒れて動かない政長に近づいて、脈を取ってみた。

 脈が動いていない。呼吸もしていない。目を開けてみたら瞳孔が開いている。ペシペシと頬を叩いても反応は皆無。


「……こやつ、本気で死んでおるぞ」

「えっ、本気(マジ)で?」

「マジでマジで」


 ※マジという言葉は江戸時代から使われていた、業界用語である。

 それはさておき、影兵衛も近づいてきて政長を突付いた。反応は無い。バシバシ叩いてみる。背中に回って、両肩を掴んで気合を入れた。残念ながら魂は返ってこない。

 政長は当たってない刀の剣気にやられて、恐怖のあまり心臓が止まって死んでしまったのだ。


「うーわ、この雑魚がよ……ああ~……やっちまったァ……旗本殺すと面倒だっつーのに……」

「じゃあ後は任せ……」


 頭を抱えだした影兵衛を置いて九子は帰ろうとした、その瞬間。

 ただの勘で、猛烈に厭な予感がしたので九子は自分と影兵衛の間に、持っていた村雨を反射的に(かざ)していた。


 濁った金属音がした。村雨の鞘に影兵衛の刀が打ち付けられていた。


 影兵衛がまったく予兆無しに、刀を抜き打ちにして来たのだ。村雨を持っていなければ首を落とされていただろう。


「お主……!」

「カハハっ、面倒なことになる前に目撃者には消えて貰おうかと思ったんだがよォ……やっぱ強ェのか姐ちゃんよォ‼」

「ぐっ‼」


 影兵衛が恐るべき威力の蹴りで九子の脇腹に爪先を刳りこませ、蹴り飛ばした。

九子は息が詰まる感覚を覚えながらも、勢いに任せて影兵衛から離れる。あのような見えない太刀筋を持つ相手の間合いに入っては命が幾つあっても足りない。


「お主……同心の癖に……躊躇いなく民間人を殺しに来たな」


 しかも先程までにこやかに接していて、惚れただのモテるだのと軽口を叩いていた顔見知りの女相手にだ。

 尋常ではない。頭がおかしいのかと九子は思った。影兵衛の態度には正義もクソも無かった。

 彼は相変わらず芝居がかったように、殺し合いを始めたというのに軽い調子で告げてくる。


「ああ~なんて可哀想な姐ちゃんだ。旗本と殺し合いをして相打ちになっちまうなんて……ちゃんとあの旗本が火付けやらかしてたことは拙者が証言してやるから──よォ!」

「ちぃ! 『電撃符』!」


 踏み込んでくる影兵衛相手に、九子は後ろに飛び下がりながら術符で放電をした。

 いかに鍛えた剣士といえども、電気を浴びれば全身の筋肉が動きを止める。まさに対人では一撃必殺の攻撃である。

 激しい音を立てながら網目のような放電の渦へと突っ込んでくる影兵衛は、真っ白な電光に照らされて悪魔じみた凶悪な顔つきをしていた。


「ちょいさアアアアア‼」


 影兵衛が気合の声を叫び、迫る雷へと向かって大上段から刀を振った。鉄に吸い寄せられるようにして、大気中を蠢いていた魔法の稲妻が刀へ集う。

 影兵衛は刀を振り抜いて地面へと突き刺す。鉄に帯電した雷がバチバチと音を立てながら地面へと抜けていき──刀を握っていた影兵衛は、壮絶な笑みのまま再び構える。


「なんだよ、案外切れるじゃねえか──雷ってやつはよォ!」

「化け物かお主は……」


 彼の持つ刀の柄には素材として絶縁体である紙が何重にも巻き付けてあったためだろうか。或いは自然界の雷ではなく魔法の雷だったからか。影兵衛の常軌を逸した剣速によってか。

 電撃を切った影兵衛には影響が無いまま散らされてしまった。少なくともそこらの殺人鬼が行える技量ではない。


「そうか、天狗って言ってたな姐ちゃん……成る程、天神騒ぎも姐ちゃんの仕業か」

「さあてのう」


「カハハハハハ、拙者ァ気分いいぜェ! 天神様が切れるかって姐ちゃんに質問したけどよ、こうして目の前に居て切れそうなんだからよォ! 神様を斬り殺してやったらもっと気分良くなるだろうなァ!」


 狂的に影兵衛が嗤いながら九子へ今にも斬りかからんと刀を向けた。これは本気で、空に逃げた方が良いかと九子も身構える──


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― 新着の感想 ―
影兵衛のならず者度がさらに上がってるんスけどいいんすかこれ? おめぇの出番だぞ…電撃符! 流れ弾(雷)で本来の世界線の役目の一つ、心肺蘇生をするんだ
江戸で水野って老中の水野しか知らんなぁ。あれの系譜ならそりゃいいとこのボンボンだけど、だからこそ醜聞は親父ぶちギレ案件か 人斬りヤベえ。必殺技でもないただの一振りで事象切ってやがる。生まれる世界を間…
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