20話『天狗と刀』
店が繁盛して数日が経過した。
相変わらず客入りは途切れないほど多いが、店側も対応に慣れてきたおかげで倒れるほどの忙しさは無くなった。
それに先日の旗本落雷騒動が瓦版で書かれるほど世間の評判になったおかげで、客のマナーがやたらと良い。列を荒らす輩に本気で雷が落ちたのだから、信心深い江戸の人たちにとっては真剣に気をつけなくてはならないと思われている。
とはいえ、桑の葉天ぷらが売れるのは一時の間だ。流行が廃れる……かは判らないが、夏になれば桑の葉が固く成長するので人が食って美味いものではなくなるとは、甚八丸からも言われていた。
その時は適当に新たなメニューを考えようと九子は思っていた。
さてその日、夜も更けて店を閉めてから、九子は町へと出ていた。
質屋に行って『村雨』を買い戻すためだ。日に何両もの利益が出ているので、初期投資分は取り戻して刀を買える銭は稼いだのである。
九子の持ち物を質に入れていたことを気にしていたお房が、早いうちに買い戻した方がいいとしきりに言うため九子は店が終わって暇な時間に向かうことにした。お房としても天狗の貴重な道具を質流れさせては勿体ないと心配していたのだろう。
「はあ……忙しくて江戸の観光もできぬのう……もうちょい安定したら六科と忍び連中に任せてもいいかもしれんが」
九子は愚痴りながら、提灯を片手に夜の江戸を歩く。殆どの店は木戸を閉めていて、辻ごとにある番小屋などに提灯が掲げられている灯りが見える。
質屋は江戸に数多ある店でも、夜遅くまで開いていることが多い。客の中にはこっそりと質に持ち込んだり、買い戻したりしたい者がいるからだ。
貧乏な武家の奥方が顔を隠しながら嫁入り道具などを質に入れて生活費を得る……などという姿も珍しくない。
質屋の灯りを見つけて九子は暖簾をくぐる。
「ごめんよ。やっておるかえ?」
「おや! 九子の姐さんじゃないですか。天ぷら屋が近頃は随分繁盛なさっているようで。私も並んで食べさせて貰いましたよ」
「それはどうも」
質屋の親父が愛想良く迎えるのを、九子はニコリと笑みを浮かべて応えた。
「いやあ、六科の旦那も前の嫁さんを亡くしてから随分と気落ちして店も寂れて、ちょっと可哀想だと思っていたんですが……こんな美人でやり手の姐さんを嫁に貰えるとは、それこそ天神様に祈願でもしたんですかね」
「いや……己れは六科の嫁でもないし、そうなる予定も全く無いからな?」
とりあえず否定しておく九子。そんな噂が出回ったら、寝込みをお雪に刺されそうだと警戒していた。むしろ彼女はお雪と六科がお似合いだと思っている。
盲で苦労もあるだろうお雪に対して、ずっと関わってきてお雪と暮らすのを苦とも思わなそうな六科ならば安心できる。少なくとも、なんとも知れない男が貰うよりは。店だけでなく大家としての収入もあるのだから、経済的にもいい。
「それより預けておった刀を買い戻したいのだが」
「ええ。またのご贔屓を願います。少々お待ち下さい、蔵から持ってきますので」
ニコニコとしながら預り証を受け取った質屋が、店の小僧に鍵を預けて蔵へ向かわせた。
九子は出された茶を啜りながら、懐から小判を取り出す。
店の床が抜けそうなぐらい集まった銭を小判に両替してきたのだ。店員への給料として払う分には銭が好まれるが、呆れるほど消費する油や酒の代金としては銭だとあまりに枚数が多いため、一分金などの金貨で払うことになる。
質屋が小判を数えて告げてくる。
「それにしても少し安心しているのです、買い戻して頂けるのがこんなに早く」
「どういうことだ?」
「昨今、江戸を騒がせている辻斬り騒動がありまして……実はですね、その犯人と思しき男は押し込み強盗も行ったとかで」
「ほう……それは穏やかではないのう」
「押し込みを受けたのは番町にある刀商の店。夜中に一人で店に押し込み、嫁子供を斬り殺し、主人を脅してもっとも高価な刀を奪い、そのまま逃げたそうで……哀れなことに、その主人はお役人様に事情を話した後で首を括って死んでしまいましたよ」
「それが辻斬りの犯人なのかえ?」
「噂の辻斬りは武士を襲って刀を奪っていたそうです。そして押し込み強盗も、金蔵には目もくれずに刀を奪って逃走。路上のみならず、そういった店舗すら襲うようになったのではと噂され、江戸の刀商では用心棒を雇うようになったみたいです」
「ふうむ、恐ろしいのう。金ではなく刀目的……刀を売って金にするのだったら、最初から金を奪うのだがのう?」
「ええ、それで刀を預かっている質屋仲間の間でも不安が広がっておりまして……特にうちは姐さんから預かった名刀がありましたからねえ」
「己れも、自分が預けた刀のせいで質屋が死んだとなると寝覚めが悪いのう」
九子は苦笑しながら、小僧が重たさと長さによろけながら持ってきた刀を受け取った。九子の身長よりも長い大太刀であり、そんな鎌倉武士が引っ提げているようなものを少女が手にしている奇妙さで質屋はやはり首を傾げるものがある。
そもそもこの太平の世、江戸の町でそんな太刀を持ち歩いている者などよほどの傾奇者以外いないのだが。
「九子の姐さんも辻斬りに気をつけてくださいよ。なんなら店まで送りましょうか」
「はっはっは。気にするでない。むしろ誰かが居た方が危ないぞ。己れの逃げ足は早いのだ、置いていくことになる」
九子は笑って質屋の提案を断った。緊急時には透明化して空に逃げることもできるので、いきなり背後から斬りつけて致命傷を負わせるなどでもされない限りはどうとでもなるのだ。
「それではのう。また世話になるかもしれん」
「どうぞご贔屓に」
九子は刀を肩に担いで店を出た。僅かな提灯の火が照らす江戸の夜は闇が深い。数え切れないほどある路地はどれも真っ暗であり、そう言われれば路地から辻斬りが窺っているような疑心暗鬼も生まれそうなものだ。
(疑心暗鬼というが、まあ辻斬りは実在しておるか)
単に目的が刀である謎の辻斬り以外でも、夜鷹や無宿人を斬り殺す者もいるだろう。あちこちに番所が配置されていて見張りがいるとはいえ、夜の江戸は決して安全な町ではない。
不審な人物などは夜に出歩いていると番所で呼び止められ、留置される。九子など怪しさは十分なのだが、幸いなことに天ぷらの繁盛で九子の姿を見たことがある者が多くなったので、止められることはなかった。なにせ髪型も服装も目立つのだ。既に店に九子目当てで通う男も現れているぐらいであった。
(しかし姐さんのう……)
今更ながら、誰がどう見ても自分は女に見えているという事実に九子は微妙な寂しさを感じた。
彼女は元々男なのだ。少なくともこれまでの人生の九割以上は。異世界にて魔女の気まぐれで女体化させられたものの、その姿で社会生活を送ったわけではなかった。だがこうして人と関わって生活していると、誰も彼もが女として扱うようになり、なんとも奇妙な感じがする。
(六科のやつは大丈夫だろうが、ガチで惚れてくる輩とか出てきたら正直キモいのう)
他人におっぱいを揉ませておいて勝手なことを考える女である。彼女の男としての意識からしても性欲が枯れているので、本人が女で興奮することもないため少しばかり男を勘違いさせる基準が緩いのだ。
しかしながら江戸は男余りの社会。少なくとも見た目は年頃の女として生活する以上、そういった目的の相手が近づいてくることは大いに考えられる。
(そんな輩が出ぬようになにか手が打てるか……? ううむ、胸さえ無ければ男装でもしたのだが。こうなると利用した方がマシかのう)
たゆんたゆんと歩く度に揺れる胸を忌々しげに見下ろす。胸で遮られて自分の足元がさっぱり見えないし、重たく揺れてバランスが悪い。魔法のお陰で肩こりはしないが、邪魔としか言い様がない。
(女体化するまでは百歩譲っていいとして、どうしてこんな馬鹿デカい乳になったのだ)
魔女が巨乳だったのでそれに合わせたのだろうか。今度会ったら問い詰めたいところだったが、もう死んでいるかもしれない。九子が江戸にやってくる直前には魔女は討伐されそうになっていた。
そのようなことを考えながら九子が夜道を歩いていると、後ろから声が掛けられた。
「よーう姐ちゃん! 夜道は危ねえって前言ったろ」
「む? おお影兵衛か。まだお主、辻斬り探しをしておるのか」
どこか肉食動物を彷彿とさせる笑みを浮かべて、軽い調子で片手を上げているのは片手に提灯を持った中山影兵衛であった。
相変わらず無精髭の浪人姿で、よく夜中にウロウロしていて辻番で引き止められぬなと九子は思う。
彼は近づいて来て、九子が担いでいるのが棒切れではなく刀だということに気づいてぎょっとする。
「なんだその馬鹿みてえなデケえ刀……はっ! まさか姐ちゃんが辻斬りの下手人……よっしゃ」
チャキ。鯉口を切る音がした。影兵衛が刀を抜く用意をしたのだ。問答無用で。
「今ヨッシャって言ったか⁉ 違う違う。これは己れの持ち物だ」
「姐ちゃんみたいな天ぷら屋の女がそんな刀を……? なんか妙だな。影兵衛は訝しんだ」
チャキ。鯉口を再び鳴らした。影兵衛は疑いの段階で切るつもりだ。
「妙な解説セリフ吐きながら危ない音を鳴らすな。別に己れが持っていてもよかろう。これはそう……天狗の国から持ち出した、天狗の名刀『村雨』という刀だ」
九子は適当に設定を作って告げることにした。変に持っている現実的な理由を考えるより、天狗なら妙な物を持っていてもおかしくないということで押し通す作戦だ。
「天狗ゥ? 姐ちゃんがか?」
「左様」
「左様て……」
訝しそうに影兵衛は九子をジロジロと見回す。
「天狗っていうより、鬼婆がデッカイ人斬り包丁持ってるみてェだな」
「鬼婆言うな」
「そういや天狗の刀って……話好きの拙者の爺さんが、赤穂浪士の誰だったかがそんなの持ってた噂があるとか言ってたっけか。実在すんだなァ」
「それ昔映画で見た気がする設定だのう……というか元ネタあったのかそんな噂話」
九子は半眼で呻く。現代で見た覚えのある忠臣蔵を題材にした映画で、そんな特殊な刀が登場したことを思い出したのだ。赤穂浪士が吉良上野介を討ち取りながら、同時にキアヌ・リーヴスがドラゴンを退治する冗談みたいな内容の映画だった。
赤穂事件は江戸時代だと最も人気のある娯楽の一つで、有る事無い事多くの設定が継ぎ足されたことで、やれ天狗の刀や兵法だ、神仏の助けだといったオカルト方面でも語られたという。中には吉良が何度も復活してはループし、赤穂浪士と戦い続ける話もあったとか。
「にしても姐ちゃんが使うには長すぎるだろ。ちゃんと鞘抜けるのか?」
影兵衛は疑わしそうに聞いた。武士である自分でも持ったことが無いほどの大きさの刀で、九子が手にしていると旗竿でも持っているように見える。
なにせ刀身だけで五尺もあって、馬でも切るのかという大太刀だ。鞘だけでも九子の身長よりも長いので、手を伸ばしても足りず引き抜くには鞘を投げ捨てるしかなさそうだった。
「ちゃんと抜くには仕掛けがあるのだ。滅多に抜かんがのう」
「へえ? どうやんだ?」
「こうやって」
九子は刀を目の前で水平に持って、鞘を掴んで捻った。
歯車を回すような抵抗と同時に鞘の一部が半回転ほど捻られると、がちゃりとした音と共に鞘の前面に縦へ分割する一筋の隙間が開いた。
丁度その隙間から刀身を抜けるようになっており、九子は刀と鞘を引き剥がすようにして一気に抜刀して見せる。
細い腕に似合わぬ重たそうな大太刀は夜闇の中でも月のように輝きを放っていて見るものを畏怖させる迫力を持っていた。
「ほう……凄ェな……その刀」
と、影兵衛が唸るほどの物であった。そういう他者を威圧させる魔法が掛かっているのだ。
しかしながらこんなもの抜き身で持っていたら同心など通りかかれば怪しまれても仕方がない。九子はさっさと納刀することにした。
同じように鞘に開いた隙間へと正確に刀を納め、鞘の一部分を捻るとその隙間は塞がった。普通の刀のように引き抜くことも可能ではあるのだが、長くて面倒だというので鞘を改造して作らせた仕掛けである。
「こんなところか」
「いい刀持ってんなァ姐ちゃん! 天狗ってのはマジかもな」
普通の町娘──どころか武士ですら持っていないような刀なので、影兵衛は感心してそう思った。もっとも、彼はそこまで得物にこだわらないので刀も使い慣れた長さが一番であり、羨ましくはなかったが。
言ってみれば刀は人が斬れれば十分なのだ。影兵衛にとっては。九子の刀など、それこそ馬か竜でも斬らんばかりの代物である。
「それではのう。危ない辻斬りは早く退治しろよ」
「いや待て姐ちゃん。ちょっと頼みがあるんだが……」
「なんだ?」
呼び止めた影兵衛に聞き返すと、彼は満面の笑みを浮かべながら九子の店とは反対方向を親指で指した。
「ちょっとその良さげな刀持って、人通り少なそうなところをウロウロしてくれねえ? 一~二刻ぐらいでいいからよ」
「やらんわ! 己れを囮にして辻斬り呼び寄せる算段だろう⁉」
九子はまさに、女が高級そうな太刀を持って一人で歩いているという、鴨が葱を背負っている状態なのであった。
件の辻斬り犯がいなくても、人気の少ないところを歩いていたら食い詰めた無宿人などに襲われかねない。
「チッ……勘がいいな。大丈夫だ! 拙者が後ろからこっそり付いていってだな」
「……」
「姐ちゃんが斬り殺されたときに現行犯で辻斬り野郎を殺してやるから」
「己れが殺されること前提ではないか!」
「仇は討ったぜ……姐ちゃん!」
「勝手に盛り上がるな、碌でなしめ!」
九子が足早に店に戻ろうとするのを、影兵衛はまとわりつきながら懇願してくる。
「なァなァ姐ちゃんよォ、ちょっとでいいから! 遊び感覚で! 今どきの娘なら皆やってることだからよォ」
「今どきの娘が遊び感覚で囮になっておる町があってたまるか」
「拙者が岡場所とか夜の街を案内してやっからさァ」
「女子が行って楽しいところではあるまい」
「じゃあ賭場行こうぜ賭場! 最近儲かってんだろ? なんなら二人で賭場荒らしやって暴れねえ? 楽しいぜェ」
「誘い方が完全に悪の道に引き込むチンピラだぞお主」
そんなことをダラダラと話しながらも、店に戻る九子に付き纏うので鬱陶しくも感じたが、
(ひょっとしてこやつ、こっそり送ってくれておるのか?)
とも考えた。しかし彼の顔つきからして九子が囮捜査に合意したら即座に連れて行かれそうでもあった。
まあ、九子とて他人に襲われる確率が減るなら無駄話でもしながら帰るのもいいかと思っていたときである。
「不審者だあ──!」
「待て、怪しいやつめ──!」
「逃げたぞ──!」
「ひいっ、お助けええ──!」
と、夜を切り裂くような叫びが響いた。大勢が走る音や、男の悲鳴も混じっている。夜中だからよく聞こえることもあるが、そう遠くない場所のようだ。
影兵衛のチャラついていた雰囲気が一瞬で変わった。音の聞こえた方を睨んで、片手で刀の鞘を掴む。
「悪ィな姐ちゃん。拙者ァちょいと行くぜ」
「おお、気をつけてのう」
「姐ちゃんこそ。じゃあな!」
短く言葉を交わすと、影兵衛は提灯すらその場に置いてあっという間に走り去った。夜目の利く九子ですら、瞬き一つする間に姿を消すほどの速さだった。
口をあんぐりと開けて見送った九子は、甚八丸の部下たちも似たような俊足だったことを思い出して呟く。
「なんとまあ、江戸時代の人間は健脚だったとは聞いた覚えがあるが……影兵衛も忍びじゃなかろうな」
妙な身体能力を持っている者は忍び。そう考えると、天狗ではなく忍者と名乗ってもよかったかもしれないと九子は考えるのであった。




