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2話『女天狗』


 九郎という男が日本から異世界に行ったのは三十歳の頃であった。


 原因は不明だ。オホーツク海のカニ漁船から転落したところ、気がつけば異世界であった。

 転生もしなければ、自分を召喚した魔法使いもいない。幸いなことに言葉だけは通じた。仕方がないので身一つで稼げる傭兵団で雑務をこなしてひとまずの生活費を稼ぎ、様々な仕事を転々としながら半生を過ごしていた。

 そしてその世界で魔女と呼ばれる者の協力を得て、五十年以上ぶりに日本へと帰還することができたのであったが……そこは彼がいた日本よりも二百年数十年も過去の時代であった。


「はあ……嘆いても仕方ないかのう」


 諦めたような声音で九郎はそう呟いた。


(思えば今までも諦めっぱなしの流され人生だったのだから、もはや驚くこともあるまい)


 そう結論づけたのだ。長い人生、異世界に行くこともあれば年老いた後に若返ることもあった。出会いや別れも無数に経験し、住居を追われることもあれば国が滅ぶのを目の当たりにしたこともある。

 それを考えれば、少なくとも故郷の土を踏めたということだけでも懐かしいと思って喜ぶべきだろうと妥協するのであった。

 もう殆ど、故郷に帰るのは諦めていたのだから。

 たとえ、体が女になっていたとしても。

 暫く前に、異世界で魔女に面白半分で女体化させられたのだが、故郷に戻ってもそのままだ。男の体に戻る方法は、あの魔女がいなければわからない。


「ところでお主……って、いやなんかめっちゃ食っておるな。いいけど」

「うむ?」 


 九郎が自分で納得している間に、六科はやることもないので肉を食べていた。

 山姥に食われると警戒していたというのに、図太い精神をしている。


「ええとお主、名はなんと?」

「六科。蕎麦など出す飯屋をしている」

「ほう。蕎麦屋か……いいのう蕎麦。久しぶりに食いたいのう」

「ところで鬼婆殿は」

「お、鬼婆!? ()れのことか!?」


 まさかの呼び名に九郎は思わず大声で叫んだ。

 確かに。

 自分を省みても、怪しげな衣を着て、刀を振り回していて、犬を道端で焼いている妙な女だ。

 それにしても鬼婆は無いだろう。九郎は顔をしかめた。ただでさえ、女になったことすら不本意だというのに。

 九郎は咳払いをした。


「こほん。己れは九郎という者だ」

「くろう……? 男のような名だな……」

「……」


 やや、九郎は思案した。彼の本来の性別は男なのであるが、今は女の肉体になっている。そういったことを説明したところで相手の理解がややこしくなるだけであるし、今のところ男に戻れる算段もない。

 異世界ならば別にクロウで女として通った上に、あまり女になってから人付き合いもなかったから良かったのだがここではそうも行くまい。

 言ってみれば説明が面倒だというそれだけなのだが、九郎はあっさりと諦めた。これから誰かと出会う度に聞かれても困る。


「では九子(きゅうこ)とでも名乗るか」


 適当にそう言い換えた。この時代、○子という名前は町人としては珍しいものの、武家の女では見られるものだ。


「己れはそうだのう……そう、天狗とかそういうアレだ」

「そういうアレ」

「うむ」

「……天狗殿、ということでいいのか」


 九子が自分を天狗だと名乗った理由はいくつかある。

 まず彼女は戸籍も実家もない怪しい身分の者だがそれは天狗ならば当然だと言い張るため。

 次に九子は異世界から身一つで帰ってきたわけではなく幾つか魔法の道具を持ち込んでいたのでそれに関して、天狗の妖術だとか説明を付けることが容易であるからだ。

 とはいえ、江戸時代とはいえ天狗と名乗って相手が納得するのか、九子にはそこまで自信がなかった。納得されなくてもこれが一番簡単で楽な説明だからそう言ったのだが。


「なるほど」


 六科は重々しく頷いた。彼の娘は妖怪好きで天狗の話も父に語って聞かせたのだ。

 その中では女天狗という存在もいるとされ、女天狗はまさに仙女のような美しさを持ち、修験服を着ている男天狗と違って法衣を身に纏っているという。

 九子の特徴とも合致する。それに江戸の頃は天狗の実在を信じられていた。


「信じたか?」

「うむ」

「……この時代の人間が迷信深いのか、こやつがあまり深く物事を考えておらぬのか……ともあれ、六科よ。店をやっておるのだろう? 手伝ってやろうか? 繁盛させてやるぞ」


 九子はそう持ちかけた。

 彼女の目的は定住地だ。この時代、右も左もわからないままでは生きづらい。一人でサバイバル生活をできる自信はあるのだが、非常に面倒だ。

 だとすれば、今出会った眼の前の人間に取り入って、彼の身内として社会に入り込む方がいいと思ったのだ。

 九子はこれまでの人生、商売事に手を出したこともある。幾らか助言することも可能だろう。そうして充分に儲けが出たら後は自堕落に生活をする。

 そのために、六科へ誘いをかけたのだ。まるで天狗が真面目な修験者を堕落させるように、繁盛という甘い言葉で。

 だが、


「いや。遠慮しておく。では俺はこれで」


 ピシャリと六科は言葉短く告げて立ち上がり、何事もなかったかのように立ち去ろうとした。


「待て待て待て待て!」


 慌てて九子は引き止めた。折角の出会いなのだ。ここで彼を逃せば、後は怪しい身分の女が誰に話を持ちかけられるというのか。

 がしりと六科の襟首を掴んだ。ぐぐぐ、と力を込めると九子の首に巻いてある札が僅かに発光する。それだけで、大柄な大人が動けぬほどの剛力が彼女の細腕に込められた。怪力を生み出す術の籠もった札を使っているのである。

 無理やり六科を再び座らせて、九子は言い聞かせるように彼に告げる。


「よいか。己れの言葉を繰り返してみよ。商売」

「商売」

「繁盛」

「繁盛」

「嬉しい」

「嬉しい」


 まるでロボットのように六科は繰り返すので、九子は得意になって要件を続けた。


「天狗を雇って家に住ませる」

「天狗を──いやそれはちょっと」

「むう! もうちょっとだったのだが」


 九子は口を不満そうに尖らせた。もうちょっとだと勝手に思っているだけだ。


「こんな美少女が頼んでおるのにのう……」


 ぼやきながら(自分で美少女とか言うか?)と彼女も疑問に思わなくもないのだが、まさか断られるとは。

 いや、常識的な判断でいえば死ぬほど怪しい行きずりの女を雇うなどあり得ない。

 だが非常識的存在である天狗だというところまでは納得させたのだから、もう少し踏み込んで欲しかった。


「む……まさかアレか。嫉妬深い嫁とか居て女を連れて戻るわけにはいかぬとか」

「嫁は数年前に死んだ」

「……それは悪かったのう」

「フグ毒に当たりつつ餅を喉に詰まらせるという、言ってはなんだが馬鹿みたいな死に方だった」

「あんまりであろう、色んな意味で」

「だが家には小さい娘が居てな……天狗を連れて帰ったとなればどうなることやら」

「驚いて怯えるかのう?」

「いや、餌代はどうするとか責められそうで」

「餌代……ペット扱いか……?」 


 確かに、九子の思惑としては居候して住居確保することだ。

 居候が増えればその分家計は負担が掛かる。長期的に見れば、九子が商売で儲けを出すかもしれないのだが、それまではいい顔をされないだろう。

 六科の様子を見ても金に余裕があるようには思えない。そもそも余裕のある者は夜に一人で急ぎ旅などしない。

 しかし九子としてもこの時代の小判などは持ち合わせていないので、宿代を出せるわけでもないから困った。


「よし、では軽く妖術を見せてやろう六科よ」


 九子はそう決めて、腰に巻いていたベルトに付けられている小物入れのようなものに手を触れた。

 それは彼女が使う術の札が収められているフォルダーである。

中から幾何学模様の刻まれた、赤色と水色の札を取り出して見せる。


「『炎熱符』」


 彼女がそう呟くと、札からメラメラと赤い炎が立ち昇った。火の術が込められた札だ。


「『精水符』」


 次に見せた水色の札からは桶をひっくり返したような量の水が溢れて出る。


「どうだ、少なくとも己れを雇えば薪代と水代はタダになるのだぞ。飲食店ならばお得であろう」

「うむーん」

「どんな唸り方だ⁉」


 六科が思案した。火と水。それはどちらも生活に欠かせないものであり、江戸に住む彼も常に金を費やしているものだった。

 江戸時代、当然ながら江戸に住む人々は竈にて煮炊きを行い、食事を取っていた。だが当然ながら江戸及び近郊では薪になる木などを勝手に取ることは許されておらず、薪炭問屋から燃料を購入する必要があった。


「というか己れも知らぬのだが、薪ってどれぐらいの値がするのだ?」


 九子が疑問を口にするが、六科は「むう」と言葉に詰まる。


「店の主が燃料代で言葉に詰まるなよ……」


 九子は呆れるのだが、実際にその値段は一概にいくら、とは決まっていない。薪炭になる樹木の種類、季節によって変動するし、年にもよって異なる。町人も藁や(あし)でもなんでも燃料に使っていたから人によってどれだけ金が掛かるかも違う。

 簡単に計算することは難しいが大雑把な例として、


「……木賃宿では、薪代として銭三文を徴収しているから……ざっと一人一日三文程度か」


 木賃宿は旅宿の一種で、泊まる際には煮炊きに必要な薪代だけを払う形式の、言ってみれば管理されていない山小屋のような安宿である。


「ほう。つまり単純計算で一日一回の煮炊きに三文使うとして、年間千九十五文ということだのう……高いのか?」

「いや……そこまでは掛からないな。そう考えると」


 もちろん武家が多く使う、煙の少ない炭などでは更に値段が跳ね上がるのだが。

 また六科のような飲食店では燃料代はかなり掛かるはずではある。


「では水代はどうなのだ? ……そういえば江戸って水道があったような気がするのう」


 九子が微妙そうな顔で言う。そういった設備が無いところの方が重宝される術ではある。

 江戸といえば神田・多摩より流れる上水道が整備されていることで有名だが、どこでも水道の窓口である井戸があるわけではない。

 六科はむっつりと応える。


「水売りという商売があるから、水にも値段は付けられる」

「ほう? 井戸があるのに水を買うのかえ?」

「時々井戸水で腹を壊す者もいる」


 六科の長屋では上水道の井戸が通じているのだが、これを安心して飲めるかというとそれもまた状況による。なにせ、数多くの井戸が開いている上水なのだ。毎年掃除をしていてネズミが落ちていることもあれば、夏場は虫が湧くこともある。ぬるくなり、苔むした味になることも。六科は腹を壊したことはないが、飲料水を買って飲む者も江戸には居た。

 さてその水代。これもまた値段が地域によって上下するものであった。六科の説明では、


「安くて水売りが一件で四文、高くて六十文といったところか」

「……使い放題の水だからのう。仮に日に三十文の得としてみれば、年間一万九五十文。これは薪に比べて中々の儲けであろう」

「……確かに」

「薪と水と合わせて年間で約一万二千文。お主の店で使うとなれば個人消費よりも遥かに増えるのだからもっとお得になるに違いないぞ」


 九子は地面に棒切れで数字を描いて六科を納得させるように説明をしてやった。

それにしても、六科が大家をしている長屋の家賃は月に五百文、年間で六千文なのだから家賃を取るよりも遥かに儲かることになる。


 ところで九子もあまりこの時代の金額の価値が理解できていないのだが、簡易的に現代価格へと換算してみよう。

 なお江戸時代を通しても一両の価値はかなり上下し、物価などが大きく異なるため、あくまで目安である。正確には異なっても感覚的にわかりやすいレートにすることを断っておきたい。


 仮に一両=十万円=五千文として、一文が二十円となる。

 これで換算すれば長屋の家賃は五百文なので一万円。

 九子の生み出す火と水の価値は一万二千文なので、二十四万円で、二両と五分の二。

 毎月の光熱費が二万円減るとなると、なかなか役に立つ居候である。


 閑話休題。


「家賃分は火と水を出せて、しかも店を繁盛させるというのだ。これで連れて帰らねばむしろお主、娘から叱られるぞ」

「むう……」


 九子はそう説得をした。彼女の常識から言えば、身分もない怪しげな女が江戸で家を借りられるとも思えないので、たまたま出会った六科に頼むのが一番だ。なにせ彼は長屋の大家であり、大家ともなればある程度は長屋の住民たちの身元を保証できる。

 当時は寺で住民の氏名、家族構成、職業、宗派などを記録して管理していたのだが、なにせ江戸は人が地方から流入してくる都市だ。流れ者も多いため、記録が追いつかない。そこで大家などが一括して住民を寺、或いは長屋の地主に報告していた。


 余談だが、基本的に長屋の住民は江戸の庶民であるのだが、公役税と呼ばれる税金を払っていない(長屋の家賃に含まれているとしても)ため、公的な町民としては認められていない。この場合は長屋の大家、地主のみが税金を払っている町民であった。

 さておき九子としても、まさか江戸に一人行って、なんの面識もない自分を養いたいなどという奇特な者がいるとは思えないのでこうして僅かながら話をした六科を頼る。

 とはいえ最終手段として、江戸で盗みを働いて一生遊ぶだけの小判を得ることも、彼女の妖術を使えば容易くはあるのだったが……さすがに生きるか死ぬかほど追い詰められてもいないのにそこまでするのも気が引けた。


(もうこれまでの人生で、仕事も冒険も目一杯やったのだ。後は平凡に余生を暮らしたいものだからのう……)


 八十余年生きて、現代でも異世界でも様々な仕事をして、生きることに必死だったのだ。そこまでしてやっと日本に戻れたと思ったら過去である。九子も今から天涯孤独の大冒険を始めるにはすっかり疲れていた。

 そうした思惑もあるのだが、六科はこう結論を出した。


「よくわからんが、それならお願いしよう。天狗殿」

「うむうむ、任せておくがよい。これでも若い頃は蕎麦を打ったこともある。知り合いのヤクザ親分の趣味でな。二八そばのツナギに白い粉を入れておったが」


 九子はにこやかにそう言いながら六科の背中を叩いた。


「さ、とりあえず肉を食ってから江戸を目指すとしよう。なんなら飛んで連れて行ってやるからゆっくり食え」

「むう」



 ……こうして、異世界から帰ってきた九子は、怪しげな身分を天狗ということでゴリ押しして、居候になるべく江戸へと向かうのであった。


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別嬪さんなら身ひとつで稼げそうだがなァ。まぁ働いて銭稼ぎたいわけじゃないし、やはり水商売が一番楽か
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