表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/19

17話『天狗と天ぷら大盛況』

 翌日のことである。


 江戸の人々は憔悴していた。天神様の恐るべき怒りによって、いつ雷が落ちるか、火事が起こるかわからなかった不安によってである。

 それでも一日は始まる。どことなく道行く人たちは拝むように手を合わせて擦っている者が多かった。

この日も天神を祀る神社は大賑わい──どころか、怒った民衆が神職に「お前らがちゃんとしてないから天神様が怒っているんだ!」と詰め寄る姿まで見られた。

 九子は思ったより雷鳴が効果を上げていた様子にやや反省した様子で、


「いやー、若干申し訳ないが、ちゃんと気休めはするから」

「フフフ……言ってはなんだが、昨晩は雷に驚いて漏らしたよ!」

「本当に言ってはなんだな」


 朝から店にやってきた石燕にそういった半ば恐慌状態にある町の様子を教えられて「もうやらんでおこう」と思った。暫くの間は。


「ともあれ、折角石燕が来たので店を手伝わせることにした」

「ちょっと待ちたまえ九子くん! なに解説のように話を自然に進めているのかね!? 私は嫌だぞ、うらぶれた飯屋の手伝いなんて! この江戸に名高き妖怪絵師は才能を活かせる創造的な仕事以外やりたくない!」

「まあまあ。己れの胸揉んでいいから」

「なんで!?」


 九子がたゆんと胸を揺らして提案したが、流石に通用しないかと思ったら石燕は「女天狗の胸を揉む」という好奇心が押さえきれずに、悩んだ末に揉んでしまった。


「くっ……! 別にどうという事も無かった……!」


 揉んだ感想がそれだった。そりゃそうである。石燕自身の豊満な胸を揉むのとそう変わらないだろう。


「揉んだは揉んだから手伝いをしてもらうぞ。酒は後で奢ってやるからのう」


 給料を払わなくてよい店員は幾ら居てもいい。嫌がる石燕に前掛けを付けてやって準備をする。


「よし、配置を指示するぞ。六科とお雪はひたすら天ぷらを揚げまくれ。蕎麦の注文が来たら今日は茹で置きの麺につゆを掛けるだけでいい。房子は店内の配膳、飯盛り。己れと石燕は外で出店と客引きだ」

「うむ」

「頑張りますよう」

「大儲けなの!」

「まったくこっちは病み上がりなのに仕方ない……」

 ──そうして、忙しい一日が始まった。


 店内と店の外には新たな品書きが追加されている。



『天神様の雷除け 桑の葉天ぷら 二十文』

『霊験あらたか』

『くわばら くわばら』



 そして九子が通りを歩く人たちに売り文句を告げる。


「さあいらっしゃい、いらっしゃい。天神様がお怒りのこの頃、うちの店では桑の葉天ぷらを特別に出すよ! 桑の葉を腹に入れてしまえば雷に打たれないようになるよ! なにせ桑腹(くわばら)、桑腹ってね!」

「ダジャレではないかね」

「いいのだ。というかなんで桑が雷除けか知らんし」


「おやおや天狗様ともあろうお方が。桑原は主に地名だが、桑自体を雷神が嫌うという話も見受けられる。桑の木にかつて雷が落ちた際に目を突いたので以降落ちなくなったという話だね。天神菅原道真公の生まれが桑原であり地元には雷を落とさないだとか、祟った藤原時平の領地でも桑原にだけは雷が落ちなかった、とも言われている。その点で言えば確かに桑は雷除けに相応しい食材かもしれないね」


 石燕も朗々と説明をするので、道行く人たちが足を止めて「ほう」と見た。九子の簡易屋台に天ぷら、石燕の屋台にて酒が売ってある。


「そうまさに今こそ、この天ぷらを食べてくわばら、くわばらと唱えておけば雷様に怯えずに済む。天ぷらの天は天神の天!」

「初めて聞いたのだがね」

「己れが今決めた。どうせ語源なぞわからんのだ」


 ※天ぷらの語源には諸説が沢山ある。

 なおこの時代、野菜の天ぷらは「精進揚げ」や「揚げ物」と呼ばれていたのが普通ではあったが、天ぷらと名乗ってしまえばそれを否定するようなものでもない。

 江戸の庶民は珍しいものが好きであるため九子のセールストークに大勢が集まり出した。

 そしておもむろに九子は揚げたての天ぷらを一枚、皆に見えるようにつまみ上げた。


「この天ぷらが今なら二十文! 食べてすぐさま雷除けの効果がある! それになんといっても──」


 九子がパリッと音を立てて塩を塩をまぶした天ぷらを齧った。さっくりとした生地のいい音が鳴って思わず手前の客は舌なめずりをする。


「美味い! なんてこった! こりゃすぐに無くなるのう! 売り切れたらおしまいだ! 石燕、酒!」

「私にも食べさせてくれたまえよ」


 石燕が屋台に置いた酒樽から柄杓で酒を注いだ湯呑を九子に渡し、九子が天ぷらを一枚石燕にやった。

 二人は見せびらかすようにして天ぷらを齧って、酒をぐいっと飲み干す。


「美味い!」

「できれば私も静かなところでゆっくり食べたかったがね」


 とにかく食感がよく、ほろ苦く、口にゴマの香りとコクのある油が付着し、塩っけが刺激して、それを酒で洗い流すように飲むのだから酒飲みにはたまらない味であった。

 耐えきれないように集まった群衆たちが叫びだした。


「買った!」

「こっちもだ!」

「二つ……いや三つくれ!」

「酒もくれ!」

「店も開いてるぞ!」

「はい毎度」


 次々に客が天ぷらを購入していき、多くはその場の路上で食べる。

 路上で買ったばかりの天ぷらを食べるわけだから人目について、それが更に宣伝となって他の客を呼び寄せる。

 一枚二十文(四百円)の天ぷらと考えるとかなり割高に感じるかもしれないが、その天ぷら自体がお守りのような効果があると信心深く食べられるのだ。幾ら金の無い独身男とはいえ一枚ぐらいは買いたいと思える値段だった。ちなみに現代でも東京、天神を祀る湯島天満宮近くの天ぷら屋では天丼が千三百円もする。作者は食べたことがない。

 そして邪悪なことに、この食べやすく後を引く味で酒によく合う天ぷらは、一枚食べたらお代わりと酒が欲しくなるのだ。

 おまけに、


「う……美味い! 美味すぎる……!」

「俺は魚市で天ぷら屋台に通っているが……こんなに天ぷらって美味いものなのか!?」


 口にした人たちの多くは味の良さに驚いた。

 そう、九子がレシピを出して作った天ぷらは非常に美味かった。

 なにせ彼女が自分の知識で作った、衣に卵を混ぜるという手法は江戸後期から始まった上に、料亭などで出される高級天ぷらの作り方なのだ。

 庶民のファストフードとも言われていた屋台の天ぷらでは、卵を使うなど高価な真似はできない。当時のレシピにも粉などをまぶして揚げるだけ、と書かれているものもある。

 そんな味ですら、まだ油の値段も高かった庶民では天ぷらも食べ慣れていない者が多い中で、いきなり数十年後の料亭の味が再現されてしまったのだから舌が驚いた。


 店の中でも客がぎゅうぎゅう詰めになっていた。

 こちらは『天ぷら丼』『天ぷらそば』と品書きが壁に貼っていて三十六文で売られており、それを頼む客が多かった。天ぷら丼は丼に盛った飯の上に桑の葉天ぷらと、天かすを乗せて蕎麦のかえしを掛け回しただけの簡単なものだが、揚げたては食欲を誘う香りであった。


 天ぷらだけ食べたい者は店頭で買い、食事や座って酒を飲みたい者は店に入る。

 次から次に天ぷらが売れる。九子は思った以上の売れ行きに軽く冷や汗を掻いた。彼女は現代人の感覚で、江戸の人々が天神様をどれだけ恐れ、信心深いかを理解していなかったようだ。


「おーい六科~! 次々に揚げるのだぞー!」

「うむぁ……」


 揚げるマシーンになっている六科は、隣にいるお雪が指示を出しては天ぷらを笊に取って、また鍋に種を投入する。お房も目が回りそうになりながら、大量に揚がった天ぷらの乗っている笊を外の九子に運ぶ。

 百枚や二百枚では足らないかもしれない。一刻もすれば噂が広がり、群衆、とでも言うべき集団が店に集まってきていた。


「石燕」

「どうしたのかね」

「……品切れになったとき、どう穏便に客を止めようかのう」

「怖いことを言わないでくれたまえ……」


 その日、結局昼過ぎには三百五十枚程の桑の葉天ぷらを売り切ってしまい、それでも客がまだ押し寄せていたので九子が店の前で追い返した。


「夕方営業の際にまた売り出すから、暫く仕込みを待て」

「早く店開けろー!」

「待っている間に雷落ちたらどうする!」

「詫び乳揉ませるマロ!」


 と、客は不満たらたらだったがどうにか押し留めた。

 一旦閉めた店の前には行列が残ったままであり、九子は大慌てで桑の葉を摘みに行き、材料を買い集めるハメになった。

 お房は忙しさで目が回ってしまったので、裏長屋の女たちを動員して夕方の営業を行った。


 その日は店始まって以来の繁盛で、天ぷらだけで八百枚余の売上。

 二十枚で三百五十文の利益なので、一万四千文(二十八万円)の稼ぎである。これに、更に天丼や酒代も加わるのだが、天ぷらを一日売るだけで店の月間目標売上を達成してしまうほどだった。


 ただ経験が無いほど忙しかったため、店員も被害が出ている。


 お房は目が回って途中でダウン。


 お雪は途中から種を衣液にまぶして油の中に入れる役も兼任。どんどん減っていく衣液は九子が手を貸して纏めて大量に作り、お雪が見えなくとも勘で種作りの作業をしていた。


 六科は指先の火傷。途中から揚げる効率を上げるため、箸ではなく手でひょいひょいと油から天ぷらを拾っていた。九子が冷やして快癒符で治した。


 石燕は体力が尽きてお房の隣で寝込んだ。病弱な彼女に繁盛店の売り子は厳しかった。


 九子は切れた材料を大急ぎで買い集めるため食事を取る暇もなかった。


 どうにか一日を乗り切ったが、大きな問題が残っていて九子は重々しく口にした。



「そして恐らく、明日も今日以上に忙しいだろうということだ……!」



 彼女の言葉に皆は一様、困った顔をした。


 噂はまた広がり、江戸の反対側からでも客が来るかもしれない。それに純粋に天ぷらの美味さに目覚めたリピーターも出てくる可能性は大いにある。

 百万人を超える人口の都市で、まだ僅か八百人ぐらいしか食べられていないこの店限定の特別な天ぷら。客の需要はこれからうんざりするぐらい出てくることは間違いない。


「やりすぎたのう……」


 九子はかなり後悔して、明日の仕込みをしなくてはならない現状にため息をつくのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
真似をして桑の葉天ぷらを出す店が増えても、一度でもここの天ぷらを食べたことがある町民からすれば一番うまいのはここなので相当数がリピーターになり、「天ぷらなら六科の店だぜ!」と宣伝して新規が増える地獄絵…
これはまさしく現代知識チートの所業…ッ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ