14話『天狗と即落ち』
江戸に名高い妖怪絵師、鳥山石燕はお房の年が離れた従姉妹である。
神楽坂に倉付きの一軒家に住む金持ちだが、絵描きで稼いだわけではない。亡き夫が金貸しで稼いだ財産で趣味に生きている未亡人であった。
とはいえ彼女が嫁いだ時点で夫は七十歳を越えた老人であり、結婚後数年で他界したので世間では妖怪に憑かれた女に取り殺されたのだとか噂された。そのような噂を気に病むどころか、喜々として広めながら妖怪画を描き、妖怪探しと称した奇行を繰り返している。
ひたすら怪しげな女なのだが教養だけは高く、読み書き計算から琴や三味線、料理に縫い物となんでもできるため、時折お房の教師となり勉強させていた。
お房の賢さは地頭の良さもあるが、石燕の教えがあってのことだった。
それはさておき、親子ほども離れた年上の従姉妹で教師ということもあって石燕はお房に対し保護者のような関係だと考えている。
なお、お房側からすれば「お酒にだらしない従姉妹のお姉ちゃん」である。一応先生と呼ぶが、尊敬するにはあまりにもだらしない相手だった。
「ところで房! この怪しい女は何者かね! フフフ江戸に怪しい女は私一人で十分! 立ち位置が被っているから今すぐ止めさせたまえ!」
と、今日初めて見る怪しい女の九子を指さして石燕は一方的に要求する。
九子は半眼で頬を掻きながら胡乱げに見て、もうどこからツッコミを入れようかと悩んだ。
彼女がなにか言う前にこのお喋りな妖怪絵師は勝手に話を進めだす。
「いや、待ちたまえ。彼女が何者か当ててみようではないか。フフフその知識と推理力により溝鼠色の脳をしていると評判の私ならば簡単な推理だ友よ。ずばり、房の新しいお母さん」
「はいハズレなの」
「脳みそが溝鼠色って死んでおらんかそれ」
「くっ! おかしい……私の推理が外れるとは! やはり酒を抜かれた影響か……! 帰り道も、駕篭に揺られるのに酒を飲んでいたら確実に酔って吐くから飲まなかったからか……! よし房! 酒を!」
「勢いで誤魔化しているの。それで先生、この九子が何者かわからないのー?」
「ぐっ……」
ニヤニヤとお房は笑みを浮かべて石燕に問い詰める。彼女は眼鏡の奥の目を光らせて、改めて九子の全身を上から下まで眺め回した。
確かによく見てみると奇妙な格好である。胸元や肩が見えるほど着崩した着物は遊女のようだが、足元は下駄や雪駄などではなく動きやすい草鞋だ。腰には細い帯に付属した小物入れを身に着け、髪の毛は身分を示すような結い方、飾りを付けていない。
年齢も少女のようでありつつ、どこか老成した雰囲気も感じる。
石燕は記憶を巡らせるが、九子のような人物には会ったことがない。
「そう! ……ずばり、そうだね……そう! お雪さんの女知音に違いない! その女から離れるんだ房! ト一ハ一されるぞ!」
「言葉の意味はわからんがやたら問題発言しておる気がする」
九子が呆れた様子でそう言った。知音、とは単にそれだけ使うと、親しい友人や恋人を意味するのだが男知音、女知音と性別を付けて使うと同性愛のパートナー的な意味になる。当時、井原西鶴が書いた浮世草子などで使用されていた言葉だ。
ト一ハ一はそれぞれ、『上下』という漢字を分解した隠語であり、上下にまぐわう的な意味のエロ言葉だった。
それはともかく、お房はどこか悪戯っぽく笑みを浮かべている。様々な物事に詳しく、お房からすれば万能の知識を持っているような先生であり、そして妖怪には目がない筈の石燕が九子に関してまったくわからないのが、どうも面白いようだ。
「はい残念ハズレなの。んふふ、先生でもわからないことあるの」
「し、失敬な! 私はなんでも知っている! 阿迦奢の記録を読み取り、世界の欺瞞を看破し、精神世界から投影される妖怪という名の舜若を明らかにする使命を帯びたこの私が!」
「怪しげなカルト宗教の教祖みたいなことを言っておる……」
「でも本当に無闇矢鱈と物知りなのよね。先生」
しかしながら幾ら物知りでも、自分の知らない間に従姉妹と親しくなっていた妙な風体の女が何者かを見破るのは難しかろう。
ましてや天狗というのも九子が名乗っているだけで、本質は未来人であり異世界帰還者でもあるのだ。
お房は狼狽している石燕に、九子を紹介することにした。幸い、店には他に客も居ない。
「じゃあ教えるの。ふふん。九子はね────天狗なの!」
「……天狗?」
「そうなの」
「天狗というと、あの妖怪堕ちした山伏から山の神まで様々な種類のいる、あれかね?」
「そうなの!」
「ハ!」
石燕は顔を歪めて、大げさに手で目元を覆いつつ大きく笑い声を出した。
「ハ、ハ、ハのハ! そうかそうか、天狗かね! 房はまだ小さいからそんな冗談か女詐欺師の言葉に騙されてしまうのだね……かわいそ」
「憐れまれて腹立つの!」
「フフフ私など、自らが天狗と名乗る存在にこれまで五人は会ったことがあるがね! どれもイカサマだったよ! 超常の存在だと詐称し、程度の低い作りの札や飾りを高値で売り払うことだけを目的とした愚かな詐欺師たちだった! この女もその類だろう! さあ天狗とやら! 反論するよりも空でも飛んで見せてくれたまえ! フフフできないことにどんな理屈を──」
「ほれ」
「うわあああああ飛んでるううううう!! うっ」
石燕の疑い深い眼差しと長い話で面倒になった九子は、他に客も居ないのでその場にふわりと浮かんであぐらを掻いて見せた。
これには石燕もぶっ飛んだ。彼女は妖怪絵師であり、狐狸妖怪や魑魅魍魎の存在を強く信じている者である。だが、『妖怪と思われる現象』ならまだしも、実際に具体的な説明も付けられない超常現象や存在を見たことはないのだ。
天狗も、河童も、雪女や座敷童子も、いると思って探し続けて──未だに見つけられたことはない。
それが唐突に目の前に現れた。石燕は驚きに叫び過ぎて、息が詰まった。
そして、
「おえええええ~……」
「うわっゲロ吐いた!」
「先生は体が弱いのとお酒の飲み過ぎでよく吐くの」
正気を失わんばかりのショックに吐瀉する石燕。慣れたようにお房は雑巾を用意して拭いた。
「はあ……はあ……い、いや、飛んだからといって天狗ではなく、ただの飛行少女だという可能性も……」
「人を非行少女みたいに言うでない。ほれ、他にも」
九子が札を取り出して見せると、火が札の先端から出たり、雷の火花を見せたりした。
石燕は口元の吐瀉物を手ぬぐいで拭きながら、唖然としてから呟いた。
「ほ、本物……!? 天狗が何故ここに……は! まさか房を攫って天狗の国へ連れ去ろうと……!?」
「いや、せんが」
「確かに房はあの天狗衆道春画を描いたが、子供のやったことだから許してやってくれたまえ!」
「描いたのお主だろ」
「さり気なく罪を擦り付けようとしないで欲しいの」
天狗が子供を攫う事件は江戸時代、何例か見られる。攫われた子供は天狗の屋敷で何年か召使いのような仕事をさせられ、やがて開放されるという。
行方不明になって十年は経過した子供が、まるで成長していない姿で発見されて天狗に連れ去られていたと証言することがあった。
それを心配して石燕はお房を庇おうとしたが、お房はバッチそうな目を石燕に向けながら告げた。
「攫いに来たんじゃなくて九子はうちの居候になっているの。お店の手伝いもしているの」
「て、天狗が居候⁉ 美少女の天狗が!? どうしてそんなことに! 流れ着いた桃に入っていたとか、光る竹を切ったとかそういうことがあったのかね!?」
「いや……たまたま道端で六科に会ったからのう」
「くっ……そんなことならば私が先に出会っておけば、うちに誘い込んで解剖したり実験したりできたのに……! 『天狗解体新書』が作れたのに……! 今からでもうちに来ないかね?」
「絶対行かぬわ」
「おかしをあげよう!」
「罪を犯すな」
石燕の誘いをばっさりと拒否する九子。解剖などされてはたまらない。政府やナチスなどにも捕まらないようにしなくては。
とはいえ誰かが悪意を持って九子を捕えようとしても、九子は毒がまったく効かない上に、飛ぶ、透明化する、怪力などの能力を持ち本気で逃げる彼女を捕まえることは困難極まりないだろう。伊達に異世界で国際指名手配のまま逃げていたわけではない。
「それにしても店の手伝い? フフン。六科叔父のちょっと料理という概念を小馬鹿にしたような物体を出している店の手伝いを? 天狗の無駄遣いではないかね?」
石燕が皮肉げな笑みを浮かべてそう挑発的に言うが、九子は考えながら聞いた。
「天狗の無駄じゃない遣い方とはなんだ?」
「え? うーん、江戸城に放火するとか……飛縁魔のように」
「意味もなく放火魔にするでない」
「九子が来てからお店、お客さんが来るようになったの。これは偉いことなの。先生はいつもお酒を飲みながらダメだしするだけでお店を手伝った試しが無いの」
「うぐっ……痛いところを突くね、房は……主に肝臓とかそういうところを……」
石燕が腹部を押さえながら、座敷に上がってきた。
「それでは見せて貰おうではないか! 天狗が作る料理を! フフフ私の評価は辛党だよ?」
「辛口……か?」
「辛口だよ!」
「言い直した……それよりお主、ちょっと待て」
九子は石燕に近づき、その肩を掴んだ。
「え。なにかね……」
九子は眉根を寄せながら石燕の顔に触れ、目や口をジロジロと遠慮なく見た。
同性とはいえ、急に口の中まで見られることに石燕はやや羞恥心から赤面する。九子の目が僅かに赤く輝いて、人の目に見えざるものまで見ている。
それは病や毒素の気配である。
九子は医者では無いので詳しくは断定できないのだが、明らかに石燕の体内には無数の病が蠢いているようだった。不摂生な生活を定年まで続けていた独身サラリーマンのように。虫歯まであった。
「……うわ。お主、病気で体がボロボロではないか。しかも近頃ロクに飯も食っておらんだろう」
「フ、フフフさすが天狗だね! まあ最近は固形物をあまり食べられないから酒ばかり飲んでいるが……」
実際、先程の吐瀉物も胃液が殆どであった。
自身の体調が優れず、病が体を蝕んでいることは石燕も自覚していたのである。
これまで、医者にも診てもらったことは何度もある。高価な漢方や人参を服用しても現状維持以上にはならなくて、先が短いことも理解していた。
故に彼女は常に傲慢な笑みを浮かべて堂々と言う。
「フフフ私は自らの死期を既に悟っているとも。そうなればなにを恐れることがあるだろうか。その心構えこそ、人ならざる恐怖の化身である妖怪を表現する原動力として相応しい──」
九子が呆れた様子で軽く告げてきた。
「こりゃあ数年以内に内臓が全部腐って、尻からぶりぶりと出て死ぬのう」
「ぎゃーっ!」
あまりに具体的な死に様の予告に、石燕とお房が白目を剥いて同時に悲鳴を上げた。
死ぬ覚悟はできているといっても、死に方というものがある。悲惨な末路を想像してしまった。さすがにそれは嫌である。人として。
慌ててお房が九子にしがみついて聞く。
「ちょ、ちょっと九子! なんとかしてよ!」
「いや、なんとかというが、もうかなり手遅れというか……虫歯ぐらいなら治せるが」
九子も病気の気配を察することはできるし、術符による自然治癒力で多少の体調を治す程度はできるのだが。
病気で傷みまくった内臓を治すまではできない。そういった病気の場合、内臓は回復不可能な状態になっていることが多いからだ。
もはや寿命のようなものだ。
「うー! 九子……!」
「そんな目で見るでない……ああもう、ほら『快癒符』を一枚やる。これで多少は寿命も伸びるし、尻から内臓が出るほど悪い死に方はせんかもしれんだろう」
どちらにせよそれ以外の治療方法など、ほぼ持ち合わせていないのだ。九子は発動させた術符を石燕に押し付けた。
「おお……天狗信仰の強い鹿沼が古峯神社の天狗の中には、無病息災の効果がある札を授けるものがいると聞いたが……アレかね⁉」
「そうだのうアレだアレ」
九子は適当に応えた。そのうち、その古峯神社の天狗から騙るなと苦情が来るかもしれないが、そのときは謝ろうと思いながら。
温かな感覚のする魔法の術符は石燕の肉体をじわりと癒やした。この札による治療は自然治癒力の強化だ。爪や髪の毛、肌などの割りとすぐに細胞や角質が入れ替わる箇所は治り易い。切り傷なども傷口を塞いでおけば早く塞がる。
一方で内臓の病や大きな欠損などに関しては現状維持できるかもしれないが、あまり治療の効果はない。九子の場合は病気に掛からないから気にしなかった。
「酒の飲み過ぎによる内臓への負荷も多少良くなるだろう」
「そう言われると酒を飲みたくなってきたよ!」
「飲むなとは言わんが程々に養生せねばならんぞ。そしてちゃんと飯を食って長生きするのだ。死に急いでも良いことは無いのだからのう……よっこらしょ」
「掛け声がジジくさいの」
九子は自分の腰を軽く叩きながら立ち上がり、板場へと向かった。石燕の体調のためにも、なにか腹に入れるものを作ってやろうと思ったのだ。
ああいった病人に時折あることだが、病気で食欲が失せてしまっているので酒を食事代わりにしてしまうことがある。そうすると内臓は元より脳にもよくない。軽く石燕の体に触れたところ、病的に痩せていた。
「あまり量は食えぬかもしれんな。お茶漬けにするか」
「うむ?」
「六科や、マグロ漬けを薄く切っておくれ」
「うむ」
板場で待機していた六科にそう指示を出して、九子は調味料として買っていたゴマをすり鉢で擦る。
丼に飯を小盛りにして、薄く切ったマグロ漬けにたっぷりとすりゴマをまぶして飯の上に乗せて、番茶を注ぐ。簡単な料理で、これででき上がりだ。
「ほれ、茶漬けをゆっくり食え」
「フフフ随分質素な茶漬けだが金に物を言わせて江戸で美食を嗜んでいる私に通用──」
「ああっ先生が食べた瞬間ボロボロ泣き始めたの!」
「胃の……胃の腑に染みる……」
食欲不振と空腹が慢性的に胃を苦しめていたのを、酒と肴で誤魔化して生活をしていた石燕の胃に滋養があり優しい味が染み込んだ。弱っていた胃がにわかに『快癒符』で健やかに動き始めていたこともあっただろう。
マグロの薄い切り身は熱い茶を浴びてあっという間に白くなり、軟らかにほぐれている。赤身の魚を茶漬けにして生臭さが出そうなものだが、たっぷり入っている擦りたてのゴマと茶の風味でまろやかな味になっていた。
醤油漬けではない、味噌たまりに煮きった酒を混ぜたつゆの味が茶で薄まり、ちょうど薄めな吸い物程度の濃さになっている。
「おろろーん!」
「おろろーんて声に出して言うやつ初めて見た」
石燕はむせび泣いた。美味故ではない。優しい味だったのだ。すぐさま滋養として吸収され身体を癒やすような味が、肉体的な反応として涙を流させたのだ。
石燕は一人暮らしでなく、絵描きの弟子と二人で暮らしていて家事などをやらせているのだが、なにせ相手は弟子なもので弱いところを見せ難く、心配されても酒ばかりで飯を疎かにしていた。
そんな死にかけ女の意地など、摂理の外にある天狗には通じない。
自分が研究していた妖怪から憐れまれて、身を労るように茶漬けを出され、石燕は外聞も無く涙した。
「ううっ……これも今まで天狗を信じて、怪しげな天狗衣装とか札とか高値で買ってきたのが報われたというものだ……!」
「いやその詐欺師に騙されて買ったのは己れと全然関係ないと思うが」
どうやら散々お房を偽天狗に騙されていると馬鹿にしていたのは、自分がその詐欺師たちに騙され続けていた経験からのようだった。
「ほれ、あまり急いで食うでない。病でつらかったのかもしれんが……」
九子が石燕の骨ばった背中を撫でて、目を袖で拭いてやった。
あまりに経験したことのない慰撫に石燕は頭が真っ白になりそうであった。
彼女は幼少時から頭脳明晰であり、周囲の人間を大人だろうと子供だろうと馬鹿だと思って冷笑的に生きていた。親からも扱いを厄介がられるほど才能に溢れていたので、抱きしめられた経験も思い出せなかった。
「う、ううう……」
いや、あるのだ。言葉も喋れず、意識も明瞭でなかった赤子の頃。確かに親に抱かれた記憶が。石燕は無意識に叫んだ。
「おぎゃー! ばっぶー!」
「うわいきなり幼児退行するなびっくりした」
「はっ! 私はなにを!?」
「あまりの癒やされに先生が子供返りしたの……」
なんとか一瞬で帰ってきた石燕だったが、弟子からの尊敬とかそういうものを大きく失った気がした。
ちなみにこの時点で石燕は九子からすると、「不気味な徘徊をしていた重病人で、茶漬けを食わせたらオギャった変な女」というなんとも珍妙な存在である。しかも出会って一刻も経っていない。
一応はお房の従姉妹なので、枚数に限りのある術符の一枚を預けたのだが。
石燕は冷静さを今更強調するように、眼鏡を再び正して九子に告げる。
「九子くん! うちで飯炊き女にならないかね!?や……なりたまえ!」
「その誘い乗るやつおるのか?」
「お小遣いあげるから!」
さっと石燕は懐から小判を取り出して見せた。お房が目を見開く。
「小遣いは貰うが家にはいかん。解剖されるからのう」
九子は遠慮なく彼女が出した小判を取って自分の懐に収めた。女から金を取るのに容赦のない。とはいえ、彼女に預けた術符などは百両積んでも欲しいという者は出てくるような道具だろう。
「先生、駄目なの! 九子はうちの!」
「いいではないか、いいではないか」
「駄目なの!」
取り合いというか、言い争いをしている幼女と大人の女を九子は半眼で見て、あくびをした。
そして六科に、
「ちょっと己れ昼寝してくる」
と、告げて二階へ上がっていくのであった。
彼女も石燕のところに行く気はあまりしない。飯炊き女にはなりたくないし、そうでなくとも彼女の家に住んだら面倒を見てやらねばという義務感が出そうだ。
そんな面倒な生活を送るよりは、程々に飯屋を繁盛させ、そのうち働かずとも暮らしていけるようにした方が楽で良い。
九子は横になって目を瞑り、考える。
石燕は病気だ。恐らく早くに亡くなるだろう。それまでなるべく元気でいてくれればいいが、いずれは必ず死ぬ。死なない人間などいないからだ。遅かれ早かれ、誰にでも寿命は訪れる。
異世界でも古い知り合いが先に死ぬのを九子は看取ったこともある。逆に、自分が死ぬ時に看取ってくれるという相手とも出会えた。それは叶わなかったが……
この世に常はなく、人は去る。だが果たして、自分はいつ死ぬのだろうか。九子はそう悩むことがある。
年の頃は既に八十を過ぎた。一度魔法の力で若返ってからは老化もしなくなってしまった。病気をすることもない。誰かに殺されるまで、ずっと生きてしまうのかもしれない。
となればもはや自分は人間ではなく、まさに天狗になってしまっているのかもしれない。
石燕もお房も六科も、或いはその子孫も先に死んでいく未来があるのだろうか。
(やれやれ……まあ、つらいことばかり考えても仕方あるまい)
その時はその時だ。また旅に出たくなるかもしれないし、新たな出会いも見つかるはずだ。
九子は今を楽しんで生きよう、とだけ考えることにした。
来年死ぬにしても、百年後死ぬにしても、生きる理由なんてただのそれだけで十分だと思った。




