12話『天狗と帳簿と飲み会』
「簡単でいいから帳簿をつけろ」
と、九子が渋い表情で六科に告げた。
九子のテコ入れで売上が伸びてからのことだ。その日の営業は終えて、外はもう暗くなって後は寝るだけの時間だ。既にお房は眠っているようで、六科を二階に呼び出しての話である。
最初は九子が質屋で替えてきた金を持ち出して店の食材を一通り揃えたが、その資金も有限だ。質流れする前に刀を買い戻すためには売上からある程度のマージンを九子も貰わなくてはならないし、新たな材料費は売上金から出すようにして店を回す必要がある。
そう考えて九子が売上金の計算をしていたら、ふと彼女はなんで自分が必死こいて金の管理をしているのか疑問に思えたのだ。
彼女は居候であり、アドバイザーであり、一応手伝いもする。しかし飯屋の店長でもなんでもないのだ。本来ならば苦手であっても六科が経営をすべきだ。
そもそも居候に来て数日の女に売上金の管理をさせるのも非常識である。
そのようなことを考えて、六科を呼んでそう要求した。
「帳簿」
「そうだ。というか見たところ、まったくここ最近の帳簿も付けておらんようだのう。己れの部屋を探したら、前の店主であったお主の嫁が書いていた帳簿は出てきたが」
「むう」
くどくどと説教をする形になり、六科は正座したまま腕を組んで呻く。
「これでは日に幾ら儲けたのか、経費を幾ら使ったのかまるでわからん。儲かっているつもりでも赤字になるということは飲食では珍しくない。売れ行きの良い商品の在庫管理も必要だ。後でわからんようになるだろう」
「そうか?」
「例えば……今日の客は何人来た?」
「二十八人」
「……蕎麦は何杯頼んだ?」
「十二杯」
「酒は?」
「十五合」
「材料費は五割として幾ら利益があった?」
「三百八十八文」
「………………百二十三日前の営業日の客数と売上は?」
「三人と三十六文」
「四十七日前は?」
「二人と二十八文」
「………………」
こやつめ。
九子は苦々しい顔で絶句する。無駄に全部覚えているとは。板場にずっと居たというのに、客数や九子にお房が注いで提供した酒の売れた数まで。
いや、今日だけならまだしも適当に出した日付にもスラスラと答えた。意味不明の記憶力だ。そんなもの覚える頭があるなら蕎麦のこね方でも覚えていて欲しい。
まるで融通の利かないマシーンのようだ、と九子はいかつい真顔の店主を改めて見やった。
「ごほん。お主の記憶力と帳簿の必要性は関係ないからとにかく作るぞ。となると会計伝票もあったほうがいいな……適当な紙で作るとしよう。その日、なんのメニューが何杯売れたのか、売上総額は幾らか、店に必要な物を幾ら買ったか……そういったことを──」
「そういったこと……?」
六科が繰り返しているのを見て、九子はどうも悪い気配を感じた。
この男、曖昧な指示をするとさっぱり性能が落ちてしまうのだ。「それぐらい自分で考えろ」は禁句である。ここ数日でそう学んだ。
九子は紙に方眼紙のように線を引いて幾らか文字も書き入れる。
「これが形式だ。ここに蕎麦の売上、酒の売上、定食の売上、それ以外の売上を書く。一番端に一日の総売上を書く。とりあえずそれだけやるのだ。良いな」
「うむ」
九子は指示を単純化して、他に解釈のしようが無いようにした。六科の考えでやらせても後々面倒なことになる。
一応はなんの料理がどれだけ売れたかさえ記録していれば、消費量や在庫は計算可能である。後はなにを幾らで買ってきたからを書かせればいい。
「そしてこの帳簿を書くのはお主の仕事だから、房子や己れにやらせんように」
「なぜだ?」
「房子は賢いから説明すればすぐに仕事を理解すると思うが……お主の店なのだから、本来あらゆる管理はお主の役目であるからのう。娘に頼ってばかりで、負担を掛けていては男親として情けないだろう」
「……うむ」
重々しく六科は頷いた。九子も「よし」と呟く。六科とて娘に手伝って貰ってばかりではいけないと思っているようだ。
というか現在のところ、魚買い出し係と蕎麦切り係なので他にこの店主に仕事を増やしてやらねばならない。ちゃんと手順さえしっかり解説できれば六科でもやれそうだ。
(蕎麦のつゆの量とか、茹で時間などを紙に書いて台所に貼っておくか)
一応単純にわかりやすくするため、蕎麦とうどん粉の配合は一対一、つゆも味噌たまりと酒を一対一で混ぜている。後は丼に注いで出汁で割る味付けをお房やお雪が味見して決めているのだが、お玉で何杯としっかり決めた方がいいかもしれない。
そう彼女が計画していると、六科が声を掛けてきた。
「ところで天狗殿」
「なんだ?」
「なにをどれだけ売れたか記録する必要性は理解したが」
「うん」
「天狗殿がどれだけ酒を飲んだか申告してくれるか」
「……」
彼女はサッと目を背けた。九子は営業時間中にも、店の酒に手を付けていたのだ。
駄目な居候である。
しかしながら彼女が勝手に飲むと在庫計算が狂うのは当然だ。
「次からは自分用のを飲むから……」
言葉を濁す。店には客に出す用の酒(一斗で千文)と、九子用の上酒(一斗で二千文)の酒樽が置いてあるというのに、つい勢いで店用の酒まで飲んでいた。
一応はどちらも今のところ九子のポケットマネーで購入したものであるが、店の物ではある。その酒の売上から次の酒を買ってこなくてはならない。
「だがこう、己れが店で飲んでおると他の客が酒を頼みやすくなるかもしれんし……」
「そうか。それで今日は何杯飲んだか聞いている」
「……四合ぐらい?」
「ぐらい?」
「……五合飲んだ」
「うむ」
白状させられて悔しそうに九子は顔を歪める。六科は無感動に、帳簿に今日の販売数を記録する。合計して十五合の酒が売れているが、そのうち五合は九子が自家消費したことになる。ついでに自分用の上酒も飲み比べていた。
「ええい、己れの酒に関してはどうでもいいではないか!」
「どうでもいいのか?」
「いや……よくはない……言葉通りに受け取るな……」
九子の声が小さくなり、拗ねたように口を尖らせた。正論で攻められると弱々になる居候であった。
「くっ、こうなれば六科! お主も酒を飲め! 今から!」
「うむ?」
「決起会というか、己れの歓迎会というか、店がちゃんと回り始めた記念だ」
自分だけ飲んでいるから罪悪感が生まれるのではないか。店主にも飲ませれば減った分は共犯関係になる。九子は適当にそう考えて決めた。
「ついでにお雪も呼んでこよう。どうせ夜更かしして暇だろうしのう。では待っておれ」
と、九子は一旦降りて、お雪と酒樽を担いで戻ってきた。
「はわわ、どうしたんですよう?」
「店の打ち上げだ。お主も仲間だから参加しておくれ」
「ううう、でも夜なのに六科様と一緒に過ごすとかもうこれ実質夜這いでは!?」
「どういう実質だそれは」
「興奮して悪阻が!」
「起こらん」
なにやら混乱しているお雪を座らせて、三人分の湯呑に酒を注ぐ。
「では店の繁盛を祈願して、乾杯」
「うむ」
「いただきますよう」
普段、六科は殆ど酒を飲まない。米と塩さえあれば生きていける人間である。彼がぐいっと酒を飲み干すと、それ以降酔いのせいか、数秒に一度動作が完全に停止して再起動するという壊れた機械のようになってしまった。意識ははっきりしているのだが。
一方でお雪。まだ年若いこともあって、彼女も自発的に酒を買ったりしないため飲んだことはあまりなかった。瞽女屋敷で、先輩の瞽女から「一応の嗜み」として飲まされた程度である。
「ごっくん」
そう喉を鳴らしてお雪は一息で湯呑を空にした。
「おお、いい飲みっぷりだのう。ほれお代わりだお代わり」
「結構飲みやすいですよう」
「薄いからのう。そうそう酔いつぶれぬのは売上的にもいいことか……六科はバグったロボットみたいな挙動になっておるが」
九子も酒で口を潤す。江戸時代の一般に飲まれる酒は度数が低く、おおよそ五%ほどだったと言われている。現代のビールなどと同じぐらいか。まあ、ビールでも酔う人は酔うので飲み過ぎは禁物だ。
江戸時代の眉唾な大酒飲みの記録だと、鯉屋利兵衛という人物が一斗九升五合飲んだとされている。約三十五リットルの酒となるが、そこまで飲むと水中毒になりそうだ。
余談だが九子、彼女は青白い衣の効果で病気や毒を常に防いでいるのだが、酒を飲む時に酔えないと困るので機能を一時停止して飲んでいるのである。だから普通にほろ酔いにはなる。
さておき。六科の挙動が面白いので九子は六科にもお代わりを注ぎ、そしてお雪もぐいっとまた飲み干した。
「……大丈夫かえ?」
「らいじょーぶれすよう!」
「もうかなり回っておる!」
お雪は既に頬を紅潮させてクスクスと笑いながら酒を飲んでいた。ぐいぐい飲むので飲み慣れているのかと九子は思っていたのだがお雪は普通に酒に弱かったのだ。
目が火傷痕で見られないので、目つきから酔いが判断できないのも勘違いを招いた。
すっかり酒に身を任せているお雪は両手をワキワキと動かしながら六科の方を向いた。
「えへ、えへへへ六科様、今こそ按摩してあげますよう。モミモミですよう! 按摩の摩は摩羅の摩──!」
「む……!」
普段から六科を按摩したいと思っていても、彼が疲れた様子をまったく見せない上に聞いても「別にいい」と素っ気なく応えるために揉めなかった欲求が、アルコールで開放されてしまったようだ。
怪しげな、どこを揉むのかという手付きで六科に迫るお雪。
六科は咄嗟に、隣で飲んでいた九子の服を掴んで持ち上げてお雪に押し付けた。
「モミ治療──! 意外と六科様の雄っぱい柔らか──!」
「ぬおっ! これお雪! それは己れの体だ! 揉むでない!」
「騒ぐ客を動けなくするツボ!」
「おんっ!」
お雪が脇腹に指をねじ込んで突き入れてきて、九子は変な声が漏れた。同時に力が抜ける。
「くっ……酔っ払いめ……」
「えへへ柔らかーいですよーう」
九子に抱きつきながら、袂から手を入れて肌を揉みしだくお雪。九子は無双な怪力を持っているのだが、さすがに酔っ払いとはいえか弱い盲目の女相手に、無理やり引っ剥がすような力を使うと怪我をしてしまうかもしれないと思うと、気が引けた。
なにせお雪はこの店の蕎麦打ち担当なのだ。彼女の手首でも捻挫させては大変だ。
「ぬぬぬ、これ六科。逃げるな」
「むう」
そっと立ち上がろうとした六科を、九子は足の指で器用に袖を摘んで引き止めた。酔っ払い娘の相手を押し付けられては困る。
「仕方ない……寝かしつけるか……よしよし、ねんねんころりよ──股ぐらに手を入れるな」
九子は抱きついてきているお雪の頭を撫でながら眠らせようとした。お雪の弄るような手を払い除けながら。
幸い、すっかり正気を失っていた彼女は泥酔寸前だったようで、九子の胸に顔を埋めるようにしながら寝息を吐き始める。
「……寝たか。おい六科。酒を注いでくれ。動けん」
「むう」
抱きつかれたまま動けない九子は、仕方なくその体勢のままで酒を飲むのであった。それに付き合わされ、六科も戻れないまま一晩過ごした。
翌朝になり、最初に目覚めたのは珍しくお雪であった。
(温かいですよう……お六さん……? あら? あれあれ?)
九子に抱きついたままという状況に一瞬思考が吹き飛んだが──温かくてどこか安心する匂いに、彼女は暫くそのままで時間を過ごしていた。




