15話 コナトゥスのための挽歌―1
創立祭当日。僕たちはクラスの手伝いをしていた。喫茶店とは言いつつも結局は衛生面の点から冷凍食品を出すだけ。要するにレンジで温めることしかしない。だけど、部屋を彩る装飾にはかなり力が入っている。流石にお洒落な喫茶という程でもないんだけど。
まあ、学生の僕たちからしてみればかなりお洒落に仕上がっていると思う。実際に喫茶店として活動してようやく達成感に浸ることができた。
「あいつは大丈夫なのかよ」
「うーん。今日までというか、綾音から聞いた話によると時間こそは短いけど、なんと言うか密度が十分でこれなら期待できそうだって」
「あーあ、いいよなお前って最近色んな女子に囲まれてさ」
「そういうんじゃないよ」
「だったら何だってんだよ。クラス中というか学年中、お前の神無月と一井との関係で持ちきりだぞ。って噂をすれば、ほら来た」
「やっほー羽野くん元気ー?」
血みどろになった白装束に包まれた小雪が戸口から姿を現す。小柄だから可愛げのある面白幽霊にしか見えない。そんなことを本人に言ったら蹴りが飛んできそうで言えない。多分、岡崎も同じことを考えているだろうけど。
「休憩?」
「そそ。だから今どうしてるかな~って気になってね」
「僕はまだしばらくあるから……って何するの!」
蹴りは岡崎からだった。僕の首をひっつかまえ「いやこいつ今から休憩だからお二人で楽しんできてくれ」と言い出した。怪訝そうな顔をしていた小雪だったけど、納得したのか僕の袖を引いて行こうとする。
「それじゃ借りていくね! ごめんねー!」クラスの人達に手をひらひらと振りながら声をかける。「いいよ! 気にしないで!」と女子たちから返事が返ってくる。……とっても恥ずかしい。
そのまま小雪は他のクラスを巡るわけでもなく、袖を引っ張ったままの状態でどんどん上への階へと向かう。旧音楽室を抜けて、とうとう誰も寄り付かない僕だけが知っているあの屋上へと続く階段にたどり着いた。最近は屋上に行ってないけど鍵は開いたままなんだろうか。
「いやーなんだか疲れちゃうね」大きな溜息を吐く。二人の時はこうして素を見せることはあるけど学校では初めて見る姿。
「そうかな? 僕はそこそこ楽しめてるよ」
「うーん。もちろんわたしも楽しいよ? でもさ羽野くんとこうしてダラダラしている方がいいんだよね」
「なにダラダラって」
淡い光が屋上の扉から差し込むこの階段に腰掛けて二人で会話する。確かに小雪とこうしている時間は嫌いじゃない。だけど本当に退屈しないのかな? だってあの時ですらそう思っていたんだけど……なんて思うのは流石に失礼だ。でも小雪はどこまでいっても僕の中では優しい人であり友人。
「A組の占いのやつ見た?」
「あれだよね。タロットだの星座だの、とにかく占えるやつ集めてみました。っていうコンセプトのね」
「そうそう、あれねここに来る前に寄って見たんだけどさなんか急に恋愛占いされてさ~それで上手くいくなんて言われてね。わたしとしてはどうかな~なんて思ったりしたんだけどさ」
取り繕わない時の彼女はとても生き生きとしている。誰かの顔色を窺って、困っている人がいれば助けるのは手放しで褒められる部分。だけどこうして毒のような、息抜きをしている時の方が僕は好きだ。
「羽野くんのクラスさ、前に見た時よりもすっごくオシャレになってなかった?」
「何人かが実際にお洒落なカフェに行って調査したらしいからね。なんだっけな、教室で出来るようなものを集めて、それでコンセプトをしっかり決めていたんだっけな。そういうのはよく分かんないから任せたんだけどね」
「あは、羽野くんらしいね。まあわたしも、おんなじなんだけどね。……というか羽野くんってクラシックって言うのかな? 分かるの?」
僕の表情を逃さないようにするためか、いつもよりも深く覗き込んでくる様子にちょっと焦ってしまう。前にもこうして顔が近いなんてことはあったけど……最近、ちょっと驚くような体験をしちゃったから。警戒するのも無理はない。仕方ないぞ僕!
「ちょっとしか分からないよ、曲を聞けば分かるくらいの知識。それ以外のことは全く駄目だね。ああ、でも綾音からソナタ形式とか教えてもらったよ」
「神無月さんからは何にも教えてもらえないの?」
「そうなんだよね。まあ麗華らしいと言えばらしいんだけど、知識よりも彼女の感覚の方が前に出るからなのかな」
分からないんだけどね。と付け加えて視線を誰も通らない廊下へ落とす。よく見れば埃が舞っている。きっとズボンは埃まみれになっているんだろう。後で払わなくちゃなんて考えていると顔をつねられる。
「なにするのさ」
「なんかウザかったから」
「ちょっと痛いよー」
「ふん。止めない」
「ごめんって小雪」
パッと指先が離れていく。ヒリヒリとした痛みは頬に残るけどすぐに引く。力の込め方が上手いのか、そこまで不快な気持ちにはならない。
「ねえ羽野くん。あの日さ、さくらちゃんからだよね」
彼女から妹の名前を聞くと息が詰まる。どうして急にそんなことを。
あの日……考えを巡らせて一つの答えにたどり着いた。小雪の言っている日は灯篭流し、そして妹からのメッセージ。あの時、僕の異変にいち早く気づいていたことを思い出した。
昔、僕は同じような体験をしていた。こうして学校の誰も来ない場所に連れられて、そう。あの時も屋上へと続く階段。そこに座って彼女の質問攻めにあっていたんだ。
「羽野くんさ、今日変だよ?」
「……そうかな」
「なんだかクラスの人たちも落ち着かない様子だったし。みんなに聞いても誰も教えてくれないしさ。それで羽野くんなら知ってるかなって思ったんだけど、何かあったよね。教えてくれるまで返さないから」
だんだん冷たくなる声色に思わず怯えてしまう。本当は学校に行く気なんてなかったんだ。さくらが気になって仕方がない。今もまだ部屋で一人泣いているかもしれないんだ。
ちゃんとご飯は食べているだろうか。とにかくどんな姿でも顔を見てみたい。そうしなければ……ああ、指先が冷たくなっていく。
「ちょっと! 無視しないで」
「……」
「ねえ! 何があったの!!」
「なんでもないよ」
なんでもないわけがない、全くの嘘だ。そんな、この場を切り抜けようとする卑怯な自分に思わず吐き気を催す。
拒絶するあの金切り声。何もしなかった自分が生きていていいわけがない。
「いい加減に!」
「え?」
頬に鋭い痛みが走って何が起きたのか一井さんの方を向く。腕の動きから察するに、僕はビンタをされてしまったらしい。一井さんから暴力を振るわれるのなんて初めてのことだ。彼女も僕を拒絶するのか。
「……なんで……教えてくれないの!!」
「いや。そういうわけじゃ」
「だったらなに!!」
言葉を重ねる度に彼女の声は涙ぐんでいく。そこでようやく目の前にいる人物に集中できた。
「別に話したところで何にもならないよ」
「じゃあどうしてそんな顔してるの」
「いつもこんな顔だよ」
「違う!」
「そんなことないさ」
「いつもはもっと明るくて、楽しそうで、でもつまんなそうにしてて、そしてさくらちゃんといる時の優しい顔がまったくないんだって!」
飛び出ていないはずの僕の心臓が彼女によって握りつぶされそうになる。呼吸がただでさえつらいのに、さくらの話をしないでくれ。だって唯一さくらと僕を知る君なんだから。
「なんでみんなさくらちゃんの話ばっかりしてるの? そのさくらちゃんも居ないし……そのお兄ちゃんの羽野くんもこんな顔してるし。そして三年と一年の人たち合わせて十人来てないって。イジメだとか。犯罪に触れたとか。わけわかんないよ」
そこまで知っているならどうして僕にかまってくるんだよ。正直うざいよ。頼むから放っておいてくれよ。本当は分かっているんだろう。
「羽野くんはさくらちゃんがイジメられていたこと知ってたの? 教えてよ。わたしはどうしたらいいの!」
「だったらそっとしておいてよ。僕だって整理なんてついてないんだしさ」
「知らなかったの? それとも……ごめん」
「いいさ。同じようなもんだよ」
「それだけは違う。そんなのは絶対に認めないから」
「認めなくってもこれが現実なんだよ。それ以上のことはないんだ」
「現実って何なの! さっきから! さくらちゃんはどんな目に遭ったの!?」
ここまで踏み込んでくるから悪いんだ。別に僕は悪くない。一井さんが悪いから、すべてありったけを聞かせてやってやろうじゃないか。僕の中に存在する悪意が、きっとさくらを貶めたその感情と同じものを彼女にぶつける。
「昨日、夜、さくらが帰ってきた。ちょっと前にも遅い時はあったけど、その日ほどは遅くなかった。母が警察に連絡したんだ。僕も日が落ちてもずっと探していた。そもそもそんなことをする妹じゃない。だから焦っていたんだよ」
胃の中に何もないのにめちゃくちゃに混ぜられていく。上手く話もまとまらない。ちゃんと伝わっているだろうか、でも悪い彼女ならきっと分かるだろう。
「ずっと玄関先で待っていたら、見えたんだ。ボロボロの制服を着てゆっくり歩く姿が。駆け寄ったよ、でも……異臭がしたんだ」
あの時の臭いを思い出してえずいてしまう。もう、これ以上のことは話せない。身体が拒否している。目の前にいる悪魔はきちんと理解しただろうか。どんな表情をしているだろうか、頬が緩んでしまう。
「……」
何も聞こえない。聞いていないふりをしていたんだろうか。顔を上げてその表情を確かめてみる。
「嘘」隠してやろうと必死になっていたけど止められなかった。目の前にいる彼女は必死に我慢していたんだから。
声を殺したままずっと泣いていた。あれだけの短い情報で見事につなぎ合わせてしまった。
さくらの身に何が起きたのかを。
それもそうか。だって僕たち兄妹をよく知る人物なんだから。そんなの考えなくても当然だったんだ。
「……それで、羽野くんは大丈夫なの?」
「へ?」
どうしてそんなことが言えるんだ。僕のことよりもさくらの方が大切じゃないか。やっぱり彼女は悪魔なんだ。
「へ? じゃないよ。誰が羽野くんのことを心配してくれてるの」
心配。さくらの方が大切だ。母親と僕だって何よりさくらの心配をするさ。
「羽野くんに寄り添ってくれる人が今いるの?」
「そんな場合じゃないよ」
「そんなことないよ。羽野くんの母親だって今の羽野くんが目に入っていないんだよね」
「関係ないよ」
「あるよ。だって……ううん、わたしはね。ただ羽野くんのことが大事なんだよ」
「それよりもさくらだよ。どうでもいいよ僕なんて」
不意を突かれた。昨日だって走り回って、ほとんど寝ていないから反応できなかった。
その柔らかい、そして温かい腕に包まれて背中を撫でられるのに。
途端に枷が落ちてしまった。僕の封じ込めていた、未整理のままの感情が。止めどなく溢れてくる。
この屋上から射すほんのりと熱を帯びた光に抱かれながら僕は声を上げて泣いた。




