12話 君と僕の小夜曲―3
「これ作るの久しぶりだなぁ」
「私は初めて作るわよ。興味なかったし」
「実は私も初めて作ります」
僕らの地域では灯篭を流すという文化がある。時期としては早いんだけどお盆のような行事に近い、ただお盆と決定的に違うのは願掛けの意味合いもある。
川を滑るように幾つもの灯りのついた灯篭が流れていく様子から空の鏡として、身近に感じられるこの鏡に思いを空に送るって意味合いで願掛けらしい。幻想的な光景は確かにそんなことが可能なんじゃないかって思ってしまう。
でもどうしてか子供の頃の記憶が蘇ってしまうんだ。母親が父親へ送る願いだと説明してくれたことと、妹が父親に送ろうと息巻いている記憶。あの頃は今よりも幸せだったんだろうかなんて考えてみても無駄だ。
「おいおい羽野くん。何をしてるのさ」
「ごめん、ちょっと考え事してて」
「やっぱり妹ちゃん?」
「うん。まあそんなところだね」
「それにしてもこの行事に参加するのひっさしぶりだねぇ。羽野くんと前に来た時って小学生の時かな? う~ん、どうだったかなぁ」
「小学生で合ってるよ」
小雪とは何度か灯篭流しに参加したことはあった。だけどこのイベントは子供にとっては初めこそインパクトはあるものの、すぐに飽きてしまう。だから次第に僕たちは灯籠を流さなくなっていったんだ。
「芳先輩はどんな願いを込めるんですか?」
「僕かぁ。願いねぇ……色々考えてみても、どうにもまとまらないんだよね」
「まとまらないってどれだけ願いがあるんですか」
「意外と強欲なのね」と言いながら隣に座り込む麗華。ふわりと香る匂いで心臓が一つ大きく振動した。思わず逃げてしまいそうになるけど、なんとか耐えた。
「麗華の願いはどんなものなの?」
「私ね……願いなんてないわ」
「あなたみたいな傲慢な人間がないなんておかしいです!」
「結構言うねぇあやちゃん」
麗華は願い事なんてないと言っていたけど彼女らしいなんて僕は思ってしまった。きっと彼女なら神様なんていないってはっきり言うだろうし、一緒に歩んでるとも言うだろう。
「あやちゃんは?」
「そうですね、単純なものですよ。ほら、世界が平和になればいい~とか? 上手くいきますように~みたいな?」
「何なのそれ……」
初めて出逢った時の綾音からは想像出来ない願いだ。彼女はいっそ世界なんて滅びればいいなんて思っていそうなものなのに。ちょっと分かった気になってたのかも。そういう願いはよく小雪が小学生の時にしてたけど、今はどうなんだろう?
「小雪はどうなのさ?」
「うへぇ。そういうの恥ずかしいから嫌だよ羽野くん。でもしょうがないね~わたしの願いはね羽野くん。君に関することだよ」
最後の言葉を聴いた時、君は真っ直ぐ僕の瞳を見つめていた。そこに邪な感情はなくただ僕のためだけに願う願い。ああ、これは僕を含めた妹のことなんだろう。彼女はいつだって優しい。そんなことは幼馴染である僕には分かりきったことだったじゃないか。
「愛の告白みたいね」
「そうですね。まるでプロポーズですね」
「ひゃ! そんなんじゃないよ! わたしはただ単にそう思ってるだけなんだって~!」
「分かってるよ小雪」
ガヤガヤと言い合いながら灯籠を作っていると拡声器からそろそろ始まると告げられた。急いで作り上げて僕たちは川辺へ向かう。
辺りは人だらけで向こう岸にまで沢山の人の群れが出来ていた。もう既に幾つもの灯籠が流されて黒い水面に温かい色を灯している。
「綺麗ですね」
「意外といいじゃない」
「思った以上だねぇ」
眼前に映る光景は僕の想像上のものだった。灯籠が川を彩っていくのに加えて空からの星々の輝きが二重に穏やかな流れを作る。左手の温もりを思い出さずにはいられない。この行事は妹との思い出があまりにも匂う。ああ、今どうしてるかな?
ブー。ズボンの左ポケットに入れていた携帯が震えた。あんまり友達がいない僕だから送り主は想像がつく。岡崎だ。だから無視してやろうとも思ったけど、無意識のうちに確認していた。
『おにーちゃん』とロック画面に表示されている。妹からだ。でもどうして? いつもはもっと明るい時間に連絡が来るはずなのに。すると続いて写真が添付されたと通知が教える。
迷わずにチャットアプリを立ち上げる。
思わず口元を押さえてしまう。
振り向いてその姿がいないか確認してしまう。
『きれいだね』
僕たちの眼の前の光景が、遠くの土手から切り取られていた。
走り出したくなる気持ちをなんとか堪えその方面を注意深く見る。
僕には気付いてない。そんなの当たり前だ。なのに気付いて欲しいと切に願ってしまう。
「どうしたの羽野くん?」
「なんでもないよ……」
いち早く僕の異変に気付く小雪。彼女なら言ってしまってもいいかもしれない。だけどそんなことをしても意味がない。今はこの気持ちを誰にも悟られたくない。
左手に握りしめたあの感触を誰にも奪われたくはない。
*
放課後に行われる作業は日を増すごとに増えていった。どうにか休みをもらって中庭で休憩を取ろうと思ったら先客がいた。
「小雪も休憩?」
「んー! 羽野くんじゃん! どうしたの?」
「僕も休憩に来たんだよ。教室だとなんだか悪い気がしちゃってね」
「わかるよぉ羽野くん。みんなが作業している中で一人だけゆっくりできないよねぇ~」
珍しく溜息を吐く小雪。彼女ほどの働き者がこうしてぐったりするなんて、どれほど忙しいのか想像するのも嫌になる。やけ酒のつもりかピーチ味の缶ジュースをすすり始めた。
「ぷはぁあ! もう!」
「どうどう落ち着いて」
「ん~」
口を缶に付けたまま睨むように僕を見る様子にたじろいでしまう。いつもならもっとのほほんとしているのに今日はどういう風の吹き回しなんだろうか。
「なんかさ、羽野くんって遠くに行っちゃったよね」
「遠くって?」
「ほら、れいちゃんとかあやちゃんとかさ。すっごい才能ある人たちに囲まれちゃってさ」
プルタブをクルクルと指でいじりながらボヤき始めた。
「そんなことないよ。あの二人は特別かもしれないけど僕はなんにも才能とかないし」
「でもさーなんか気に入れちゃってるじゃん。わたしがいるのに一体どこで拾ってきたのか……まったく、もう……」
「子猫じゃないんだから」
「だったら何? 教えてよ」
太腿に手をついて身を乗り出し迫ってくる。なんでこういうスキンシップが多いんだろう……なんて考えているのもつかの間、小雪は片手に握られた缶ジュースを口元に運んでくる。
「ちょっと、何するのさ」
「言わないからだよ。言ってくれたらいいんだよ?」
「さっきも言ったでしょ。何にもないって」
「嘘だね」
「なんでさ!」
「だって羽野くん嘘つく時は絶対視線が右を向くから」
「そんなのたまたまだよ!」
「へえぇぇそんなにわたしのジュース飲むの嫌なんだ」
「嫌っていうか、なんていうか。……恥ずかしいんだってば!」
「れいちゃんにはあーんしてもらってるのにね~。幼馴染との回し飲みがそんなに嫌なのか~」
今日は絶対様子がおかしい! いつもならからかって終了なのにどうしちゃったの!? 小雪!!
だんだん迫ってくる飲み口。顔を後ろに頑張って引くけどこれが限界! もうついてしまう!
「なーんてね。やっぱり羽野くんだね。安心したよ」
「ふうぅ……。安心って何なの?」
「いやーよく知る羽野くんだったな~ってね」
「遊ばないでよ、もう」
本当にドキドキしたんだから。幼馴染だからって言っても小雪は女の子なんだ。多少感覚が鈍くても限度ってものがある。それにしてもこんなイタズラはこれまでにしてこなかったのに、今日はどうしちゃったんだろう。
「んん!!」
彼女の手が離れて安心したのがいけなかった。それを狙って小雪は僕の口にピーチ味のジュースを流し込む。ジュースの角度は変わらないまま口内にピーチ味が広がる。半分くらい残ってたのか分からないけど、とにかく一気に飲んでしまった。
「ぅう。ちょっと!」
「ごめんって、つい……ね」
もじもじと人差し指を合わせてグニョグニョと動かしている彼女と打って変わって胃に一気に流れ込んできたからちょっとむせてしまう僕。
「今日はどうしたの?」
「なんだか悔しくってね。これ以上は聞かないで! わたしだってよく分からないだもん!!」
「えぇ……ってさっきの間接キスになるんじゃない?」
ふとした疑問をそのまま口にしてしまった。この後の展開も考えずに……まったく迂闊なことをしてしまった……。
「わー! わー! わー!」
「ちょっとまって!!」
勢いよく突進してくる小雪を僕は抱き留めることしかできない。まるでゴールテープみたいに突っ込む彼女は手加減なし。だから! 身体の輪郭がモロに感じてしまう! 僕は悪くない。僕は悪くない。
「流石に恥ずかしいって! 離れて!」
「いや!! わたしの方が恥ずかしいから!!」
「嫌じゃない!! 今あちこちの人が僕たちのことを見てるよ!」
「いやー!! 見ないでー! わたしを見ないでー! コロシテー!!」
「あー! もう! そんなこと言うからもっと見てるよ! ほら窓からも!」
「うわぁぁぁぁ!!」
飛び退いたと思えば走り去っていく背中を眺めた。これじゃ休憩にならないじゃないか……。僕も早いこと移動しよう、恥ずかしい……。
教室へ戻ってから数分が経った時、ヒソヒソと話している人が増えたような気がする。僕のことじゃないよね?
*
「なんだか大変ですね」
「そうなんだよ」
夕暮れが並木を染め始めている中、綾音が僕の愚痴を聞いていた。今日は朝食じゃできないことをしたいからって夕飯を作るらしい。そのためにスーパーへ向かっている最中だ。
「先輩ってこれまでに恋人とかいたんですか?」
「そりゃいないさ」
「どうして?」
「僕みたいな人間には無理だよ」
「そんなことないと思いますよ? 私結構好きですよ?」
「え?」
横顔は夕日に照らされていて遠くでは鳥たちの鳴く声。半歩ずれた歩幅がどうにも合わせづらい。
「じゃあ先輩って大切な人はいますか?」
「いる」そう即答しかけた。だけどそれを綾音に言っても仕方がないのは分かっている。だから僕は君をその人に見立てていたことを、罪を告白するように告げる。
「……いるよ」
「……そうなんですか」
無言の時間が永遠に続きそうになる。あの写真を見たままでいつまでも僕だって停滞していられない、そんな反抗心だったんだろう。
「妹だよ」
「妹さん?」
「そう。僕の妹」
「家族ですか……いいですね」
ああ、しまったと思ってしまう前にどうして気づけなかったのか。綾音の家族……みんなが想像するような家族関係じゃないなんて初めて逢った時から分かっていただろうに。電柱の上に鴉が数羽いる。特に鳴くわけでもなくただそこに。
「……私の願い教えてあげます、付いてきて下さい」




