ある冒険者の憂鬱
この世界における主な情報伝達手段は手紙である。
念話水晶や対話の鏡といった魔道具も存在はしているものの、それらは基本的には高価で庶民の手の届かぬもの。
街の住民達は、基本的には各地を行き来する商人や冒険者などの伝手を使う形で、手紙の運搬を行ってもらうことが多かった。
時はイナリがリベットの街に到着するよりも少し前にまで遡る。
リベットと領都を行き来するとある商隊からもたらされた一枚の手紙が、その宛先人へと届こうとしていた……。
「……なんでっ!?」
「そうは言われましても……私はただ手紙を運んできただけですので」
たしかに商人のおじさんは何も悪いことはしていない。
彼はただ、メッセンジャーとしての役目を果たしただけだ。
(はぁ……宮仕えなんか、するんじゃなかった)
彼女……マクリーアはそう強く思いながら、この気持ちをどこにぶつけていいものかと、とりあえず拳を強く握る。
もし過去に戻れるのなら、この拳でかつてのバカな自分をぶん殴ってやりたい気分になっていた。
マクリーアはかつて、辺境伯家で武官として働いていたことがある。
武官といっても正式に任免をされた騎士ではなく、その立場は最後まで騎士の補佐をする従士止まりであったが。
彼女の手には、領都から送られてきた一枚の手紙が握られている。
その差出人はかつての自分の先輩であった騎士フィディック。
手紙の内容は、いずれやってくるサイオンジ辺境伯の嫡男であるイナリに、この街での手ほどきをしてほしいというもの。
(なんで私なのよ! フィディック先輩は私がそういうのが嫌で仕事辞めたの知ってるくせに!)
騎士団に入る前、マクリーアは自身の才覚を信じていた。
村一番の神童と謳われていた彼女は、自分なら憧れの辺境伯家でものし上がることができると信じ、武官の門を叩いたのだ。
だがそのプライドは、入団と同時に瞬く間にズタズタにされた。
今の自分では太刀打ちできないような魔物達を、鎧袖一触で倒していく先輩達。
従士とはいえ命の危険に晒されるようなことは一度や二度ではなかった。というか、命の危険に晒されない日の方が少ないほどであった。
彼女は一年ほど頑張ったものの、音を上げて職を辞して、こうしてリベットの街で日々を過ごしている。
マクリーアは故郷に近いこの街で冒険者として働くようになり、辺境伯家でみっちりとしごかれたおかげで、Cランクとして仕送りができる程度には金を稼ぐことができていた。
貴族の人間と関わるのが嫌で武官を辞めたというのになぜこんな目に……と思いながらも、今のマクリーアにこの頼みを断ることは難しかった。
今こうして曲がりなりにも生計を立てることができているのは、あの地獄の日々があってのことだったし、それに……サイオンジ辺境伯の不興を買うことなど、できるはずがない。
エイジャにおいて、サイオンジ辺境伯という肩書きはあまりにも大きい。
自主独立の精神の強いエイジャの人々は、自らのことを王国民ではなくエイジャ人と呼ぶ。
エイジャ人においてサイオンジ辺境伯家とは護国の守護神であり、口にせずとも王ではなく辺境伯家に忠誠を誓っている者も多い。
そんな地位を将来的にそれを継ぐことになるであろう嫡男の引率と聞けば、断る選択肢はない。
マクリーアもまた、そんなエイジャ人の一人なのだから。
「でも……はぁ、憂鬱だな……」
やってくる嫡男であるイナリの身にもしものことがあれば、自分の首は間違いなく飛ぶことになるだろう。
それはいいのだ。いやまあ、正直に言えば全然良くはないのだが……。
最近では教導を行うことも多いので、アラヒー広原に出てくる魔物に関してであれば、怪我をさせることなく一通りのことを教えることはできるはずだ。
(ただ問題はやってくるイナリ様のことよね)
イナリに関して、マクリーアはあまりいい話を聞いたことがない。
彼女が聞いた噂とは、以下のようなものだった。
曰く、気に入らないからとメイドを首だけにした。
曰く、プライドが高くとにかく手に負えない。
曰く、辺境伯ですら教育に匙を投げるほどの性悪で、妹を虐めている……。
そんな人間と一緒に過ごせば、どんな命令をされるかわかったものではない。
そしてもし不興を買うことになれば……そう考えるだけで背筋がゾッとする。
マクリーアはびくびくとしながら、とはいえその生来の生真面目さから逃げることもできず、そわそわとした日々を過ごすことになる。
彼女の予想が色んな意味で裏切られることになったのはその数日後。
やってきて早々冒険者ギルドで決闘騒ぎを起こしたイナリが、夜更けに自分の泊まっている宿に押しかけてきた時のことであった。
「よろしゅうね、マクリーア。早速なんやけど、アラヒー高原で一番強い魔物について教えてくれる?」
……あ、間違いない。
この人も辺境伯の血を受け継ぐ、生粋の戦闘民族だ。
マクリーアはそう確信するのであった。




