アラヒー高原
「イナリ、お前には高難度の魔境はまだ早い。お前のレベルはまだ十に満たないままだろう?」
「えーっと……はい、今がレベル八ですね」
この世界では呪いと違い詳細なステータスを確かめることはできないが、ステータスクォーツという水晶を使うことで、自身のレベルを確認することが可能だった。
レベルアップにために必要な経験値は戦闘以外でもわずかに向上するため、都市に暮らす成人男性の平均レベルはおおよそ五前後とされている。
それと比べれば上回っているが、たしかにイナリのレベルは、戦闘を生業とする者としては高いとは言えない。
なのでイナリはエイジャに戻ってから、最も推奨レベルの高い鬼哭街へと向かうつもりだった。
ハメ技なりなんなりで魔物を倒し、最初にパワーレベリングしてしまった方が手っ取り早いと思っていたからだ。
けれど彼の考えを聞いたゴウクは首を横に振る。
「自分の身の丈に合わないレベルは、身を滅ぼす。まずはきちんと地力をつけろ」
「地力……ですか」
「ああ、たしかに貴族の中には赤子の頃からパワーレベリングをやって無理矢理肉体を強化する者も多いが、そういう奴らは基本的に軒並み大成しない。一流同士の戦いにおいては、しっかりとした基礎の積み重ねがあるかないかが勝敗を分けることもある。面倒だと思うかもしれないが、将来のことを考えればこそ、今は基礎の土台から作っていくべきだ」
「……」
珍しく饒舌な父の言葉を、受け入れるべきかでイナリは悩んだ。
彼からすればゲーム知識を使ってこの世界をハックして最短距離で強くなるのがベストだと思っていたからだ。
けれど父はこの世界において、間違いなく最強の一角。
そしてぶっきらぼうな父にしては珍しく、言葉を尽くしてこちらに説明をしてくれている。
「わかりました、それじゃあまずアラヒー広原でやっていこう思います」
「……そうか」
だからイナリは、父からの言葉を信じることにした。
自分はプレイヤーではなく、この世界で生きるイナリ・サイオンジだ。
この世界で生きていくために、彼は泥臭く一歩ずつ足場を踏み固めていくことにしたのだ。
「うーん、懐かしい香りやなぁ」
エイジャに入ってから半月ほどの馬車旅を終え、目的地についたイナリがぐぐっと背を伸ばす。
彼がやってきたのはアラヒー広原の西にある中規模の街、リベットである。
すんすんと鼻を動かしてみれば、そこかしこからかぐわしいソースの匂いが漂っているのがわかる。
どことなく関西の匂いを漂わせるエイジャでは、粉物文化が盛んだ。
そのためパンと同程度にはお好み焼きならぬエイジャ焼きが主食として食べられている。
懐かしい匂いに今日の晩ご飯が決定したイナリは、まず冒険者登録から始めることにした。
イナリはしばらくの間、自分の身分を隠して活動するつもりでいる。
当然ながら周囲には供回りなどもつけておらず、既に服も一般的な麻の服に着替えていた。
エイジャにおいてサイオンジ家の名は絶対的だ。
そしてだからこそ、イナリは基本的には家名を利用して便宜を働かせるつもりはなかった。
誰にも頼らずとも、自身の才覚だけでのし上がってみせる。
それくらいのことができなければ、大成して勇者を倒すことなど、できるはずがない。
(まずは冒険者登録して……元武官の冒険者はんから話を聞くのは、その後でええか)
頭の中で段取りを立ててから、冒険者ギルドのリベット支部へと向かう。
ギルドは質実剛健とした建物で、入り口にある観音開きのドアは西部劇から出てきたかのようにウッディな質感を持っていた。
中へ入ると、突如として熱気が上がりあちこちからやかましい声が聞こえてくる。
そのあまりに雑然とした様子に、思わず眉間に皺が寄った。
(優雅やないなぁ……それにとんでもなく臭うのもおるし)
静謐な場所が好きなイナリからすれば、あまり長居をしたいところではなさそうだった。
さっさと要件を済まそうと、受付へ歩き出す。
イナリがゆっくりと歩いていると、目の前にひょいっと足が出てきた。
顔を上げれば、そこにはにやにやと笑うひげ面の男の姿が見えた。
これがこちらをからかった様子の冒険者のいたずらであることを理解したイナリは――笑みを浮かべながら、出された足を思い切り踏みしめた。
「ぐ……がああああっっ!?」
「あら、虫かと思って踏み潰したら人やったんか。紛らわしいなぁ……」