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旅立ち


 金に飽かせて防具屋を巡り、吸収できそうな素材を片っ端から買っていった次の日。

 イナリはあらかじめアポを取り、屋敷の執務室で父と顔を合わせていた。


「退学したいというのは、本当か」


 イナリがアポを取った理由は、学院の退学願を出すためだった。

 彼は既に学院に拘泥するつもりはなかった。

 勇者を正面から叩き潰せるほどに強くなるには、色々と制限の多い学院生としての身分は邪魔でしかない。


「あれほど学院に入るのを楽しみにしていただろう?」


「ええ、けどここに来てちょっと事情が変わったんです」


 父であるゴウク・サイオンジはイナリと違い、随分と寡黙な男だった。

 二メートルを超える体躯には筋肉がギチギチに敷き詰められており、見ているだけで思わず息をのむほどの威圧感がある。


 ゴウクが得意とするのは体外に放出するのではなく、体内に押しとどめる魔法。


 身体強化と呼ばれる無属性魔法を得意としており、圧倒的な魔力によって強化された肉体は、ワイバーンの首を素手でへし折るほどのパワーがある。


 人外の膂力で振るわれる大剣によってやってくる魔物達を叩き切る、生粋のパワーファイターだった。


 その武威は国内外に轟いており、ウェルドナ王国が侵略戦争を行われていないのには彼と彼が手塩にかけて育てた領軍がにらみを利かせていることも大きい。


「学院にいちゃ間に合いません。僕は今すぐ強うなりたいんです」


「学生の本分は勉強だ。それに……途中で退学すれば、お前の経歴に傷が残る」


 サイオンジ家の持つ領地である東部のエイジャ地方はエセ関西弁のような方言があるのだが、ゴウクは戦場では回りくどい言葉を話す余裕はないと、常に王国の共通語を話す男だった。


 彼は人を射殺せるほどの眼光でイナリを見つめる。

 記憶を取り戻す前のイナリは、父のことが苦手だった。


 睨み付けるようなキツい眼光を見て内心で萎縮し、父とはなるべく距離を取るようにしていたのだ。


 けれど前世の記憶を取り戻した彼には、父のことが以前よりずっと良く見えていた。

 だからその眼差しの中にある、注意していなければ見過ごしてしまう優しさに、今のイナリは気付くことができた。


「経歴なんて関係あらへん。そもそもエイジャに籠もってれば、誰から何言われようが気になりまへんし」


 サイオンジ家は家格としては伯爵であり、魔物の生息する魔境と接しているために辺境伯としていくつか特別な権限を有している。


 伯爵家の中で頭一つ飛び出た辺境伯家の嫡子が、入った学院を一年も経たずに退学する。

 それは間違いなく醜聞となるだろう。


 ただエイジャは未だに強い訛りが残っていることからもわかるように、王国の中でも特に自立心が強い。

 距離が離れていることもあり、王都周りで何を言われようが、領地に戻ればその声がイナリ本人の耳に届くことはない。


(しっかし……言葉足らずやなぁ、ほんまに)


 先ほどの言葉を思い返してみる。

 ゴウクはサイオンジ家の看板に傷つくことを気にしているのではない。

 イナリに傷がつくことを気にしているのだ。


 そのわかりづらい優しさ、不器用な思いやりに、思わずくっくっと喉の奥から笑いがこぼれてくる。


「それに……退学したとしてもそれを覆すほどの結果を出せばええだけとちゃいます?」


「それは……確かにそうだが。だがミヤビのこともある。退学ではなく休学という扱いにしておけ」


「まあその辺りが妥当でしょうね」


 魔法学院は貴族の子弟が通う関係上、いくつかの特例が許されている。

 そのうちの一つが、従軍を行う際の休学制度だ。


 この制度を使えば領軍で魔物と戦うという名目で、イナリは好きなタイミングで学院に通い直すことができるようになる。


 勇者リオスの動向を追っておくためにも、二年間休学して力をつけてから、再び一年として学院に通うのはアリだろう。


 話も終わったので、イナリはそのまま部屋を後にしようとする。

 けど途中でふと思い立ち、父の方へ向き直った。


「父さん、おおきに。父さんの不器用な優しさに、僕もミヤビも救われてます」


「……そうか」


 ゴウクはぷいっと顔を背ける。

 こちらから見えなくなったので、どんな顔をしているのかはわからなかった。


「……不器用は、余計だ」


 ただその声音は、いつもより少し明るいように聞こえたのだった――。












 休学の手続きは二週間ほどで終わった。

 王都でできることも一通り終わり、魔剣にも素材をある程度吸わせることができた。


 どうやら吸収できる素材は概ね魔物の属性によって決まるらしく、火を噴く魔物は炎の魔剣、水棲の魔物は水の魔剣が吸収することができた。

 光の魔剣と闇の魔剣に関しては吸わせることのできる素材が不明なままだが、領地に戻り魔物相手に戦っていけば、そのあたりもいずれ明らかになるだろう。


「うちもすぐに行きますからね、兄ぃ!」


「はいはい、期待せんで待っとくよ」


 前日のうちにミヤビとの別れも済ませている。

 どうやらせっかく王都で家庭教師相手に勉強を教えてもらっているのに、わざわざ領地に戻ってくるつもりのようだ。


 ちなみに父のゴウクはというと、何も言わずに領地に帰っていた。

 恐らく、既に領地で魔物と戦っていることだろう。

 置き手紙も何も残していないのが、いかにもゴウクらしかった。



 休学届を出しに学院に行けば、受理は問題なく行うことができた。

 領地を守るために魔物相手に戦うと言われれば、学院側も断れないのだろう。


 イナリのような人間も少なくないからか、手続きはかなりスムーズに終わった。

 表に待たせている馬車に乗り込むべく、ゆっくりと歩き出すイナリ。


 今の彼が着ているのは学院の制服ではなく、エイジャで貴人にのみ着ることが許されている羽織袴だった。


 現代人の感覚としては動きづらいことこの上ないが、辺境伯家の嫡男としては格好をつけなければいけないので、領地に戻るまではこの格好でいくつもりだ。


(とりあえず二年間の間に、最終戦で使えるようになっていた魔剣を全て解放して、今ある魔剣のレベルも最大まで上げておきたいところ……)


「あ、あのっ、イナリ君!」


 領地に戻ってからのあれこれを想像していると、後ろから声がかかる。

 振り返ればそこには、記憶を取り戻した時に自分が厳しい言葉を吐いた、少女の姿があった。


「わ、私……騎士科に転入することにしたの! 先生達も私にはそっちの方が向いてるだろうって!」


「ほか、それは良かったね」


 イナリはそれだけ言うと、馬車への歩みを再開させる。

 そっけない言葉に少女がうなだれる。

 だが彼女が下げた頭の上から、言葉が振りかかってくる。


「ウェンディ……やったっけ? 精進しなや。僕が帰ってきた時にもそない腑抜けてたら、今度こそ容赦せぇへんからな」


 厳しさの中にほんの少し優しさの混じった、父親譲りに似て真意のわかりづらい、イナリの言葉が。


 少女――ウェンディはハッと顔を上げる。

 彼女はイナリが乗り込んだ馬車を見ると、今度は以前とは違い、すぐに踵を返して学院へと戻っていった。


 そしてただじっとしているだけの時間がもったいないと、鼻息荒く校庭で素振りを始めた。


 己の才能を使う場所を見つけたウェンディが騎士科のエースとして将来を嘱望され、仕える主は既に決めているとその誘いを全て断るのは、もう少しだけ先の話である……。

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