変化
ソレラの街は夕日に包まれていた。
街を行き交う人達の間には笑顔が見えている。
イナリはローズを引き連れ、街の中をゆっくりと歩き回っていた。
彼らは昨日までと何一つ変わらぬ日常を生きている。
街そのものに危機が迫っていたことなど知らずに、明日からも日常を過ごしていくのだろう。
だがそれで構わない。いやむしろ為政者の視点からすれば、その方がいいのだ。
変わらぬ日々を送ることがどれだけ難しいものなのかを、彼らはしっかりと理解しているから。
「いやぁ、うん、悪くないなぁ」
「どうしたんですか、そんなにうさんくさい笑みを浮かべた」
「笑顔が嘘くさいのは生まれつきやねん、堪忍してぇな」
隣にいるローズは、ちらちらとあちこちに視線を移している。
無理に一日で魔族と眷属を狩りきったことで、街を歩いていればイナリ達が行った破壊の痕が見えている。
恐らくだが、自分がやったことに胸を痛めているのだろう。
イナリ達が何もしなければ街自体が終わっていたのだから気にする必要はないと思うのだが、どうやら彼女は随分と細かいところが気になる性格のようだ。
ちなみにイナリ達がこの街の官憲に追われたり、魔族達が洗脳していた部下達に襲われたりするようなことはない。
イナリは全てが終わった時点で、この地の領主に自分とローズの二人で話し合いに向かっていたからだ。
最初はけんか腰だった相手も、実際に魔族の死骸を見せれば文句をつけることはなかった。
現在ここの領主は己の失点を取り戻すため、街に残っている魔族・眷属達の配下を検挙している。
そのためスラムなどがあった区域はかなり忙しいことになっているのだが……それもまた、大通りを歩くイナリ達には関係のないことだ。
「ほら、ここやで」
イナリが先導した先にあったのは、このソレラの街で最も高級な食事処だった。
前世で言う鉄板焼き屋に近い店で、実はイナリは以前から一度行ってみたいと目星をつけていた場所でもあった。
「えっと、その……私が入っても大丈夫でしょうか?」
「特にドレスコードがあるとか聞いとらんし、平気ちゃう?」
中に入りテーブル席に座る。
目の前で調理をしてくれるカウンター席でもいいのだが、今回は話すことも多いので個室のテーブル席を使わせてもらう。
食前酒としてやってきたのは、白のワインだった。
酸味の少ない、飲みやすいワインだそうだ。
とにかく産地にこだわっていて、熟成に使っている樽材もソレラの近くの樹から取れる物を使っているんだとか。
「わ、私お酒って飲んだことないんですが……」
「ノンアルの方がいいなら、変えてもらおか?」
この世界の成人は十二歳となっており、飲酒に関する年齢制限はない。
ただローズは聖女だ。当然ながら節制が要求される立場にあったのだろうし、周囲の監視の目なども厳しかっただろう。
聖女がへべれけになったりするのは、聖教的には大変都合が悪いだろうから。
「いえ、いいです。いただきます」
「……ほか」
だが今日くらいはいいのではないだろうか。
何事も根を詰めすぎるのはよくない。聖女にだって、休息の時間は必要なはずだ。
ジッとグラスを見つめるローズが、おそるおそるワインに口をつける。
「……おいしいです」
「結構いいの頼んだからね。あ、あと今日は僕の奢りやから、好きなだけ飲み食いしてくれてええからね」
「……ありがとうございます」
おかわりを頼むローズを見ながら、イナリは思う。
この聖女様も、なかなか遠慮がなくなってきたなぁと。
だがこれはいい変化だろう。少なくともこうしている間くらい気を抜いていても、バチは当たらないはずだ。
それをしても許されるくらいには、彼女も役割を果たしたはずだから。




