聖女
ローズ・アルマリカ。
イナリは当然ながら、その名に聞き覚えがあった。
立ち絵こそなかったものの、彼女の名はゲーム内において度々登場していたからだ。
何せその正体は……
「流石にびっくりやな……まさか先代聖女様とは」
「先代……いえ、私はまだ現役の聖女ですが……?」
「あ、ああ、そういえばそうやったね。ついうっかり」
「うっかり……ということでもないような気がしますが……」
こてんと首を傾げる彼女を見ながら、イナリは慌てているのを気取られぬよう、そっとハンカチで汗を拭った。
それと同時に、脳裏からローズの記憶を掘り起こす。
ローズ・アルマリカ。
呪いのメインヒロインである聖女ミナの先代の聖女として、名前が登場する人物だ。
立ち絵が存在していない理由は、彼女が聖女としての教義に殉じたからとされていた。
故に死因についても考察がなされていたものの……
(魔物との戦いで死んでたパターンやったか……)
魔族の出現はかなりランダム性の高いイベントだ。
故に彼女が必ず魔族と戦っていたわけではないだろう。
ただ聖女は基本的に魔物被害の救済のため、魔物との戦いの続く激戦地を巡ることになる。
故に勇者リオスが聖女と行動を共にするよりも以前では、聖女は皆非常に短命であったはずだ。
恐らくどのような分岐になったとしても、彼女は最終的に魔物との戦いで命を落とすことになるのだろう。
「それで……私の方はまだ名乗ってもらっていないのですが……」
「ああ、僕はイナリ……イナリ・サイオンジっちゅうもんや」
冒険者としての名前を告げるだけでもいいかとも思ったが、流石に聖女相手に正体を告げないのは不義理が過ぎるだろう。
彼の名乗りを聞いたローズが、頬に手を当てながら目を見開く。
「……まさか、サイオンジ家の麒麟児だとは思ってもいませんでした」
「そんな大層なもんちゃうよ。実際、さっきも君の助けがなければかなり危ないところやったし」
「……でも大貴族家の嫡男が、なぜこんな危険区域にいるんですか?」
おどおどとしながら尋ねるその様子に、イナリはなんかイメージとちゃうなぁと頭を掻く。
呪いでミナがよく口にしていた先代の聖女の話は、基本的に彼女のことをほめたたえるものばかりだった。
曰く、彼女は誰よりも勇敢であった。
曰く、彼女は常に堂々として聖女としての責務をまっとうしていた。
曰く、弱きを助け強きをくじく、聖女としての模範たる人であった。
ただそれら伝え聞いた話と今の彼女とでは、大分ギャップがあるように思える。
少なくともイナリからすれば、目の前の少女は自分にあまり自信のない、どこにでもいる普通の女の子にしか見えなかった。
「なんでかって言われたら……キルケランの街にいる上位魔族を倒すためやね」
「……そうですか」
(訂正、やっぱり普通の女の子じゃあなさそうや)
ローズの瞳の中に一瞬薄暗い炎が燃え上がったのを、イナリは見逃さなかった。
どうやら彼女は、キルケランの街にいる魔族と因縁があるらしい。
だがイナリにとって、それは非常に都合の良いことではあった。
「今の僕には力が足りん。今の僕じゃあ眷属を倒すので精一杯で、この状態で下級魔族を相手にすれば間違いなく殺されるやろう」
「それは……私も同じです。仇を討とうにも、今の私には力が足りない……」
「仇討ち、ね……聖女様のイメージとは、似ても似つかんなぁ」
「私には殺さなければいけない魔族がいます。けれど今の私には、戦ってくれる騎士がいない。残っている者はもう……私一人ですから」
ふふっとローズは自嘲気味に笑う。
その暗い笑みには、後先考えない人間に特有の投げやりさがあった。
なるほど、どうやらローズは一人逃げ延びたということらしい。
いやあるいは……その正体を知られた上で、敢えて逃がされたのかもしれない。
魔族にはそういった悪辣なところがあることを、イナリはよく理解していた。
「だから私は仲間を募ろうとしました。けれどあの魔族相手には……なまなかな仲間では意味がない。聖騎士達が倒されたのですから、聖教の持つ戦力では彼らを倒すことは不可能といっていい……途方に暮れながらも、私は諦めることができなかった」
ローズは椅子に座り、イナリの方を見上げる。
その顔はゾッとするほどに凄絶で、不思議なことに同時に儚げでもあった。
諦めなければならないことを理性では理解しながらも、この街を離れることができていない。
彼女はそんな矛盾を抱えていて、少なくともイナリが今まで見てきた人間達の中でも、トップクラスに人間くさい女性だった。
「だからキルケランにほど近いこの場所で、何かがやってくるのを待っていたんです。私に死を齎す魔族か……活路を見いだしてくれる何かがやってくるのを」
「僕がそうだと? 僕と組んでもその仇が倒せるかはわからんで?」
「倒せるか、ではありません。なんとしてでも倒すのです。あなたもそのためにここまでやってきたのでしょう?」
「まあそうやけど……聖女さん、あんたアホやね」
「単身でやってきているあなたも大概では?」
「――ほなアホ二人で、なんとか手を取り合ってみよか」
イナリが手を差し出す。
ローズは立ち上がると、その手をぎゅっと握った。
彼女の手は荒事に慣れているとは思えぬほど華奢で、細く柔らかかった。
こうしてイナリは新たな仲間を手に入れた。
魔族を討伐する上で恐らく最も強力なメンバーである、今代の聖女ローズ。
二人の縁がどのような未来を描くのかは、ゲーム知識を持つイナリであっても、想像もつかぬことであった……。




