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兄と妹


【side ミヤビ・サイオンジ】


 うちは小さい頃に、生みの親の下を離れることになった。

 今はもうおぼろげにしか記憶がないが、当時は不安に駆られたことを覚えている。


 うちの持つ魔法の才能が気に入っただとかなんとかで、ある貴族家の養子に出されることになった。


 向かうことになった先は、なんとあのサイオンジ家。

 エイジャ地方を守る護国の戦神であり、同時に非常に厳格であることでも知られている大貴族だ。


「ぜったいいや! いやったらいや!」


 ただの農家の娘が大貴族の貴族令嬢に。

 たしかに傍から聞いていれば物語の中のヒロインかもしれへんけど、当時のうちの心中はかなり複雑だったのを覚えている。


 まだ物心がつくよりも前だったから理解していたわけではないんやけど、子供の頃のうちにも自分が戦うために養子に出されるということがなんとなく理解できてもうたから。


 だからうちは大泣きして抵抗し、そしてその抵抗虚しく馬車に乗せられ……そして運命の出会いをすることになる。


「君が……ミヤビ? 泣いてたん、目ぇ赤ぁなっとるよ」


「ぐす……あなた、だれ?」


「僕? 僕はイナリ……サイオンジ家嫡男の、イナリ・サイオンジや」


 そういって笑う兄ぃの笑みは、思い返してみてもやっぱりどこかうさんくさい。

 せやけどうちは、兄ぃの薄笑いも大好きや。


 兄ぃはとっても優しかった。

 養子のうちの居心地は、あまりいいとは言えなかった。

 うちを連れてきたゴウク父さんが基本的に魔境にいる関係上、家の中に自分の居場所はほとんどなかった。


 古株の使用人達の中には陰湿な嫌がらせをしてくるような人達もいた。

 今ならなんとも思わんけど、当時机の中にネズミの死骸が入ってた時は流石にひっくり返りそうになったっけ。


「にいにい~」


「はいはい、今忙しいとこやからもう少し後でな。いい子に待ってたらあめちゃんあげるから」


「ほんま!? うち、いい子にしてる!」


 でもそんな時でも、イナリ兄ぃだけはうちのことを家族として扱ってくれた。

 後から聞いたんやけど、嫌がらせをしてきていた使用人のクビを切ったのも兄ぃだったらしい。


 けれど兄ぃはそんな自分のことを誇示したりもしない。

 それは彼からすれば当たり前のことで、けれど誰にとっても当たり前にできることではないことだった。


 お屋敷の中で唯一頼れる存在……そんな人を好きにならないはずがなく、うちは兄ぃにべったりとくっつくようになっていった。


 サイオンジ家の教育は甘くない。

 うちはまだ年齢が片手で数えられる頃から専属の家庭教師が何人もつけられ、魔法の練習や戦い方の指導を受けるようになった。


 辛いこともあったけれど、その度に兄ぃが慰めてくれた。

 兄ぃに褒めてもらえるように、勉強も魔法の練習も頑張った。

 そして努力の成果かユニークスキルが発現した。


 ……それからすぐ、兄ぃはうちのことを露骨に避けるようになった。

 その理由はうちが初めて行った魔物討伐で、あまりにも結果を出し過ぎたから。

 尚武の気風があるサイオンジ家で、その将来を嘱望されてしまうほどに。


「兄ぃ……」


「悪いなぁ、今忙しゅうてあまり時間が取れへんねん」


 兄ぃの態度は、それ以降急によそよそしくなった。

 そして彼は今までうちに費やしていた時間を使い、更に自分をいじめ抜くようになった。


 よく勘違いされることがあるけれど、兄ぃは誰よりも自分に厳しい。

 面と向かって容赦なく罵倒することもあれば、相手を煽ることも多々ある。

 自分を苛め抜いているからこそ、彼は頑張っていない人間が許せないのだ。


 兄ぃは損な生き方をしていると思う。

 誰からも嫌われるような言動ばかりして、そのくせ自分で自分のこともいたわらないで。

 でもだからこそ、うちだけは兄ぃの理解者でいてあげたいと、そんな風に思った。


 兄ぃを最も側で見てきたのは、間違いなくうちや。

 イナリ兄ぃは頼れるお兄ちゃんで、憧れの存在で……だからこそうちには、兄ぃの焦りがわかってしまった。


 サイオンジ家の嫡子に求められるのは強さだ。

 もし兄ぃが停滞してうちが強くなり続けた場合、うちが当主の座に就く可能性が出てきてしまう。


 兄ぃのことは好きだけど、うちは頑張ってる人を邪魔するほど無粋ではないつもりだ。 

 自然うちと兄ぃが会う頻度は減っていき、うちは再び家の中で寂しさを感じるようになった。


 以前のように嫌がらせを受けることはなくなったけど、それでも心の隙間を埋めることはできなかった。

 だからうちは以前より少しだけ余裕を持たせて、居心地の悪さを感じる家を飛び出すようになった。


 気分転換も兼ねて、時々外に出るようになったのだ。

 外に居ても心のもやもやが晴れることはなかったけど、それでも幾分かはマシだった。


 それからしばらくしたある日、うちがチンピラに絡まれていた時のことだった。

 うちは久しぶりに兄ぃの兄ぃらしい姿を見ることになった。


 兄ぃが手に入れたユニークスキルの力と、それによって取り戻した自信。

 くるりと振り返るその姿は、うちが知っている、憧れた兄ぃの姿だった。


 それからは、毎日が楽しゅて楽しゅうて仕方なかった。

 灰色だった景色はバラ色に変わり、優しくて強くてかっこいい兄ぃが返ってきた。


 だからうちは父さんの反対も押し切って、単身兄ぃのことを追ってアラヒー高原にやってきた。

 ここでレベル上げをするようになってから、早半月ほど。


 ボスモンスターは一定間隔で再びリポップするようになるため、うちらはレベルが上がらなくなるまで餓狼のオーチャードを狩って狩って狩りまくった。


 何度も倒すうちにレベルも上がりコツもわかるようになってきたから、今では毛皮を残したまま倒すことも余裕や。

 大量の毛皮が手に入ったけど……とりあえず、野外用のコートでも仕立てるのがええかな?


 もちろんレベル上げだけじゃなくて、お勉強の方も頑張ってる。

 うちはなんとしても魔法学院に受からなあかんから。


 ――なんせ兄ぃは休学してるだけやから、同じタイミングで、しかも同級生として学院に通えるらしいからなぁ。

 兄ぃと同級生に……そんなわけあるかいなと自分で突っ込んだ妄想が、まさか現実になるなんて!


「ほんならそろそろ行こか」


「あ、待って兄ぃ! 早い早い!」


「早くない、もう十分待ったて」


 うちらは事前にチャーターしていた馬車に乗り込むと、御者が馬にペチッと鞭を打った。

 馬がいななき、馬車がゆっくりと進み出す。


 ――アラヒー高原でできることを大体やりきったうちらは、そのまま次の魔境へと向かうことになった。


 お邪魔虫だったマクリーアは、うちらについてこずに冒険者稼業を続けるらしい。

 うちらと一緒にオーチャード倒しまくったから、物足りなくなる思うんやけど……まあ本人がここに居たいゆうんなら好きにすればええと思う。


 案外しばらくしたら合流したりするかもしれへんね。

 まあうちとしては、兄ぃと二人っきりでいれる方がもちろん嬉しいんやけどさ。


「じゃあなマクリーア、達者でやりや」


「ほなね、今後ともよろしゅう」


「お……お疲れ様でした!」


 律儀にこっちに手を振り続けるマクリーアの姿が、どんどんと小さくなっていく。

 少しだけ寂しさを感じ、うちは隣にいる兄ぃの腕をぎゅっと握った。

 兄ぃは何も言わず、空いている手でうちの髪を撫でてくれる。


「ほら、僕らにくよくよしてる暇なんてないで。次の魔境から難易度がぐっと上がるらしいしね」


「そうやね……うん、うちも頑張らな!」


 後ろ髪引かれる思いを断ち切っているうちに、馬車はリベットの街を抜けて街道に出ていた。

 行き先はどこだって構わない。

 隣に感じられるこの温かさがあるのなら、うちはもう、他に何もいらへん。

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