第93話(織田信房視点)
「ちと、集まり過ぎの気がするな」
「徳川、武田、上杉が陸の主戦力を担う以上、前線の陸兵だけで1万以上が集うのは当然では」
「海上戦力も、三島村上水軍衆に加え、九鬼や羽柴の水軍衆も加わりました。セイロン島までの護衛に当たる軍艦は、ガレオン船が約60隻に達します。これだけの戦力があれば、コロンボ封鎖は十二分に可能と考えます」
「いや、それだけ集めては、ポルトガル軍が戦おうとしないのではないか」
「確かにそうなるやもしれませぬな」
織田信房とその周囲、真田信繁らは、そんな会話をシンガポールにて交わした後、陸海の兵力を出撃させることになった。
実際、徳川家からは松平秀康を総大将にして、呂宋から約二千が派遣されている。
上杉家も直江兼続を総大将として、約三千が参加している。
武田家に至っては仁科盛信を総大将に、武藤喜兵衛を戦目付(参謀長)にして、馬場、内藤、山県、春日といった、かつての武田四天王の後継者を鍛えるとして、約四千が派遣されている。
こうなっては、勝ち馬に乗ろうと日本国内の小勢力まで派兵することになり、それを親衛隊として編制した上で、約三千の兵力を織田信房は率いることになっていた。
海軍にしても、まずは三島村上水軍衆がガレオン船約30隻を、事実上は共同して派遣していた。
そして、毛利家をほぼ参戦させられなかった失態を少しでも取り返そうと、羽柴家から加藤嘉明や小西行長らを船大将にしてガレオン船約20隻が参加している。
そして、織田家からは九鬼嘉隆を総司令官としてガレオン船約10隻が参加していた。
そして、シンガポールからアチェ王国に立ち寄って、真水や食料の補給を行った後、約2月の航海を行って、織田信房の率いる陸海軍の面々は、セイロン島のトリンコマリー近くに上陸を果たした。
そこで、キャンディ王国と物資提供等に関する協定を改めて締結し、又、航海の疲れを半月程も癒した上で、織田信房らは、ポルトガル領セイロンの中心地であるコロンボを目指すことになった。
さて、こういった状況は、様々な噂等といった情報として、ポルトガル領セイロンに伝わっていた。
これに対処するために、ポルトガル側も無策であった訳ではなく、傭兵奴隷や武器を買い求めて、少しでもセイロン島を守るための戦力の拡充を図ったが、既述のような状況から限度があった。
この時点でセイロン島に展開していたポルトガルの陸海軍の兵力だが。
急きょ買い集めた傭兵奴隷約一千まで合わせても、陸兵は約二千といったところだった。
海軍に至っては、もっと絶望的な状況があった。
コロンボに展開しているガレオン船は5隻しか無く、それが全戦力だったのだ。
そして、修理程度ならともかく、コロンボにおいてガレオン船を急きょ建造すること等、ポルトガルに出来る筈が無かった。
そこに日本軍が来襲してきたのである。
ポルトガル領セイロンの防衛軍上層部では、陸軍はコロンボにかき集めて籠城戦を展開することにして、海軍はインド本土方面に一旦は退避して、インド本土方面の軍艦と合流した上で、コロンボを救援するという作戦が立案されたが、現実には困難というより不可能なのが見えていた。
インド本土方面の軍艦と合流しようとも、ポルトガル海軍の軍艦は10隻余りに過ぎない。
それに対する日本海軍の軍艦は60隻に達するのだ。
ざっと考えても、5倍もの戦力差がある。
幾らポルトガル海軍の船乗りが優秀であっても、5倍の戦力差を覆すのは不可能だった。
そして、幾らコロンボの城塞を固めても、これまた5倍以上の兵力で攻囲されては。
それこそ攻囲軍側に疫病等が流行するという奇跡でも起きない限り、ポルトガルの陸軍は必敗だったのだ。
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