第88話(織田信房視点)
「朝廷や幕府から、正式に命令が出れば、高山国や呂宋の徳川家や武田家、上杉家が動くことを内諾してくれました。その三家が音頭を取れば、他の南シナ海周辺に侵出している面々も、共同しようと動くでしょう。それで、ポルトガル領セイロンを攻撃するのです」
「ふむ。だが、ポルトガル領セイロンを奪ったとして、後をどうするつもりだ。そこを占領して、維持するとなると、様々な費用が掛かるぞ。異国の民を統治する苦労が、どれ程か、分かっているのか」
織田信房と信忠兄弟の話は続いた。
「私の考えとしては、セイロン島の港湾都市を二つ程、抑えてはどうか、と考えています。そこに日本人街を築き、周囲に城壁を巡らせる等して、日本人の居住者を保護するのです。それ以外については、セイロン島の現地の住民の国、勢力に任せては如何でしょうか」
「確かに悪くはないが、そのために掛かる諸々の費えは誰が出すのだ」
「織田家に出して貰えませんか」
「確かにそれなりに我が家は富裕だが、どう考えても回収できぬのでは」
「セイロン島の拠点について、入港税を取ればなんとかなりませんか」
「ふむ。何とかなるやもしれぬが。中々、難しいぞ」
兄弟の話し合いは、中々前向きな方向にはならなかった。
「後、誰にセイロン島の拠点の統治を任せるのか、という問題もあるぞ」
「私ではいけませぬか」
「ふむ」
信忠は自問自答し、信房の返答に眉をひそめながら、首を捻って考え込んだ。
悪くはないな、それが考えた末に、信忠の脳裏に浮かんできた結論だった。
自分の弟は5人いるが、その中では一番、頼りになるのが信房だろう。
(この世界では、信長が1573年に横死したために、信長の男児は、信忠、信雄、信孝、秀勝、信房、信秀の6人ということでお願いします。
尚、ウィキ等では、生母の身分が低かったので、1576年生まれの七男の信高の弟(八男)と、1573年生まれの信吉はされるとありますが、その一方で、信高と信吉は同母兄弟という説がネットにある等、史実の信長の子の生母や生年については、諸説があるようです)
更に考えれば、信房は武田家を始めとする大名衆の受けもよいし、今回のオスマン帝国派遣で、羽柴秀吉を使いこなすのにも成功している。
インド洋を抑える役目を、信房に任せられるか、試してみるのも悪くは無いか。
それに、毛利家を始めとする中国地方の大名の勢力を、日本本国内において削ぐ必要もあるだろう。
毛利家は、織田家と縁が薄い大名の中では一頭地を抜く勢力を持つからな。
九州地方の大名は島津家を始め、喜望峰周辺の植民地開発で身代を傾けさせている。
奥羽地方の大名は、徳川信康の要請もあって、カリフォルニアの植民地開発で身代を傾けさせているが、毛利家等の中国地方の大名は、そういったことを行っていない。
(尚、この世界の四国地方には、有力な大名、勢力は存在しません。
三好家が讃岐、阿波を領有しているとはいえ、三好一族で分け合っている現状です。
そして、長宗我部元親が土佐一国をほぼ領有しています。
又、河野家が伊予の大半を抑えていますが、河野家は毛利家に従属していると言っても過言では無い有様で、そういったことも、信忠が毛利家を警戒する一因になっています)
セイロン島を始めとするインド洋方面への侵攻作戦に、単に毛利家等を投入しては、朝廷や幕府、織田家に対する反感を覚えさせるだけになるやもしれぬが。
儂の弟の信房をインド洋方面に派遣するので、それに協力せよ、と朝廷や幕府を介して言えば、毛利家等も難癖を付けにくいだろう。
信忠はそこまで考えた末、信房の提案を受け入れて、インド洋方面への派兵を朝廷や幕府に働きかけることにした。
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