第87話(織田信房視点)
さて、織田信房を団長とする日本からオスマン帝国への使節団が、日本本国に帰国したのは、結果的に1590年中の話になった。
そして、織田信房は、足利幕府の管領を務める兄の織田信忠に、オスマン帝国との交渉の首尾についての報告を行った上で、朝廷や幕府にも報告を行った。
尚、その報告の内容だが、朝廷や幕府に対しては、オスマン帝国との通商協定の締結、オスマン帝国が日本人を「啓典の民」であると認めたことが、素直に報告されたが。
信房から兄の信忠への報告は、少なからず黒いと言われても仕方のない内容が混じることになった。
以下は、その内容を要約した代物である。
「ふむ。ポルトガル領セイロンを制圧して、更に積極的にインド本土のゴアやディーウ、ペルシャ湾のホルムズ、東アフリカのキルワ等といったポルトガルの拠点を日本は攻撃していくべきだと」
「そうしないと、インド洋交易を日本が行う際に、ポルトガルの軍船による海賊行為が頻発することになりかねません」
この時代に造られた代物なので、極めて大雑把なモノではあったが、インド洋を中心とする地図を目の前に広げた上で、そのようなやり取りを兄弟は行った。
「確かにな。こうして地図を広げながら説明されると、日本から南シナ海へ、更にはマラッカ海峡等を通過して、インド洋を東西に往来して、オスマン帝国と交易を行う際に、ポルトガルの築いた拠点が極めて邪魔なのがよく分かるな。特にセイロン島のポルトガルの拠点は、日本とオスマン帝国が交易をする際に、海賊行為等を行う拠点として、極めて有効な拠点になるだろう」
織田信忠は、そう言った。
「全く以てその通りです。オスマン帝国への使節団の護衛を行った、三島村上水軍衆の面々も口をそろえて、同じことを言いました。セイロン島を抑えないと、インド洋交易の安全を確保するのは、極めて難しいと。まずはセイロン島のポルトガルの拠点を、全て日本は奪うべきです」
織田信房は力説した。
「ふむ。しかし、どうやって、セイロン島のポルトガル勢力を攻撃するのだ。朝廷や幕府に対して、日本本国から派兵するように、儂から言っても、朝廷も幕府も余り色よいことは言わぬだろう。何しろ」
それ以上は、織田信忠は口をつぐんだが。
織田信房は、兄弟ということもあって、阿吽の呼吸で、兄が言いたいことを察して言った。
「確かに誰がセイロン島のポルトガル勢力を攻撃するのだ、という問題があります」
「そうだろう」
信忠は即答した。
実際問題として、どうのこうの言っても、朝廷も幕府も直轄の財源や兵は極めて乏しいのだ。
それこそ応仁の乱や明応の政変以降、朝廷が保有していた荘園は相次いで失われ、幕府の直轄領も、それこそ各地の大名や国衆が横領していった。
足利幕府が復興し、朝廷にもそれなりの金銭が幕府から定期的に提供されるようになってはいるが。
それこそ話を簡明にするために、(この世界では採用されていない)石高制で言うならば。
公家を含む朝廷の収入は5万石といったところで、幕府の収入も各地の国衆が幕府の傘下に入る代償として確保した御料所や各地の商工業者からの運上(冥加)金等を併せて、約100万石といったところだった。
ちなみに織田家の直轄領は、親族衆も含めれば約400万石といったところであり、日本本国内では最大の勢力を持ってはいる。
それに次ぐのが、徳川家で約200万石といったところだった。
だから、幕府の直轄の兵がいるとはいえど、そんなに大軍は出せない。
セイロン島まで赴ける幕府の直属の兵となると、約3万を出すのが精一杯ということになるだろう。
信忠が信房に対して色よい返事が出来ないのは、そういった事情があった。
ご感想等をお待ちしています。
尚、この辺りは感想等で指摘されれば、割烹等でもう少し補足説明しますが。
織田信忠は足利義助と手を組んで、足利幕府を再興して日本の統一政権を樹立していますが、かつての足利義昭と自らの父の織田信長の関係等から、足利幕府が力を持つことを警戒して、朝廷も足利幕府も力を持たない体制でいようとしているという状況が、この世界ではあるのです。
ご感想等をお待ちしています。