第84話(織田信房視点)
「茶道の師といえる千利休殿が、珈琲をたしなまれるとは」
「いけませぬかな」
「いえ、いけませぬとは申しませんが、らしくないと考えました」
「商人の血が騒いだのですよ。珈琲と砂糖を組み合わせれば、二重に儲かるのではと」
「流石は堺の生まれですな」
「島井宗室殿も似たことを考えられたのでは」
「図星です」
千利休と島井宗室は、そんな会話を交わしていた。
その傍には、日本からの使節団に同行して来た二人以外の商人達もいて、興味深げに二人の会話に聞き入って、自分達も珈琲をたしなんでいた。
「珈琲だけでは苦くて飲みにくい、という人が多いようですが、砂糖と組み合わせれば甘くて飲みやすいという人が増えます。そして、珈琲と砂糖と」
「成程、と言いたいですが。侘び寂びを言われる利休殿の言葉とは思えませぬな」
「これは失礼。ですが、私は商人でもありますからな」
「はは」
利休と宗室は、そんな会話を交わし、それを聞いた周囲は笑い声をあげた。
実際、それは宗室なりの利休への皮肉でもあった。
利休は茶道の宗匠として名を馳せており、侘び寂びを説いている。
だが、その一方で、商人でもあり、自分なりに金儲けを追い求めている身でも利休はあった。
勿論、茶道の宗匠である利休が、金儲けを追い求めるのが悪いことなのか、と言えば必ずしもそうは言えない話ではある。
だが、侘び寂びを説きながら、金儲けを追い求めるのか、と利休を斜めに批判する者が、それなり以上にいるのも事実だった。
その批判者の中には、朝廷や幕府でそれなり以上の立場の者もいる、という噂が流れており、その中には羽柴秀吉もいる、という噂まで使節団員の中では流れている。
それなのに利休はそういった噂を完全に無視して、金儲けを追求しているのだ。
宗室のみならず、それ以外の使節団員の一部も皮肉らざるを得ないのは当然と言えることだった。
そんな出来事までもあったが、取りあえずは、このオスマン帝国への使節団が帰国する迄の間は千利休に対する攻撃は表面化せずに済むことになった。
そんな感じで、オスマン帝国等からの輸入品に関する話が進んだ一方で、日本の使節団が苦慮したのが、日本人は「啓典の民」であるとオスマン帝国に認めさせる一件だった。
日本人は主に仏教徒であり、日本人の仏教徒も「啓典の民」であると、オスマン帝国に、細かく言えばシェイヒュルイスラーム(オスマン帝国のコンスタンティノープルのムフティーの職名、宗教面において最高の権力を持つ行政官)に認めさせる必要性があった。
とはいえ、そもそも論になりかねないが、イスラム教は言うまでもなく一神教なのに対して、仏教は一神教で無いのは自明の理と言っても間違いではない。
更に言えば、この辺りは神道になると、更に深刻な話になりかねない。
何しろ神道は八百万の神がおわします、というのが本来の教えと言っても間違いでは無いのだ。
そんな神道の信徒が、一神教であるイスラム教から「啓典の民」と認められる等、それこそ天地がひっくり返るような話になりかねない。
こうしたことから、日本の使節団の一員の中で、宗教面の対応をした本願寺の僧侶の集団は、シェイヒュルイスラームの説得に一苦労どころではない苦労を強いられることになった。
それこそ詭弁と言えば詭弁だが。
「南無阿弥陀仏」と阿弥陀如来の慈悲にひたすら縋るのは、アッラーの教えを唯一の教えと認めるのと同じことだ、とまで本願寺の僧侶は主張した末に、シェイヒュルイスラームから、日本人の仏教徒も「啓典の民」であると、何とか認められることになった。
そして、ようやく日本の使節団は、日本人は「啓典の民」であると認められたと安堵する事態が起きた。
最後の辺りの宗教論争ですが、この辺りをギリギリやり出すと、それこそ小説にならなくなるので、緩い形で収めました。
それに現代では、仏教徒も「啓典の民」であると認めるイスラム教の学派もあるので、そういったことからも緩く見て下さるように、平にお願いします。