第82話(織田信房視点)
「それにしても、千利休や島井宗室らまでが、この船に乗り込むとは思いませんでした」
「それは儂も同感だが、実際に見て見ぬと分からぬことも多いからな。幾ら気が利く番頭や手代を遣わしても、それからの又聞きでは、よく分からぬことが多い。例えば、コショウやナツメグといったモノが売り物になると、以前は誰が思っていた」
「確かに、欧州で貴族が買う際には、コショウは銀と同じ値段がするとまで聞きました」
「流石に、その話は盛っておるようで、コショウは銀の1割前後の値段らしいが、ともかく、日本ではコショウは買い求める者が少なく、遥かに安価になるのに対し、欧州では買い求める者が多い。必然的に高価になる訳だ」
「そういう事情ですか」
織田信房と真田信繁は、やや長い語りをした。
「他にも思わぬ売り物、買い物というのが世界にはある。例えば、鱶のヒレだ。明では珍味として、それこそ高山国等から輸入までしておるが、日本では食べる者がいないと言っても過言では無い」
「そういえばそうですな。鱶のヒレだけを、明の者は求めるので、余りにも勿体ないとして、我らが鱶の肉を逆に食べるようになった程です。あれはあれで、独自の味がする代物で、好む者は好みますが、逆にあの臭いが耐えられぬ、という者もおります」
「そういえば、高山国といえば、サトウキビの栽培を試みつつあるらしいな」
「ええ、サトウキビから採れる砂糖は高値で売れるので、それこそ米を作るよりも、サトウキビを作ろうとする者までいる程です」
「あれも、余り日本では知られていなかった物だな」
「そう言われれば」
二人の会話は更に弾んだ。
この際に余談ながら、ここで説明すると。
砂糖自体は、奈良時代には唐から日本に伝わっていたらしいが。
それこそ戦国時代になるまでは、砂糖は食用ではなく、薬として日本では扱われていた。
だが、戦国時代になって、南蛮から金平糖やカステラが伝わり、又、この頃に和菓子の製造技術が茶の湯の普及等も加わって進歩したことから、日本国内でも食用として、砂糖の需要が急増する事態が起きたのだ。
更に言えば、それこそ甘い物は古今東西を問わずに人気がある物であり、当然のことながら、砂糖は重要な商品として、世界中で求められる物といえた。
こうしたことから、まずは高山国でサトウキビの生産が試みられることになり、更にサトウキビの栽培は奄美や琉球等にまで広まって、砂糖は日本の重要な産物に後々ではなることになる。
「ともかく、世界でどんな物が売れて、又、どんな物が買えるのか。実際に本人が行ってみないと分からぬことが多い。それ故に千利休や島井宗室までが、オスマン帝国に行きたがったのだろうな」
「言われてみれば、その通りですな」
織田信房と真田信繫は、そんな会話を交わした。
そうこうしていると、風の向きのせいか、もう一つの大型ガレオン船の声が微かに聞こえた。
「相変わらず、羽柴秀吉の船は賑やかなようだな」
「身辺警護の必要があると競い合って、加藤清正に福島正則が共に乗っておりますからな。二人共に賑やかに騒いでいるのではないでしょうか。実務面では浅野長政や石田三成、大谷吉継らが揃っておりますから、特に問題は無いでしょうが」
「石田三成は、石部金吉金兜だからな。二人が騒ぐのを渋い顔をして見ていそうだな」
「確かに」
織田信房と真田信繁の会話は、そんな感じで終わった。
そして、シンガポールに船団は寄港して補給を行った後にインド洋横断へと挑むことになり、セイロン島でも補給を行った上でアデンへと入港し、オスマン帝国の官吏に接触して、紅海からエジプトを経て、地中海経由でコンスタンティノープルを使節団は目指した。
この当時、セイロン島のかなりの沿岸部はポルトガル領ですが、全てをポルトガルが抑えていた訳ではないようですので、ポルトガル領以外の港で物資補給を行ったということでお願いします。
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