第75話
19世紀後半から20世紀初頭となると、汽船や有線通信等が実用化されていて、当然のことながら、産業革命以降の時代ということにもなり、植民地化のコストが相対的にかなり低廉になっていた時代なのです。
その時代でも植民地開発のコストが問題視されている以上、16世紀に植民地の開発をすることに反対の声が上がるのは、当然のことと言っても過言では無いのです。
実際問題として、積極的に日本本国の外へ打って出ることにして、植民地を開拓するのは初期投資が膨大に掛かる事なのは間違いない。
そして、その初期投資が充分に回収できるのかというと。
それこそ19世紀の後半から20世紀初頭に掛けて、いわゆる帝国主義華やかなりし頃、欧米列強が積極的に植民地開拓に勤しんでいた頃でさえ、植民地経営はインドを始めとする一部を除いて赤字経営が多数を占めるのが現実だった。
最大の帝国主義国と言えた英国でさえ、そういった背景から、グラッドストンを始めとする多くの有力な政治家が、植民地拡大に疑問を呈していたという史実があるのだ。
そうしたことまでも考えれば、日本本国内から余り打って出るべきではない、というのもそれなり以上に筋が通っている主張としか言いようが無い。
だが、その一方で、やるのならば今のうちなのだ、というのが、私やその支持者の考えだった。
今ならば、日本が積極的に海外に打って出たとして、スペインを始めとする欧州諸国は、それに対処するだけの体制を調えていない筈なのだ。
勿論、日本が積極的に海外に打って出るようになれば、それにスペイン等も対応するだろうから、こういった日本有利の現状が、史実とは異なって大きく速やかに崩れる可能性があるのは否定できない。
だが、今ならば、スペイン等が本格的に日本の本国外への侵出に対応していない公算が高い。
例えば、喜望峰周辺を日本が抑えれば、喜望峰より南の海は南に赴く程、
「吠える40度・狂う50度・絶叫する60度」
と謳われる強風が吹き荒れる海域になる以上、この16世紀の帆船にしてみれば、それこそ洋上航海の危険性が極めて高い事態が引き起こされることになる。
だから、喜望峰周辺を欧州諸国に先んじて日本が抑えることに成功すれば、インド洋航路における欧州諸国の脅威は、大幅に軽減されることになるし、インド洋から西太平洋にある欧州諸国の拠点は、ほぼ立ち枯れる事態さえも引き起こされるだろう。
その一方で、日本本国から喜望峰周辺に入植するとなると、余りにも遠距離であり、危険性が極めて高いと言われても仕方ないのが現実ではある。
だが、その一方で、スペインがメキシコ経由でフィリピンの植民地化に成功した史実を想えば、それよりは遥かに楽ではないか、という考えが私に浮かぶのも現実だった。
カリフォルニアに至っては、「アカプルコ貿易」と当時は謳われていたメキシコとフィリピンを結ぶ航路の資料が、マニラを攻略することによって、私達の手に入っており、カリフォルニアへの航路が私達日本人の手に入っているといえる現実があった。
現実を考えれば、まだまだ資料が手に入っているだけ、という見方ができる話であり、実際に入植するとなると、現地調査を行って、それなりの地図を始めとする資料を作成する必要があるだろうが。
喜望峰周辺にしても、カリフォルニアにしても、日本人の入植が現状を考える限りは、全く不可能な話ではなく、数年の調査期間は覚悟せねばならないだろうが、それだけの期間を掛ければ、実際に日本からの入植活動を行うことが可能、と自分やその支持者は考えられる現実があった。
こういった理屈を唱えて、私やその支持者は積極的な日本国外への侵出、具体的には喜望峰周辺やカリフォルニアに日本の植民地を建設することを訴えた。
そうした激論の結果として、実際に結論が出たのは1590年のことになるが、それ以前から私やその支持者は自腹を切って、喜望峰周辺やカリフォルニアに対する入植が可能か否かの調査等を試みる事態が起きた。
更に、その調査結果が極めて有望と見られたことから、実際に入植活動が始まった。
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