第70話
私は、余りにも大きな事態が起きていたことから、ここまでの義兄のやり取りで心理的に疲れきってしまったが、義兄はそれを見透かしていたように、次の話を持ち出してきた。
「続けざまに話をして済まぬが、側室を迎えぬか」
「側室ですか」
正直に言って、私は返事をするのも億劫な気持ちになっていたが、自身の側室の話となると、それなりに対応せざるを得ず、私はオウム返しに言った後、少し考えに沈んだ。
私の正室の五徳は、今までに私との間に12人の子を生しているが。
その中で男児は2人に過ぎない。
残り10人は女児だった。
しかも長男は8番目、次男は11番目の出生ということが響いたのか。
二人共にそれこそ五歳どころか、三歳になる前に、既に亡くなっている。
少し先走ったことをここで書けば、結果的に私達夫婦の間の子で成人したのは、娘8人だけだった。
そして、12人目を産んだ際に、複数の名医から五徳はとうとう、
「これ以上の出産は、母子共に余りにも危険になります。それにもう30歳です。年齢的にお産を止められるべきです」
と診断というより、諫言をされてしまう事態になっている。
それを聞いた五徳は、実父の信長譲りの癇癪を爆発させたが。
実際問題として、冷静に考える程、名医の言葉が正しいのが分かるので、陰では泣いていると、五徳付きの侍女達から自分は聞いている。
そうした五徳の想いを考えると、側室を迎えるべきだろうか。
そんなことを疲れて回らない頭で、自分が黙って考えていると、義兄は追い討ちをかけて来た。
「織田家が徳川家の跡取りの信康殿に勧めた妻が女しか産まず、徳川家が絶えたと言われたくはないのでな、それなりの側室を勧めたい、と自分は考えたのだ」
「そうですか」
私は、何とかそれだけ答えた。
「それでだが」
義兄なりに躊躇いながら、私に対して、そこで言葉を切って、具体名を挙げて来た。
「儂の従妹の茶々を側室にせぬか」
「えっ」
義兄の言葉に私は絶句した。
私は慌てて、自分が知る限りの、この世界の茶々の経歴を思い起こした。
茶々は私の前世と同様に、浅井長政とお市の方の間の長女になる。
そして、ほぼ史実同様に実父の浅井長政殿は自害しているが、この世界では、それ以前に茶々から言えば伯父になる織田信長殿は長良川河畔の戦いで横死されていた。
そうしたことから、遺された織田家中の主な面々は話し合った末に、織田家の家督を、私からすれば義兄になる織田信忠殿にしたものの、このときの織田信忠殿は元服したての満16歳ということから、重臣の丹羽長秀殿や柴田勝家殿らを、信忠殿の事実上の後見人にせざるを得なかった。
だが、これだけでは不安を覚えた織田家中の面々は、お市の方を柴田勝家と再婚させることで、柴田勝家と織田家の縁を深めたのだ。
その結果、柴田勝家は信忠殿の義理の叔父となり、織田家中で筆頭重臣を務めることになったが。
柴田勝家殿に子種が無かったのか、結局はお市の方と柴田勝家殿との間に子は産まれず、柴田勝家殿はお市の方の連れ子3人を、我が子のように慈しむことになった。
そして、今では茶々は勝家殿の鍾愛の娘と聞いた覚えが私はあるが。
「茶々がな、勝家殿に訴えたそうだ。側室でもよいから、信康殿と結ばれたいと。そうすれば、日ノ本の外で、兄上の子が信康殿から土地を貰えるのではないか、とな」
「そういう理由ですか」
私と義兄はやり取りをした。
茶々の異母兄の万福丸は、本願寺の僧侶になっているが、先年に息子が生まれている。
お市や茶々は、万福丸の子を武士にして浅井家再興を考えているのだろう。
「妻の五徳の了解を得てから、返答します」
疲れもあって私はそれだけ言ってから、義兄の下を去った。
30歳で高齢出産とはおかしい、とツッコまれそうですが。
五徳は満30歳までに12人も出産しており、この時代としても多産で、母体の健康面からしてもお産を止めるように言われて当然、と私が調べる限りは考えます。
いや、この歳ならばまだまだ産めるでしょう、と言われるのなら、私の調査不足を恥じ入るばかりです。
ご感想等をお待ちしています。