第7話
この時代にこんな結婚式はしないし、歴史を知らない主人公がこの逸話を知っているのはおかしい、というツッコミの嵐が起きそうですが。
小説ということで緩く見て下さい。
(「信長の野望」のイベントにもなっている有名な逸話ですし)
そんなことをしているうちに時は流れて、自分と五徳との結婚が行われることになった。
当然のことながら、織田信長と自分の父、徳川家康(この当時は松平元康から改名したばかりで、更に徳川姓は自分のものだけだ、と言っており、私は相変わらず松平姓のままだった)も、この結婚式に参列することになった。
更に双方の家臣団も、それなりにこの場には集うことになったが、招かれなかった人もいる。
それが誰かと言うと、私の母になる築山殿だった。
私の母は既述だが、私が駿府で人質でいるにも拘わらず、父が私を見捨てて信長との停戦交渉を優先させたこと等から、既に離婚していると言っても過言では無い別居状態にあり、岡崎城の近くに侍女等共に独居しているといっても過言では無かった。
そんな状況にある以上、私には詳細が分からないが、この結婚式に私の母は招かれなかったのだ。
そんなことから、少なからず微妙に私の居心地は悪かったが。
酒井忠次が酔った勢いで「海老すくい」を結婚式の場で披露する等、織田家と松平家の友好がこの場では図られることにもなったのだが。
私は義父になる信長と(私の認識によればで、実は何処かで逢っていたかもしれないが)この場で直に初対面して、暑さだけではない背中に大量の冷や汗を流しながら、話をすることになった。
信長は極めて甲高い声で、結婚式が一段落した段階で自分に声を掛けて来た。
「これが婿殿か。懸命に努力して、文武両道でそれを共に極めようとしていると聞くの。こんな努力家を儂の娘婿に出来るとは、極めて有難い」
「いえ、私以下の愚息でして、そのように褒められる等、こそばゆくてなりませぬ」
私の父は謙遜から、そう述べたのだが。
信長は、そんなつもりは無かったのかもしれないが、更なる追い討ちをかけて来た。
「鉄砲の威力を知って、少しでも安く鉄砲を手に入れようと試みるとか。十にもならない童とは思えぬ頭の持ち主。これは下手をすると、儂の息子皆が徳川殿の門前に馬をつなぐことになりますな」
私の父はすぐには意味が分からなかったようだが、私は真っ青になった。
これは有名な史実の反映ではないか。
かつて、信長が義父になる斎藤道三と正徳寺で逢った際に、道三が信長の器量に感服する余りに、
「儂の息子は皆、何れは信長の門前に馬をつなぐことになるだろう」
と嘆いたと伝わっている。
門前に馬をつなぐ、というのは、その人の家臣、家来になるという意味の言葉であり、道三は娘婿に自分の息子の器量が到底及ばないのを察して言った、とされている。
(尚、史実では長命した道三の子孫は、信長に最期まで敵対した義龍や竜興を除いて、その通りの人生を送ったとのことです)
信長が私のことをそう評価したということは、息子可愛さの余りに速やかに私を殺すべきだ、と信長は考えたということなのだろうか。
私は、(史実を知っているせいか)それなりどころではない威圧感を与える信長に懸命に言った。
「私としては金がないので、少しでも安く鉄砲を買いたいだけなのです。そこまで評価されるようなことではありません」
「はは、正直な童だ。確かに鉄砲は高価なモノ、10歳にならない童にも分かるか」
私の言葉のどこが琴線に触れたのかは分からないが、信長はそう言ってその場を去り、それで、私としては、この結婚式の場は事実上は終わったと言っても良かった。
その一方で、この結婚式の後に五徳は自分の侍女等、それなりの数の人を連れて、岡崎城に乗り込んでくることになった。
私の視点からすれば、岡崎城が五徳に事実上は乗っ取られたようなものだった。
とはいえ、自分の立場では五徳を岡崎城から追い出す訳にはいかないのが現実だった。
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