第68話
そんな思わぬことがあった末に、この時代の移動速度の制約もあって、私は1588年の夏に上洛して義兄の織田信忠殿と話し合う事態が引き起こされていた。
織田信忠殿にしても、驚天動地としか言いようが無い事態なのだろう。
どのように対処するのが、最善なのか、頭を抱えているように私には見えた。
「速やかにマニラから戻ってきてくれて、礼を言う。本当に思わぬことが起こっているのだ」
「どのような事態でしょうか」
どこまで正確なのか、さっぱり分からない噂話ばかりを、私は義兄の織田信忠殿に逢うまで聞かされていた。
そうしたことから、開口一番に私はそう尋ねざるを得なかった。
「大友氏や有馬氏、大村氏が欧州にキリスト教徒救援の依頼を行っていた。どこまで本当なのか、正確なところは不明だが、欧州諸国において、日本のキリスト教徒を救え、キリスト教徒で無い日本人は皆殺しにしろ、当然に朝廷、今上陛下を始めとする皇族は悪魔の子孫と自称する以上は皆殺しだ、という声が高まっており、百万の兵士が日本まで遠征しようとしているという。どのように対処すべきか」
織田信忠殿は、私にやや長い説明を行った。
「何と」
余りの衝撃に、それ以上の言葉が私には出なかった。
その一方で、私の内心は冷めざるを得なかった。
この当時の欧州諸国が総力を挙げても、百万の兵士を日本に送り込む等、出来よう筈がない。
この世界の天正遣欧少年使節は、どこまで現実が見えない者が集っていたのだろうか。
少し考えた末に、私は口を開いた。
「実際問題として、百万の兵士を欧州から日本に派兵する等、様々なことを考える程、不可能なこととしか、考えられませぬ。現実性のないことを心配する必要は無いのでは」
「確かにそうかもしれぬが。最悪を想定するのが当然ではないか」
信忠殿は、私に反論して来た。
「確かにそうですが」
私は少なからず考えに沈むことになった。
こういった場合、基本と言えば基本かもしれないが、同盟という形で味方を増やし、その一方で敵を減らすことを考えるべきだが。
キリスト教諸国が日本と同盟を結ぶ等、期待しない方が無難だろう。
となると、イスラム教を始めとする国々と日本は手を組むことを考えるべきか。
そこまで考えが及んだ私は、義兄に対して提言をした。
「天竺方面にまで、日本の商船や軍船は赴いており、そこでポルトガルを始めとする南蛮の船と戦っております。又、私のいたフィリピンでは、スペインの船が来航しては、それを撃退していました」
「うむ、それは私も把握している」
義兄はそう答えてくれた。
「そして、キリスト教の国々は、イスラム教を始めとする異教の国々とは犬猿の仲だとか。この際、敵の敵は味方という観点から、対キリスト教の同盟を考えるべきではないでしょうか」
「それは考えたことが無かったな」
私の言葉に、義兄はそう答えた。
実際問題として、大名の同盟という考えこそ、この頃の日本にはあったが。
国と国との同盟という考え等、それこそ中華の国を中心とする外交関係の中で過ごしてきた日本にしてみれば、そういった発想自体が無かったと言っても過言では無かったのだ。
「この際、オスマン帝国を始めとするキリスト教以外の宗教を信奉する国々と、日本は手を組むことを考えるべきです」
「ふむ。しかし、使節をどうする。オスマン帝国に誰をやるべきだろうか」
「羽柴秀吉殿は如何でしょうか」
私と義兄の話は進んだ。
実際に人たらしの達人と言われている羽柴秀吉殿ならば、オスマン帝国の要人とも上手く話ができるのではないか、と私は考えた。
更に義兄もその考えに乗ることにしたようだ。
「よし、羽柴秀吉をオスマン帝国に派遣しよう」
義兄は決断した。
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