第65話
野戦を終えた後、この時代では止むを得ないことと言えたが、戦死したスペイン兵の遺体に少しでも金目の物はないか、と鵜の目鷹の目で足軽達が漁るのを見ながら、私は主だった武将を集めて指示を下した。
「足軽達が満足したら、遺体は全て焼いてしまえ」
「「分かりました。キリシタン共は怖れおののくでしょう」」
「うん。スペイン人共に恐怖を与えてやれ」
私は内心で想った。
遺体をこのままにしておく訳にはいかない。
このままにしておいては、それこそ様々な伝染病を引き起こしかねない。
この時代に伝染病に襲われては、それこそ皮肉なことに神に縋るしかない。
そうなると遺体を焼いて伝染病の巣にしないのが最善の方策なのだが、この時代には伝染病の概念自体が無いと言っても過言では無い。
だから、キリシタン共に恐怖を与えるという口実で、遺体を焼くのが最善の方策になる。
とはいえ、そんなことが考えられるのは自分だけだ。
自分の周囲、更にはスペイン人達には誤った考えが広まるのは避けられなかった。
「戦死したスペイン兵の遺体は全て焼かれたそうだ」
「彼らを永遠の地獄に落とそうとするとは、何と日本人は残虐なのだ」
「やはり、日本人は悪魔の使徒だ」
「ノブヤスはサタンの化身に違いない」
そんな酷い噂まで、私は振り撒かれることになった。
ともかく遺体を焼く等の戦場の後始末等もあったため、結果的にマニラ攻略を私達は予定より1日遅れさせざるを得なかった。
こうした状況から、マニラにいるスペイン人達は絶望の色を濃くせざるを得なくなっていった。
正々堂々と出撃していったスペイン軍は半分以上が戦死し、司令官他の多くの士官も戦死してマニラに敗走して来た。
更に戦場から煙が上がり出したが、それはスペイン兵の遺体を焼く煙だというのだ。
自分達はどうなるのか。
異教徒に対して自分達がしてきたように、日本人は自分達を皆殺しにして遺体を焼くのではないか。
そんな声がマニラの中では高まる一方になった。
日本人と交渉すべきとの声も少数ながら出たが、日本人が交渉の際にした約束を守ると信じるのか、異教徒との約束は守る必要が無いといって自分達が破るのに、異教徒の日本人が約束を守る筈が無い、という声にかき消されてしまった。
では、どうすればよいのだ、日本軍と戦って勝てるのか。
そういう声に対して、司令官がいないこともあって、それこそ現実性のない議論が交わされ、時間を空費している内に、マニラは私の率いる徳川軍に攻め込まれた。
結果的にマニラに残されていたスペイン人達は統制の取れないまま、思い思いに戦うことになり、徳川軍の手に掛かって、多くが戦死していった。
そして、戦死者達は金目の物を身ぐるみ剥がれた末に、遺体は焼かれていくことになった。
このことで、私に対する現地での悪口は更に酷くなったが、私は甘受せざるを得なかった。
ともかく、この結果、マニラは私が率いる徳川軍というか、日本の手に入ることになった。
又、生き延びた少数のスペイン人達は、キリスト教の教えから自殺する訳には行かず、結果的に私にほぼ運命を委ねることになった。
私は、朝廷や幕府からの命令もあって、キリスト教を棄教するか、信仰を守って殉教するかを彼らに選ばせることになった。
そして、彼らの多くが殉教を選んだのだ。
恐らく棄教しても、生命等の保障が無い以上、殉教した方がマシと彼らは考えたのだろうが。
私の指揮下の面々にしてみれば、こういったスペイン人の態度は、益々キリスト教に対する脅威を覚えさせてしまった。
棄教したら命等を保障すると言っているのに、それ位ならば殉教するとは。
それこそカルト教団のようにキリスト教は思われることになった。
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