第62話
そんな事態が後々でこの世界では起きるのだが。
そんなことを露知らぬまま、私は1583年の春に呂宋島、具体的にはマニラ経略作戦を、自らが先導して行うことになっていた。
それこそ日本の国力を結集すれば、本当に10万人を超える兵力がマニラ経略に投入できるのだろうが、実際に私が直に率いてマニラ経略に投入される兵力は、その1割程に過ぎなかった。
さて、何故にこのような事態になったかというと。
「本当に1万人程でよいのか」
「問題ありませぬ。いざとなれば、水兵(海軍の将兵)を投入するまでです。彼らとて、陸の戦を知らぬ者達ではありませぬ」
「しかしだな」
「義兄上、兵は多い方が良いのは事実ですが。余りに兵を多くしては、兵糧等に問題が起きます。更に海を赴く以上、真水の確保に苦労するのは必然。大量の真水を運ぶとなると、それだけ兵糧等に問題を引き起こすことになります」
「確かにそうだな」
義兄の織田信忠殿には大反対されたが、私は上記のような言葉を尽くして、海陸併せて1万人程でのマニラ経略作戦を発動することになった。
実際、私が事前に小浜景隆らがこれまでに集めて来た情報を信用する限り、マニラの防衛体制は貧弱としか言いようが無かった。
万が一の海賊襲来を警戒して、軍艦1隻が配備されてはいるが、その軍艦はどう見ても、私の知識によればガレアス船で、浮かぶ砲台としか言いようが無い代物だった。
リンガエン湾から上陸してマニラを目指せば、ガレアス船の脅威は低い筈。
私はそう考えて、小浜景隆らの知恵も借りて、マニラ経略を目指すことになったのだ。
それに、史実以上の利点が、私達には有った。
高山国(台湾)の開発がそれなりに進みつつあり、前進拠点として活用できたのだ。
更に余談に近い話になるが。
「まさか、この地で徳川殿と会うとは」
「それを言えば、この地で上杉殿と会うとは、こちらも想いませんでした」
マニラ経略に赴く途上において、そんな感じで、高山国(台湾)の南部、21世紀現在で言えば高雄近郊を開発していた上杉家の面々、その中の当主である上杉景虎殿と私は挨拶を交わした。
「取り敢えずは、この地の名物を味わって頂こう」
そう言って、上杉景虎に随行して、この地の開発を行っていた新発田重家殿から振る舞われた代物を食べて、私は目を白黒させることになった。
「これは何の魚ですかな」
「鱶ですよ。ヒレを明の国人は好むのですが、ヒレ以外の身は好まぬのです。鱶は人を襲うこともあり、この身を食えば強くなれるのでは、と色々と試す内に、いつか好物に」
新発田重家は笑いながら言った。
私に言わせれば、それこそアンモニア臭がそこはかとなくする魚の身の煮付けで、美味と言えるかというと、どうにも躊躇われた。
だが、上杉家の面々の多くが、新発田重家と同様の意見のようだ。
これは、それなりに覚悟を決めて食べるしかない、と腹を括って私が積極的に食べだすと、本多忠勝や榊原康政といった私と共に来た徳川家の面々も、主が積極的に食べるのを食べぬ訳には、と考えたようで、目を白黒させながら、懸命に食べだした。
そして、それは上杉家の面々に好感を抱かせたようだった。
「鱶の身を勧めても、臭い等を気にして食されぬ方が多いのに、積極的に食べられるとは。これは気持ちの良い御方のようだ。この新発田重家、徳川家の方々と共に戦わせて頂きたい」
「重家から言い出すとは。良かろう、上杉家の力を示して参れ」
「これは、新発田殿の助力を得られるとは有り難い限りよ」
そんな感じで、上杉景虎殿らとのやり取りを行った末に、結果的に自発的に高山国(台湾)の上杉家の軍勢二千も加わって、私はマニラ経略に赴くことになった。
鮫のことを鱶と書くか、実は少し悩みましたが、フカヒレと言う以上は鱶と書くのが相当と考えて、鱶と書きました。
尚、鮫肉のアンモニア臭は、鮫の種類によっては、それなりどころではないようで、単なる煮付けでは、どうにも食せない程だとか。
作中の描写は、そういった情報から描きましたが、鮫肉料理法に詳しい人からすれば、ツッコミどころ満載かもしれません。
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