第61話
だが、こういった状況を更に悪化させる存在があった。
この辺りはどこまでが真実なのか、私には分からないが、(史実では、天正遣欧少年使節として知られる)伊東マンショらが使節として行われたローマ教皇への日本人キリスト教徒救援依頼が、更なる状況悪化を引き起こしていたのだ。
伊東マンショらのローマ教皇への日本人キリスト教徒救援依頼だが、有馬氏や大村氏が参加していたのは間違いないようだが、大友氏まで加わっていたのか、というと。
大友氏側は全面否定している。
だが、有馬氏や大村氏は大友氏が主導していた、と責任を擦り付け合っている。
正使のメンバーを考えると、大友氏の関与を必ずしも否定できない、と私は考えるが、この辺りの真実は闇の中と考えるのが相当なのだろう。
ともかく1582年に、日本国内でキリスト教徒への大迫害が始まったことから、イエズス会を中心とするカトリックの宣教師達は、欧州のカトリック信徒達、具体的には主にローマ教皇庁に対して、日本人のキリスト教徒の救援を求めるべきだ、と考えるようになった。
それに表向きはキリスト教を棄教した大友氏や有馬氏や大村氏も賛同した。
更に大人よりも少年がローマ教皇猊下らに救援を訴えた方が効果的と考えられたことから、伊東マンショらが使節となって、欧州に赴くことになったのだ。
そして、伊東マンショらは、日本から南シナ海へ、更にインド洋から大西洋を経て欧州へと赴き、日本人のキリスト教徒救援をローマ教皇やスペイン(ポルトガル)国王らに対して訴えたのだ。
とはいえ、この時代の技術等の様々な制約から、この使節団がローマ教皇らに謁見したのは、結果的にだが1585年のことになった。
更に言えば、この時代における様々なキリスト教の熱情の発露(カトリックとプロテスタントの対立、レパントの海戦を頂点とする対イスラム教徒に対するカトリックの十字軍派遣、東方正教会とカトリックのブレスト合同を頂点とする東西教会合同の動き)等から、ローマ教皇庁を頂点とするカトリック信徒の面々は、こういった宗教問題に対して極めて鋭敏に反応するようになってもいた。
又、様々な経路による噂の伝達から、日本国内のキリスト教徒迫害が、欧州にまで届いてもいた。
こうした背景から、日本国内におけるキリスト教徒迫害は、断じて許されないものだ、と多くの欧州のカトリックの信徒を激怒させることになっていた。
そうしたことから、この使節団が行った各所への嘆願だが。
終には、ローマ教皇が聖座宣言を行った上で、
「自らが神の末裔だと説く国王の統治する民(日本人)は、善きキリスト教徒でない限りは根絶やしにするのが、神の御心に沿う行為である。如何なる事情があろうとも、キリスト教徒で無ければ、その国の民に情けを掛けてはならない。情けを掛けぬ者は、如何なる罪に対しても贖宥が与えられる。その一方で、情けを掛ける者は永遠に地獄に堕ちるであろう」
とまで宣言することになった。
ローマ教皇が聖座宣言に基づいて行ったことは不可謬である、とカトリックの信徒には考えられているのが現実である。
そのローマ教皇がここまでのことを聖座宣言で言ったのだ。
スペインを筆頭とするカトリック諸国の国王が、どこまで本気かは別にして、日本人を根絶やしにせよ、と叫ぶ事態となった。
更にその統治に服する貴族や庶民に至るまでも、同様のことを叫ぶことになった。
そして、プロテスタント諸国、具体的にはイングランドやオランダ等もこの影響を受けた。
日本と手を組んでは、カトリック諸国から総攻撃を受けるやもと考えたのだ。
後で知った私は、この世界でも日本包囲網ができるとは、と嘆くしかなかった。
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