第58話
ともかく、こういった事情から日本中でキリスト教の宣教師やその信徒達を絶対に許すな、更にキリスト教の宣教を支援等しており、日本人の商船に対する海賊行為を行っているポルトガルやスペインを潰せ、という世論、空気が急激に高まることになった。
そういった世論、空気を背景に朝廷や幕府は、まずはマニラ、更にはマカオやマラッカ攻撃までも考えるようになったが。
全ての日本国内の勢力というか、大名がそれを支持する訳が無かった。
何しろ長年に亘る日本国内の戦乱がようやく収まったのだ。
それなのに、積極的に日本国外に打って出る必要があるのか、ポルトガルやスペインが攻めてくるのを迎撃すれば良いのではないのか、という声が少数ではあるが挙がるのも当然だった。
特にその声を大にして挙げたのが誰かというと、私の父である家康だった。
更に父は私に孝の理屈まで説いて、私を黙らせようとした。
「忠孝何れを重んずべきや」
「極めて難しい問いですが、私は忠を重んずべきかと」
「孝経において、孝が忠より上であると説いてあるのを学ばなかったのか。父の言葉には黙って従え」
「確かに孝経には、そのように書いておりますが、四書五経の中ではそのようにまでは書いておらず、更に言えば、朱子は忠を孝よりも上に置いてあります」
私と父は問答を交わした。
「積極的に日本国外で戦えば、その戦乱が数年で済む、と考えておるのか。数十年単位の戦乱になるのではないか、それを推し進めるのが、朝廷や幕府に対する忠といえるのか。攻めてくるのを迎え撃てば良い話ではないのか」
父は私を更に難詰した。
「確かにその観点はありませんでしたが。それならば、高山国(台湾)に赴いている武田家や上杉家等の面々はどうなされるおつもりで。又、積極的に日本の商船は日本国外に赴いております。それらを見殺しにせよ、と父上は仰られるのですか」
「彼らは自衛すれば良い。自衛できぬ、というのならば、日本国内に引き上げて籠ればよい」
父と私の論争は平行線をたどった。
「ともかく、私としては今上陛下を焼き殺せ、八幡宮を始めとする全ての神社仏閣を焼くのが神の御心に沿う絶対正義と説くキリスト教の宣教師やその信徒が、日本国内にいるのを認めないという朝廷や幕府の考えは正しいと考えます。それに父上は、我が徳川家は足利一門である、つまりは八幡太郎義家の末裔である、と言われておられた筈。それなのに(全ての八幡宮を統括する)宇佐八幡宮を焼き討ちしたキリスト教の宣教師やその信徒達を見過ごせ、と仰られるのですか」
「そのようなことまでは言っておらぬ」
私は父に皮肉まで含めて言葉を返し、父は私の主張に事実上は沈黙した。
「ともかく私は朝廷や幕府の命に従うまでです」
「お前がそこまで言うのならば、これまでだな」
私と父は、この瞬間に完全に決裂関係に陥った。
だが、史実と違う点が多々あった。
普通ならば、ここまでの事態に陥った以上は史実同様に父が私を押し込める、廃嫡して当然だが。
私は朝廷や幕府の命に従うと言っているのであり、更には織田信忠や武田勝頼らの面々も私を積極的に支持している。
それなのに、父が私を押し込めては、それこそ父は朝廷や幕府に対して公然と叛乱を起こしたと徳川家内外から難詰されて当然の事態であり、織田家や武田家は私を救援するために、積極的に兵を動かすことさえも辞さないだろう。
そうなっては、それこそ父が切腹して、私が徳川家の家督を相続して当然になる。
だから、父としては憤懣を溜めつつ、それ以上の私に対する行動には出なかった。
そして、父が黙ったことから、最早、日本の対スペイン、ポルトガル戦争を止める者は、ほぼいなくなった。
ご感想等をお待ちしています。