第53話
「敵は本能寺にあり」
それが明智光秀の本能寺の変の際の科白だったような覚えが。
この世界に転生してきて20年以上が経つと、前世の記憶が本当に怪しくなってくる。
(実際にそうなのだが)そろそろ本能寺の変が起きた年ではないか、と1582年の私は考えていた。
1582年現在、日本は再興された足利幕府によって再統一が為されようとしていた。
朝廷を幕府が仰ぎ奉り、幕府の下で日本全土が統治される。
応仁の乱以前には当たり前だった政治体制の再構築が本格的に終わろうともしていた。
勿論、かつてとは完全に変わった点が幾つもあった。
例えば、三管四職と謳われていた名族、細川、斯波、畠山の三管領家、赤松、一色、京極、山名の侍所長官に補された四職家の合計七家の内、どれだけが未だに勢威を持っているかと言えば。
最早、七家全てがほぼ滅んでいると言っても過言では無かった。
勿論、血脈が完全に途絶えたといえる家は七家の中で一色家くらいのもので、それ以外の家はそれなりに血脈を伝えてはいるのだが、とても管領や侍所長官を務められるような勢威は持っていない。
織田信忠殿が足利幕府の管領を務める等、応仁の乱以前の家の家格は完全に崩壊している。
例えば、他に関東管領にしても様々な行きがかりがあるので、足利幕府は決して明言しないが、徳川家と武田家が関東管領を事実上は二分して務めていると言っても過言では無い。
そんなこんなが相まって、足利幕府は再興される事態が起きていた。
こういった状況を、私を始めとする多くの日本人が斜めに見ている。
応仁の乱や明応の政変によって、日本国内は戦乱の世に突入した。
その結果、多くの旧勢力というか、旧家が没落せざるを得なくなった。
その一方で、足利幕府は結果的に存続し続けたが、現実との折り合いを付けざるを得なかった。
そうしたことから、足利幕府は現実主義から三管四職を始めとする足利幕府創設当初の家格を否定して、実際の勢力に基づく統治体制を築かざるを得なくなったのだ。
これはこれで、現実に合った統治体制と言えるが、そうは言っても、一部の超保守派といえる面々からすれば、足利幕府は何を考えているという批判が現に浴びせられる事態が引き起こされている。
何故にかつての家格を完全に無視するのだ、家格を無視するならば、応仁の乱以降の大規模な日本全土の内乱を引き起こした足利将軍家こそが家格を無視されて、足利幕府は潰されるのが当然ではないか、という超保守派の理屈を、私も本音ではその通りかも、と考えざるを得ないのだ。
とはいえ、足利幕府という権力を完全否定して、新たな統治体制を築くとなると。
それはそれで、大変なことになるのは、私の怪しい知識に基づく史実からしても大変なことになる。
それこそ、織田家、信長包囲網は、足利義昭を追放したことで出来たようなものだし。
本能寺の変からの織田政権崩壊や、豊臣秀吉死後の豊臣政権の早期崩壊は、後継者に恵まれなかったというのが最大の要因だが、新たな統治体制に充分な権威と武力が兼ね備わった権力が無かったのも大きかった気がして私は成らない。
例えば、豊臣政権に十分な権力があれば、秀頼が主君でも問題無く豊臣政権は続いただろう。
そして、長きに亘る日本中を覆っていたと言える戦乱が終わるならば。
かつてとは大きく違う姿になったとはいえ、足利幕府が再興されることで、日本が統一されるならば、それで良いのではないか、という世論、空気が日本中で漂うのも当然と言えた。
更にその空気は、奥羽や九州といったいわゆる辺境に成る程、強いものがあった。
辺境程、幕府の権力は遺っていたのだ。
こうしたことから、日本は再統一されたのだ。
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