第49話
そんな裏話があった末に、1580年には東国諸勢力が結集されて、高山国(台湾)を目指そうとする事態が起きており、武田家や上杉家が主な旗頭になって高山国の地に幾つか拠点を構えていた。
尚、この間というか、私が江戸に赴いて以降、私の指揮下にある徳川家の水軍衆等は、小浜景隆を中心にして(現在で言えば)南シナ海からインド洋へと探査、侵出行を進めており、その過程で路銀稼ぎという訳でもないが、実地に貿易を試みていて、それで儲けようと苦心惨憺していた。
そういった経緯の果てに1580年春のある日、私は小浜景隆と改めて情勢の再確認をしていた。
「(日本の)西国の情勢はどうなっておる」
「織田家の西方侵出は、それなりに進んでおりましたが。毛利家等と本格的に交戦する事態となっており、そろそろ手打ち(講和)が図られる情勢のようです」
「やはり、そうなるか」
私の問いかけに、小浜景隆はそう答え、私はそれに同意せざるを得なかった。
遅かれ早かれ、何れはそうなると私には見えていた話で、更に言えば、石川数正や本多正信等、徳川家中のいわゆる吏僚系の家臣の面々も、そのように分析していた話だった。
東国は北条征伐の結果、足利幕府の権威が事実上は回復する事態が起きている。
西国にしても、足利幕府の権威が回復して、戦乱が収まれば、それこそ戦の世は終わるのだ。
そうなれば、朝廷の下、足利幕府が日本を統治する応仁の乱以前の状況に日本は戻るのだ。
だが、応仁の乱以前とは異なることが日本には起きている。
南蛮(ポルトガル、スペイン)人が日本に来訪して、それに伴い、宣教師が日本に来て、カトリックのキリスト教が日本の民の間で広まりつつある。
それだけならば、私は黙認しても構わない話だが。
(更に言えば、21世紀ならば、それが当然の考えになるのだろうが)
今は16世紀であり、カトリックの教えが微妙に21世紀とは異なっているのだ。
それこそ既述だが、異教徒を奴隷にするのは当然だ、とカトリック教会は唱えており、日本人を積極的に日本国外に売り飛ばしている。
更にその収益で、日本国内への布教活動をカトリックの宣教師は進めているのだ。
こういった状況を知る程、私はこの時代のカトリック教会をどうにも認められなかった。
だが、カトリック教会の危険性をどのように朝廷や幕府、それから織田家等に訴えていくべきか。
それを考えると、私はどうにも手詰まりというか、その手段について悩んでしまう。
何しろこの時代の日本では奴隷制が健在なのだ。
そうした中で日本人奴隷を外国に売って何処が悪い、という声が挙がれば、それを公然と批判するのは極めて難しい話になる。
そんなことをつらつらと私が内心で考えていると、小浜景隆は顔色を改めて言った。
「南蛮は通行証を持っていない船を襲っております。こちらも集団で行動することで対処しようとしている現実があります」
「何」
小浜景隆の言葉に私は驚かざるを得なかった。
この辺り、後で私が知った知識を併せてここで述べるが。
この当時のポルトガルはカルタスという名の通行証を発行していて、それを持たない船を公然と襲っていたのだ。
尚、細かいことを言えば、日本の海賊衆も似たようなことをしている。
例えば、村上水軍衆は帆別銭を自分の勢力圏を航行する商船から徴収し、支払いを拒否する商船は村上水軍衆に襲われる事態が起きている。
だから、お互い様の話ではあるのだが。
私からしてみれば公海自由の原則の中で前世は過ごしていたこともあって、南蛮、ポルトガルの遣り口は断じて許せない、と憤ることになったのだ。
「それは断じて許せぬ話だな。朝廷や幕府に善処を求めねば」
私は低い声で言った。
ご都合主義と言われそうですが、史実でもポルトガルはカルタス(通行証)を持たない日本の朱印船を公然と攻撃していたとか。
だから、史実から考える限り、おかしくない描写なのです。
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