第47話
さて、ここで裏話をさせてもらうと。
前世では海上自衛隊士官だった私が、本来から言えば、甲斐の地方病、日本住血吸虫症について知る訳がない。
何で私が知っているのか、というと、皮肉なことに第二次世界大戦のレイテ沖海戦についての歴史教育を士官として受け、更にそれに関するフィリピンの戦いについても講義を受けた際に、レイテ島の戦いにおいて2000人近くのアメリカ兵が日本住血吸虫症にり患したという話が印象に残り、更にそれについて個人的に調べた結果だった。
そして、甲陽軍鑑にも甲斐の地方病の記載があり、この頃から既に甲斐では問題になっていたのを覚えていたので、武田家でもどうすれば良いのかを考えている筈、という考えから私は提言したのだ。
足軽、兵を募ろうにも、それが病人ばかりでは困るのは時空を問わずに問題になる話だからだ。
さて、そんなことを考えて湯村温泉にいると、武田勝頼と会った翌日に武藤喜兵衛が私の下に来た。
「お初にお目に掛かります。武藤喜兵衛と申します」
「武田信玄殿から、『我が眼』と評された俊才がわざわざ訪ねて来られるとは」
「同盟を組んでいる相手の跡取りが来られた以上、お会いして話をしたいと考えました」
「それは丁寧に」
「何、亡き(信玄)殿が評価した若者の素を見たいと考えたまで。我が実父の真田幸綱から、常々言われておりました。直に目で見ぬと分からぬモノがあると」
武藤喜兵衛と私は、そんなやり取りをした。
それを聞いた私は、真田幸綱の名からひょっとして、と思い当たった。
ということは、この世界では真田昌幸は武藤喜兵衛と名乗っているのかも。
そういえば、真田昌幸の名が全く聞こえてこない。
歴史が変わった結果、この世界の真田昌幸は武藤家に入り、武藤喜兵衛と名乗ったのだろう。
そんな私の考えが何処まで分かったのか。
武藤喜兵衛は居住まいを糺して言った。
「我が(甲斐)国の地方病のことまでお聞き及びとは。本当に油断のならぬ方のようですな」
「何故にそう思われる」
「普通でしたら、そこまでの調べはせぬもの。何故に知っておられるのかと」
武藤喜兵衛は私にカマを掛けて来た。
「これはしたり。幾ら恨みを水に流せ、と言われても、そう簡単に割り切れぬモノ。未だに妻は我が父の本当の仇は信玄と私に言われる有様。私とて3年の歳月で、ようやく割り切った想い。目の前の惨劇から、復仇の想いが止み難く、その際に武田のことを調べ上げたモノの一つに過ぎませぬ」
「成程、筋は通っていますな。それが、何故に我が武田家に利をもたらす話をしに来られた」
「それ以上に、我が徳川家が儲けるため、と言われたら、どうされますか」
「ほう」
相手が表裏比興の者ならば、私もそれなりに構えて対応する必要がある。
私は知恵を振り絞って、武藤喜兵衛に対処することになった。
「武田家は、それこそ先々代の信虎公、いやそれ以前から甲斐の近隣に侵出しておられませんかな」
「キツイことを言われますが、本来は信濃出身の私も認めざるを得ませんな」
「そう言った状況から、武田家の侵出欲は止まることのない代物。それならば、日本国外、具体的には高山国に武田家が侵出されては如何、と考えた次第。そうなれば、我が徳川家は武田家の侵出を警戒する必要が無くなりますからな。そして、我が徳川家は安眠できる」
「武田家家臣の私に余りにも明け透けな言葉ですな」
私と真田昌幸ではなかった武藤喜兵衛は、そんなやり取りをする羽目になった。
だが、このやり取りの方が武藤喜兵衛には効いたようだ。
「よろしいでしょう。我が(勝頼)殿には貴君の考えを私なりに伝えましょう」
「それでは良しなに」
私と武藤喜兵衛はそう言い交わした。
余りにも真田昌幸が武藤喜兵衛なのを主人公が知らないのもどうか、と考えたので、ここで主人公は真相の一部に気づくことにしました。
(とはいえ、相変わらず主人公には誤解が生じています)
尚、武藤喜兵衛ではなかった真田昌幸が主人公の言葉に同意するのは、史実同様に武田信虎の侵攻によって信濃の故郷から真田幸綱が亡命することになったという事情があります。
(その後、武田信玄に協力することで、真田幸綱は信濃の故郷に帰れたのです)
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