第46話
「よう参られたの」
「この度は初めてお目に掛かりまする」
「そう丁寧な物言いをせずとも良い。我らは身内ではないか」
「ははっ」
武田勝頼は躑躅ヶ崎館を訪れた私に鷹揚に声をかけ、私はそれに対して畏まった対応をした。
尚、身内というのは決して間違ってはいない。
父の喪中ではあったが、善は急げということか、武田勝頼の妹の松は織田信忠と結婚していた。
更に私は織田信忠の義弟(私の妻は信忠の妹の五徳)なのだから。
「それにしても、江戸に居を構えてほぼすぐに、こちらに挨拶に来られるとは何用かな」
「この際、腹を割って申し上げます。武田家が下総の関宿を抑えられたのは、利根川を中心とする関東の内陸水運を重視されたためとか。更にその内陸水運が外洋に通じる際に重要なのが、私が住む江戸になります。それ故にこの際に連携して動けば、共に利が得られると考えて訪れた次第です」
「ほう」
勝頼の問いかけに私は単刀直入に答え、勝頼は韜晦するような言葉を吐いた。
勝頼は目の前の若者、信康の姿を見て改めて想うところがあった。
我が父、信玄が事実上は最後に戦った相手がこの者だった。
その時、この者は(数えの)15歳で初陣の身であった。
しかもその際に義父の織田信長を失うという事態に見舞われたのだ。
岐阜城という城塞の援けがあったとはいえ、そんな状況から父に撤退を決断させる程の敢闘を示すとは、父が謙信に匹敵するという賛辞を送ったのも無理のないことだ。
もし、自分が15歳の初陣の身で同じような状況に置かれたら、幾ら家臣の援けがあっても、同じことが出来るとは考えられない。
そんな若者が何を提案しようと言うのか。
「甲斐の一部の土地において、下々の者が病に苦しんでいるとのこと、その苦しみを減らし、武田家にとって大いなる利益ともなる話です」
「ほう」
「甲斐の一部の土地では、水に浸かった後で「泥かぶれ」といって肌が赤くかぶれることがあるとか、そして、その後は何れ腹が膨れて死ぬと聞いております。それを完全にを防ぐとなると、稲作を止めるしかありませぬが、それでは甲斐の米不足が更に深刻となり、下々の者が食うに困ることになります」
「確かに」
「それ故、私は発想を変えました。甲斐で食べる米を他で作って運んでは如何。そして、その土地を離れたくない者は桑畑を造って蚕を育て、絹糸を作っては如何でしょうか」
「米を他で作ると言うが、どこで作るのだ」
「我が配下の者が、南の方へ出かけたところ、高山国(台湾)という島を見つけました。九州と同じ程の広さがある一方、有力な国、勢力は無く、弓や槍、刀を持っている程度で兵も数百もいる勢力が精々だとか。その一方で、年中暖かで、土地によっては年3回も米が採れるとのこと。武田の精鋭をもってすれば、それこそ高山国全てを数年で切り取れるのでは。そして、そこに農民を住ませては」
「ほう、悪くはない話だな。だが、そこまで本当に赴けるのか」
「我が配下の者が水先案内を務めます。ですが、そうなると大量の船を造る必要があり、そのための費えも掛かります。その費えを、一時、お借りしたい。甲州には金山があると聞き及んでおります。その金山の収入を、このために出していただけませぬか」
私と勝頼は、こういった感じで長談義をした。
「ふむ。余りにも大きな話よの。家臣の意見を取りまとめる必要がありそうじゃ。数日はゆるりと滞在されよ。その間は我が父も愛した湯村温泉で旅の疲れ等を心から癒されるがよい。その間に儂は家臣団と話し合っておこう」
勝頼は最終的には私にそう言ってくれた。
私はその言葉に素直に甘えて、数日の間、湯村温泉で湯治をして、武田家の判断を待つことにした。
分からない人もいるかもしれないので、念のための説明を。
甲斐の一部で流行っている病ですが、現代で言えば日本住血吸虫症になります。
そして、前世では海上自衛隊士官の主人公が何故に知っているのかは、明日の投稿で明かします。
(本来なら知らなくてもおかしくない話で、それ故に真田昌幸(武藤喜兵衛)は疑念を覚える事態に)
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