第42話
そういった事態を背景としてだが、1577年の春に石山本願寺の顕如以下の面々は、苦渋に満ちた判断を強いられることとなった。
下間頼廉に至っては、号泣しながら法主の顕如に訴える事態となった。
「皆の意見は、もう何度も聞いた。皆の想いはよく分かる。私とて断腸の思いだ。だが、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでくれ」
顕如がどうにも耐えられずに、この場に集った本願寺の幹部の面々に伝えるが。
「法主の仰せは御尤も、と言わざるを得ませんが、私は納得できぬのです」
下間頼廉が号泣しながら言うと。
「頼廉の言う通り」
「石山を本願寺門徒全員の墓とする覚悟を固めて戦えば、必ずや勝てまする」
そんな声を石山本願寺の大広間に集った抗戦派の面々が挙げ始める。
尚、この場にいる恭順派の面々にしても、その多くが本音では抗戦派に寄り添っている。
本音としては、抗戦派に味方して、武装解除には応じられない、と考えているのだ。
だから、多くの恭順派が沈黙する事態が起きていた。
「いい加減にせよ。門徒全員に死ね、と言うのか」
流石に聞き捨てならぬ言葉と考えて、顕如が抗戦派の面々を叱責すると、抗戦派の面々とて、流石に門徒全員に死ね、とまでは言えないので、顕如の言葉に対しては俯かざるを得ない。
だが、顕如の言葉に無言で反論しないことが、抗戦派の不満の多くを暗に示していた。
「これは幕府どころか、朝廷を介しての斡旋なのだ。それこそ従わねば治罰の綸旨が出されても仕方のないことなのだ。それに」
顕如は敢えてそこで言葉を切った後で、付け加えた。
「これを受け入れれば、三河や越後等の禁教令が出されている処でも公然と寺を再興し、布教活動ができることになるのだ。更に京の都に本願寺を再建できるのだ。それでも、拒むと言うのか」
「それは確かに仰せの通りですが。その代償として、石山を明け渡せ、鉄砲や刀を捨てて、本願寺は武装解除に応じよとは。万が一、朝廷や幕府の命に従わぬ者がいた場合、本願寺門徒は身を守ることができませぬ。それ故に私は応じかねる話だと述べておるのです」
頼廉は懸命に訴え、その言葉に相次いで抗戦派の面々は肯く。
顕如としては、うんざりする考えしか浮かばなかった。
抗戦派は完全に意地の世界に突入している。
確かに数年前に織田信長の死を機にして、足利幕府は足利義助を新将軍として再興された。
それとほぼ同時に本願寺と織田家は講和することになり、石山や長島等で平和が訪れた。
だが、それは(現代で言えば)停戦協定に過ぎず、石山や長島等では門徒は武装を続けた。
これはこれまでの流れ、歴史的経緯からすれば当然のことだったかもしれない。
だが、信長が亡くなる以前に比叡山が焼き討ちに遭う等、徐々に寺社が僧兵を持つ等して武力を誇ることに、多くの民が冷たい目を向けつつある現実を考えるべきだった。
更に本願寺門徒が武装していることで、本願寺門徒が武力攻撃を受けることについて、門徒以外の面々から当然視されることが多発しているのも現実なのだ。
そうした状況を背景として、幕府は朝廷を介して、本願寺門徒の武装解除を求めてきたのだ。
更に言えば、本願寺にとっても全て悪い話どころか、それなり以上の利益が見込める話だ。
これまで布教が全面禁止されていた三河や越後等で本願寺の僧侶が布教する許可が、朝廷を介して与えられるのだ。
これを拒み、本願寺の門徒は武装解除に応じないでは、それこそ本願寺門徒以外が本願寺を見る目が極めて冷たいモノになるのは間違いないだろう。
そうなっては孤立無援で、本願寺は戦うことになる。
更に実際には大したことが無いとの声を聞くが、石山本願寺は大砲にどれだけ耐えられるだろうか。
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