第41話
主人公が出てこない話がかなり続きかねないので、描写を簡略にして、かなり話をまくことにしました。
主人公は第44話から再登場の予定です。
さて、その砲撃の結果だが。
「小田原城が事実上は3日で落ちただと」
「はっ。間違いありません。北条氏政殿は自らの切腹を条件に、小田原城を開城したとか」
「儂が10万の大軍をもって攻めた城だぞ。それを半分の軍勢で3日で落としたとは。徳川家康と武田勝頼は、どれ程の名将なのか。特に勝頼は信玄を上回る名将ではないか」
「それだけ大砲の威力は大きいということでしょう」
上杉謙信と家臣は、そのような会話を交わす羽目になっていた。
更にこの衝撃は、それこそ日本中の津々浦々、更には日本の周辺にまで広まることになった。
何しろ天下に名高い名将の上杉謙信が約10万の大軍をもってしても、攻め落とせなかった小田原城が、大砲の威力によってほぼ半分の軍勢によって3日で攻め落とされたというのだ。
大砲の猛威が日本の国内外に広まるのも当然のことだった。
だが、これは実地に見ていた面々からすれば、心理戦に北条が敗北した結果に過ぎなかった。
「丸3日も昼夜を問わず、これまでに聞いたことのない砲声がずっと聞こえていては、北条家の将兵も堪えられまい」
「しかも実際にその砲撃で城壁等が壊され、足軽らに死傷者が出てはな」
そんな会話が小田原城を陥落させた面々の間で交わされることになった。
小浜景隆は12門の大砲について、それを操作する将兵に二交代制を敷いて昼夜を問わずに休むことなく小田原城に砲撃を浴びせるように命じたのだ。
小田原城の将兵にしてみれば、これは堪ったものではない。
何しろ小田原城には大砲は無く、一方的に徳川、武田を中心とする連合軍の砲撃に曝されたのだ。
何時になったら終わるのか、ひたすらそれを願うのが昼も夜も無く続いては。
(尚、1門ずつ着弾を確認しては撃つ、という方法でほぼ30秒毎に小田原城に砲撃は浴びせられた。
最終的に砲1門当たり約700発の砲弾を小田原城に撃った時点で、士気を喪失した北条家から開城を求める使者が連合軍に対して送られたのだ)
実際問題として、徳川、武田を中心とする連合軍の砲撃だが、小田原城に物理的に致命傷を与えるような被害を与えたとは言い難い。
勿論、城門や城壁は砲撃でそれなりに壊れ、死傷者もそれなりに出たが、後世の視点から見れば、所詮は小口径の山砲と言われても仕方のない代物に過ぎないのだ。
だから、物理的な人的、物的損害は大きく無かったが、心理的な側面が極めて大きかったのだ。
反撃が全くできず、一方的に損害が増え、終わりが見えない状況が続いては、北条氏政を中心とする北条家の面々が、連合軍に対して小田原城の開城を申し出るのも、ある意味では当然のことだった。
ともかく北条家が小田原城を開城して、事実上の無条件降伏に応じた。
更にそれには大砲の威力があったという事実、噂の影響は極めて大きなものがあった。
この一件は、東日本においては、奥羽の諸勢力、伊達家や最上家、南部家や相馬家、蘆名家等々を改めて親足利幕府勢力とすることになり、足利幕府に相次いで奥羽の諸勢力は誼を通じることとなった。
そして、それに応じて、足利幕府は改めて、伊達家を陸奥守護に、最上家を羽州探題に叙する等の措置を講じて、他の諸勢力にもそれなりの官位等を朝廷を介して与えることになった。
更に北陸においては、相前後する話になるが、織田家と上杉家によって、朝廷と幕府の圧力によって、一向一揆に参加した門徒衆を本願寺が見捨てたのもあるが、加賀を中心とする一向一揆は完全に武力鎮圧される事態が起きた。
そして、関東においては、言うまでもないことだが、徳川、武田、佐竹等によって幕府の統治が回復される事態が起きている。
ここに東日本は、足利幕府の統治が回復した。
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