第40話
「大砲とな」
「はい」
徳川家康の問いかけに、小浜景隆は即答したが、内心が顔に出ないように努めてもいた。
景隆は一廉どころではない武将である。
家康と信康父子の間には微妙な間隙があるのに気付いている。
更に言えば、景隆の見る限りは家康が信康を疑い、嫌っている可能性が高い。
景隆の見る限り、信康は野心を欠片も持たない有能な人物である。
もし、野心が欠片でもあれば、それこそ義父の織田信長の仇を討った功績を振りかざして、織田家の舵を握ろうとした筈だ。
義兄の信忠殿を自分は支える必要がある等、幾らでも理由を立てようと思えば立った筈なのだ。
だが、信康は信玄を退けた後、織田家のことに徳川家の者が口を出すべきではない、といって素直に岡崎城に去っているのだ。
そして、信康の有能さには何の疑問もない。
初陣の身で義父の信長公が討たれたという事態に遭遇し、しかも相手が武田信玄でありながら、見事に織田軍他を取りまとめて、岐阜城という要害があったという幸いもあったが、相手を退けるという武勲を信康は挙げているのだ。
内政にしても、充分に有能な家臣に適度に任せる態度を示しており、岡崎衆を中心として、徳川家中の多くの者が、
「信康殿が徳川家の後継者なので、徳川家に憂いは無い」
と公言するのも当然に思える。
だが、家康の猜疑心が、そういった野心の無い有能な後継者の信康を却って疑いの目で見る事態を引き起こしている。
父の家康にしてみれば、息子の信康は余りにも良い子過ぎて、却って裏の顔がある筈だと疑われてならないらしい、というひそひそ話、噂が流れており、自分の耳にも入っている。
だからこそ、信康も警戒して自らは進言せずに、私、景隆の考えであるように父に伝えよ、と密かに命じる事態が起きているのだ。
景隆は内心の奥底で、そこまで考えていた。
さて、景隆の考えに気づくことなく、家康は景隆に言葉の意味を尋ねていた。
「大砲がこの場にあるのか」
「はい、何とか青銅製で鋳造した代物で、12門を船で運んできております。尚、1万発余りの砲弾を準備しております」
景隆は即答した。
景隆自身は、そこまで準備する必要があるのか、と疑問を覚えたのだが。
信康が、大砲1門当たり1000発は砲弾を準備せよ、というのでそれに従って準備したのだ。
「ふむ。砲弾の重量は」
「砲弾1発は1800匁(約6.75キロ、15ポンド)といったところです」
家康の問いかけに、更に景隆は答えた。
「船から下ろして、小田原城への砲撃に使えるのか」
「可能です。更に言えば、石垣を崩せるのか、と言えば困難ですが、城門とかは充分に壊せるかと」
家康の更なる問いに、景隆は更に誘うように答えた。
「ふむ。試みてみる価値はあるかな」
家康が景隆にそう言って考え込んでいると、勝頼が口を挟んできた。
「徳川殿、長きに亘っての兵糧攻めとなると、様々な費えが掛かります。この際は大砲を使ってみては如何でしょうか」
その勝頼の言葉に応じて、他の諸将も勝頼に同意する言葉を吐き出した。
「某も試みる価値はあるかと」
「徳川家の大砲の威力を拝見したい」
家康もここまで他の諸将に煽るようなことを言われては応じざるを得ない。
「小浜、お前の考える方法で大砲を展開して、小田原城を攻撃する準備をせよ」
「ははっ」
家康の命を受けて、景隆は速やかに準備に掛かることになった。
さて、その翌日だが、
「本当に大砲の準備ができたか」
「南蛮人の言葉を信じれば、最新の方法で準備致しました」
家康と景隆はやり取りをした。
実際に大砲は車輪付きの砲架に載せられ、数人掛かりだが人力で移動可能な代物だった。
こうしたことから、小田原城への砲撃準備を整えることが出来た。
私なりに考えたカルバリン砲の、この時代の日本に合わせた前装式大砲になります。
口径は76ミリ砲程度、時代が時代なので完全に鉄の弾になりますが7キロ近い弾を打ち出せる前装式の大砲で、車輪に依る移動が可能な一方で、後世視点が入りますが完全に山砲です。
更に言えば、、発射速度は5分に1発が精一杯という代物でもあります。
この時代の大砲に詳しい方からツッコミの嵐が起きそうですが、何とか実戦投入に成功したということで平にご寛恕を願います。
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