第38話
とはいえ、そんなことを表に出しては、それこそ徳川家中を割る事態が起きるのが目に見えている。
それ故に徳川家康は顔に出さずに、その後の軍議を粛々と進め、酒井忠次を先手の総指揮官に据えて、北条軍との決戦に備えた。
さて、北条軍と徳川軍の決戦の舞台となったのは、伊豆の山中城近郊であった。
北条軍にしてみれば、それこそ伊豆は自分の領土であって地形等を熟知しており、この辺りでは有利に戦える場の筈だった。
更に言えば、山中城は東海道を扼する為に築かれた城であり、ここを放置して進軍することは、さしもの徳川軍にとっても困難である一方、北条軍にしても流石に見捨てかねる城だった。
北条軍は北条氏政自らが指揮しており、それを北条氏邦や氏照といった氏政の兄弟や松田や大道寺といった重臣衆が支えていた。
氏政は氏邦を右手の総大将に、氏照を左手の総大将とし、兵力の優位を活かして、左右から徳川軍を押し包むように鶴翼の陣で攻めることにした。
それに対して、徳川軍は魚鱗の陣を構えて、中央突破に因る勝利を図るように傍からは見えたが。
「さて、本当の罠が北条軍に見えているかな」
酒井忠次は開戦前にうそぶいた。
実際、徳川軍は開戦前夜に密やかに簡易陣地を前面に築いていた。
自軍の前面に浅い壕を堀り、その壕を掘った事で出来た土を盛った程度の代物だが、北条軍の突撃の足止めをそこそこできる代物で、勢いに任せて突撃して来る将兵の多くが転倒等するだろう。
そして、転倒した将兵に銃撃や矢の雨を浴びせれば。
「壕の多くが、北条軍の兵で埋まった後で反撃開始だな」
忠次はそこまで呟いた。
それに対する北条軍だが、徳川軍の罠をそれなりに察知していた。
基本的に観望するだけとはいえ、それなり以上の歴戦の面々が揃っているのだ。
事前にその程度のことが分からない筈が無い。
だが、徳川軍の鉄砲の装備数等を北条軍は完全に読み誤っていた。
この時の北条軍が持参している鉄砲は1000挺に満たなかったし、弾の数も1挺当たり5発も無いのが現実だった。
そして、徳川軍の鉄砲の数等もそう変わらない、と北条軍は判断していたのだ。
このことが後世にまで伝わる北条軍の悲劇を招いた。
「姿勢を出来る限り低くし、鉄砲を打ち合え」
北条氏邦も氏照も、ほぼ同様の命令を下した。
だが、3発程打ったら、北条軍側の鉄砲隊の弾が、ほぼ尽きてしまう。
「弓隊の援護の下、(槍持ちの)足軽は突撃せよ」
しかし、それはこれまでもあったことなので、氏邦も氏照も弓隊に援護させながら、足軽隊に突撃を命じ、更に隙があれば騎馬隊も突撃させようとしたが。
共に悪い予感が頭を過ぎった。
徳川軍の鉄砲の数が、どうも多いようだ。
そして、北条軍が突撃を開始すると、
「「何」」
氏邦と氏照、更に他の北条軍の将帥達も驚愕するとになったが、徳川軍の鉄砲隊は平然と射撃を続けて来た。
「いかん」
慌てて突撃を止めようとするが、一度、突撃を始めた部隊がすぐに止まれる訳が無い。
徳川軍の陣地に突撃するまでに、かなりの死傷者が北条軍に出る。
更に徳川軍の銃弾の雨による心理的衝撃は、多くの北条軍の将兵に動揺を与えている。
そして、それを見逃す徳川軍の将帥達はいなかった。
「反撃じゃ」
酒井忠次の号令の下、榊原康政や本多忠勝といった猛将を先頭に立てた徳川軍の反撃が始まった。
既にそれなりの死傷者を出しており、心理的衝撃もあったことから、北条兄弟や松田、大道寺等の将帥の督励にも関わらず、北条軍は徐々に崩れ出した。
更に両軍の陣形の差がこうなると出る。
魚鱗の陣での徳川軍の総力に因る突撃は、北条軍を蹂躙する。
「さしもの鶴も翼が折れては飛べぬものよ」
家康はそううそぶいていた。
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