第34話
こうして上杉謙信というか、上杉家の動きを封じた上で、武田家と徳川家を主力とし、関東の国衆の多くが参加する北条家に対する攻撃は行われることになった。
尚、武藤喜兵衛と本多正信の謀略は、それこそ中立的な第三者でも納得する大義名分を、北条家に対する攻撃に於いて、表面上は成立させている。
「父の武田信玄殿の喪に服している武田勝頼の家臣に対して寝返り交渉を行い、更に西上野の武田領に攻め込むとは、余りのことではないですかな」
「何を言われる。そもそも西上野の武田領と言われるが、その地を治める国衆は北条家に従属しておった国衆ですぞ。それが北条家を裏切って武田家に属したのです。更に武田と北条の同盟交渉の際に、上杉と北条が同盟する以前の関係に、各々の国衆は戻るという取り決めをしていました。このような状況からすれば、北条家に戻らない国衆を成敗するのは当然のこと」
「武田家側は、確かにそのように取り決めをしていたが、国衆は自らの判断で戻るのが前提で、北条家が攻めることまでは認めていなかった、と言っております」
「何を言われる。武田家が、国衆に対して北条家に戻るように説得しなかったのが悪かったのです」
そんな感じで、幕府が送った使者に対して北条氏政は返答することになっていた。
実際には、この点については突き詰めれば曖昧極まりないところがあった。
この当時の国衆の多くは、戦国大名の家臣的な立場ではあったが、細かく言えば独立していた。
だから、このような場合、武田家と北条家が同盟交渉の一環として取り決めた国衆の取り扱いについて、その国衆が唯々諾々と従うのが当然か、というと必ずしもそうでは無かったのだ。
それから考えれば、武田家と北条家の交渉で北条家に帰属することになった西上野の武田家傘下の国衆が、武田家に自分は属すると言った場合、どこまで北条家がその国衆に強制できるのかは、曖昧な話になるのは当然のことだった。
そうした状況下において、表向きは北条家に帰属するように言いつつ、武田家にそのまま帰属し続けるのならば、それなり以上の優遇をすると、陰に陽に武藤喜兵衛らは西上野の武田傘下の国衆を煽り続けたのだ。
こういった背景があっては、西上野の武田傘下の国衆が北条家に帰属する態度を示さないのは当然のことで、更に北条家としては、取り決めに従わない西上野の武田家傘下の国衆を攻めない訳にはいかない事態に、最終的には突入することになった。
何しろ、西上野の武田家傘下の国衆を放置していては、何故に北条家は素直に従わない国衆を放置するのか、それなら自分達も従わないという態度を北条家傘下の国衆が示しかねないからだ。
ともかく、こうした背景があった上で、北条家は西上野の武田家傘下の国衆を攻めたのだが。
これは意外な難事になった。
武田家が鉄砲を始めとする様々な支援を、予め国衆に対して行っていたからだ。
(更に言えば織田家や徳川家を介して、大量の鉄砲や弾薬を武田家は調達しており、武田方の国衆は北条軍に対して、鉄砲等の火力で優越した中で戦う事態さえ起きた)
こうしたことから、既成事実を造れば問題ないと考えていた北条家にしてみれば、既成事実ができる前に幕府が介入してしまうことになってしまった。
とはいえ、ここまでやらかした以上、北条家としても今更、引き返せないのは当然のことだった。
だから、北条氏政は幕府の使者に抗議する事態が起きた。
しかし、これは武田家や徳川家等にしてみれば、北条家を攻める格好の口実に他ならなかった。
更に足利義助新将軍にしても、幕府再興を日本国中に示すのに絶好の事案だった。
かくして北条家征伐が、行われることになったのだ。
史実の焼き直しと言われそうですが、実際に効果的な謀略ですし。
どうかご寛恕を。
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