第32話
ともかくそんな裏事情もあって、日本というか、主に三河ではジャンク船の建造と共に、火縄銃や大砲の製造が徐々に進むようになり、更には火縄銃や大砲を東アジアから東南アジアに売り込もうと図る事態が、この1576年時点では起こりつつあった。
だから、増加試作品程度ではあったが、大砲さえ三河では造られつつあったのだ。
(尚、これには、それこそお寺の鐘等の鋳造技術が結果的に転用されることになった。
最初期の大砲というか、この頃の日本の大筒は火縄銃と同様に鍛造によって製造されていた。
だが、これでは大口径の大砲は製造できないのだ。
そうした状況下に日本はあったのだが、東南アジア方面に日本人が赴いた際に南蛮(欧州)人は、大砲を鋳造によって製造しているという情報を入手したことから、鋳造で日本でも大砲を製造しようとし、試行錯誤の末に徐々に強力な大砲の製造に成功したのだ。
更に言えば、こういった大砲は青銅製に諸般の事情から成らざるを得なかった。
本来から言えば鉄で大砲を鋳造すべきなのだろうが、技術的問題から青銅製にせざるを得なかった)
ともかく青銅製の鋳造砲が試作されつつあり、それを艦載砲にできるようになったことは、日本の軍船の火力の大幅な向上を引き起こすことになった。
このまま進めば、ポルトガルやスペインの船、南蛮船と互角以上に戦える日本の軍船が後10年余り後には整備できる、と私は考える事態が起きつつあった。
とはいえ、その一方で、それが私の夢想ではないのか、現実の戦闘で確認する必要があった。
私にしてみれば、間もなく起きる徳川、武田が中心となって行う小田原城攻城戦は、それを確認する好機だと徐々に考えるようになっていたのだ。
さて、そういった考えが私の内心では浮かんで、実際の行動に移そうとしていた頃。
上杉家(及び本願寺等)に対する武藤喜兵衛と本多正信の謀略が炸裂していた。
「足利義助将軍からの御教書です。武田勝頼から上杉家との和親を図りたい、との申し入れがあった。これまで宿敵関係であった武田家と上杉家が和親を進めるのは、幕府再興のためにも善きことだと考えるので、上杉家としても馳走して欲しいとのことです」
「それは内容によっては、やぶさかではありませんが」
「それでは内容を申し上げます。武田勝頼の妹の菊姫を、上杉家の跡取りである上杉景勝殿に娶せたいとのこと。尚、武田勝頼殿の妹の一人の松姫は、既に織田家当主の織田信忠殿と結婚されておられます。それによって、上杉、武田、織田の三家の和親を図りたいとのことです」
「何と」
「尚、間もなく北条家に対して、朝廷は治罰の綸旨を幕府に対して命じるとのこと。北条家の出身である上杉景虎殿を上杉家の後継者にするということは、上杉家も朝敵及び幕敵になる覚悟をするようにとも、将軍は仰せです」
幕府からの使者となった細川藤孝は、そのように上杉謙信に伝えていた。
上杉謙信は暫しの間、黙考せざるを得なかった。
この将軍御教書に誰が逆らえるだろうか。
大義名分が何重にも立つ仰せとしか、言いようが無い。
自分自身も幕府再興を旗印として戦った経緯があるのだ。
そうした中、将軍御教書で幕府再興の為に上杉家と武田家は和親を進めよ、と言われては。
そして、武田勝頼から人質として、自らの妹を儂の後継者候補の上杉景勝に嫁がせると言われては。
これを私が断る等、出来よう筈がない。
更に言えば、この将軍御教書があっては、越後及びその周辺の国衆は、儂が上杉景勝を後継者にするのに、内心はどうか分からぬが、表向きは皆が賛同するだろう。
上杉謙信は上杉家の後継者問題が決着して、最早、北条家を見捨てざるを得なくなったと考えた。
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